「誰もが遊び人に堕落してしまった。」秒速5センチメートル(2007) Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
誰もが遊び人に堕落してしまった。
10年前に既に私は40歳かと思うと愕然だが、そんな2007年の新海誠第三作。dTVで閲覧させていただく。その後の『言の葉の庭』のほうを先に観てしまったので、その時のアニメでこんな風景描写がされるのかと言う驚きは緩和しているが、この映画も独特な雰囲気がある。桜の落ちる速度のタイトルでも、雪の舞いの速度の描写だけでも感性に触れて来る。公衆電話にISDNと書かれてある。ロードムービーになり、貴樹が明里のいる栃木県まで電車を乗り継ぎ、約束時間が遅れてしまい必死で急ぐが、時代背景がわからないが、携帯スマホは無いのかと今では思ってしまう。それがまだ無い時代からの話なのだろう。3作連作の形式でもある。主題歌が山崎まさよしの良く知られている曲である。まだ観ていないのだが、『君の名は。』の大ヒットは着々と準備されていたのだろうと思わされるのは、『言の葉の庭』でも思わされていたが、13歳で主人公の二人のキスシーンは早熟すぎて好きではないので、評価をここで落とす。惜しかった。極端に評価するので、私の評論方法はそこでアウトにするのだ。男よりも女のほうを落としてしまうのだ。これで怒るような女は程度が低いので気にも留める必要はなかろう。ただ毛布にくるまっていただけで性行為にまで至らなかったのは作者の良心だろう。それから堕胎のような話になったら新海の世界が放射能汚染の海になってしまっただろう。2話に移るが、どうでも良すぎる事だが、私も高校は弓道部だった。
貴樹のほうでも、東京から鹿児島に転校した先で憧れてくれるクラスメイトがいた。鹿児島県で会った花苗のほうが貴樹には合っていた感じがする。コンビニで種子島コーヒーパックまで出ている細かさなのに鹿児島弁が無かった。ここで携帯が出てメールが出ている。満天の星などは細かい。高校生辺りでかなり異性に対してのコンプレックスが生じる人達が出て来る難しい時期なのだろう。だいたい、そこから器用に出来ずに、30代以上までひきずってしまう人も多いし、私もそれで狂わされている人生である。それはひどい状況が続くのである。自然にやっているようで高校生から必死な状況である。だがそれで別れてしまう所に、実は不自然があるのではないか。寿命は延びながらバランスを崩している。この作品では、貴樹には花苗で十二分だったのに。ここで調べてもしまったが、だいたい明里にこだわりすぎた悲劇の予兆があるが、男性として誠実なだけなのに、それが悲劇になるのである。逆に遊び人や軽い人間だったら花苗と交際していただろう。花苗のほうも軽い人間では無かったのである。3話めで社会人となっている。心なしか雪の落ちる速度が速い感じがした。既に明里は結婚していた。貴樹と3年間交際した水野という女性は、「1000回メールし合っても心が1センチほどしか近づけなかった」とメールに残した。残り1センチに明里があった。罪は明里のほうにあるのではないのか。明里のように変わってしまう女性に思いを残しても社会が混乱してしまうだけではないのか。何人も傷ついてしまう。女性の一筋の思いをする能力の劣化が人間を壊すのではないか。そういう意味で気付かされはするが、肯定できる映画では無かった。簡単に言えばやり逃げ社会の映画となってしまった。『ニューシネマパラダイス』も同様なモチーフを持っていたと思うが、誠実なようで不誠実の固まりの映画になってしまった。水野にしたって。婚外性交や婚前性交の危険性がある。ただただ花苗がそんな事も無く、幸せになっている事だけを願いたい映画である。