「映像技術の進歩に驚き!でも第1作目を越える面白さは出来ないのかもしれない」猿の惑星:創世記(ジェネシス) Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
映像技術の進歩に驚き!でも第1作目を越える面白さは出来ないのかもしれない
映画は総合芸術、どこを評価するかが賛否の分岐点。シリーズ物の難しさがしのばれるが、これは長い~ 長~いと終わりばかりが気になってしまった!
かつてリバイバル上映された1作目を学生時代に映画館で観た時の衝撃が忘れられない私にとっては、全く面白味の無いのが今回の作品の正直な感想だ。
しかしではこの作品は駄目!?と言う事でも無いと考える。映画の今の時代は、3Dなど画像処理技術の面白さを楽しんだり、純粋にストーリー性を楽しむ事や、俳優や監督に興味を持つ、或いは衣装や、音楽とかセットとかロケ地などを楽しみ疑似体験旅行をしてみるなど、実に映画の楽しみ方は多岐に渡る。映画の楽しさを自分がどこに求めるかにより評価の分岐点が有ると同時に、その映画を観た時代や、本人の生活環境に因ってもその時々の評価や、好みは多様化する。
私が今回この映画で、注目すべきはJ・フランコ(今年とても楽しめた映画の一つで、『127時間』や大好きな『ミルク』に出演の彼は素晴らしかったのでこれらの作品を未だ観ていない方は是非観て頂きたい!)や、『スラムドッグ$ミリオネア』のF・ピントらが熱演している事だ。
そして肝心要のサル君シーザーの表情はホンマに恐い程に、目は口程にもの申すと言う格言を地でいっていた!これが全部CGの作り者のお猿さんと言うのはびっくりで、「映画館に急いで行くで、ごザール」バザールでなくても行って観る価値は有るのかも知れない。
ウィルが自宅に連れ帰り一緒に生活しているところでの、躍動感溢れるシーザーの鉄棒競技さながらのアクロバティックな動きの数々は目を見張る!
それと映画は世相を反映していると言う点である。初めて『猿の惑星』が制作され公開されたのが、68年だから40年以上前の事だけれども、この時代はアメリカのヴェトナム戦争が激化する一方で、宇宙開発の競い合いが進む時代にあって、そんな時代の進み方に警鐘を鳴らすがごとく当時大ヒットした小説を映画化した作品だ。
その話しのラストでは人類の文明が滅亡し、猿の文明が人間のそれに取って代わっていたが、そのハプニングはどうして起きたのか、理由は何故か?とその小説では決して語られていない前の話しの部分を強引に制作しなければならないと言う点で、どうしても観ていて、終点に合わせて逆算されたストーリーには、何か自由で豊かな発想と言うものが欠けてしまっていた様で、観ていて面白さに欠ける気がしてならない。
そう言えば今年の初頭に『スプライス』と言う映画が公開され、人類の不治の病を優秀な科学者達の研究チームが新たな遺伝子操作に成功し、新しい生命体の誕生に成功すると言う、この『創世記』と全く同じストーリーの作品があった。この作品も、俳優陣は期待出来る役者を揃えているにも関わらずB級C級と言っても可笑しく無い駄作であったが、本作品も、ストーリーなどに、新しさも、斬新な切り口などの新たな解釈も全く感じられない点で俳優達の芝居の見せ場も少なく、人を活かしきれていない点も残念でならない。
科学者である息子ウィルが認知症になった父に最初に新薬を投与するが、その効果が予想以上に絶大で、大いに嬉々とした認知症の父も、新薬に対する抗体が出来てしまい、更に病状が進化し、一機に体調の悪化した時に、再びウィルが新薬の投与を試みるが、その時に父が、認知症を患っているにも関わらず、それを拒否し、自らの死期を受け入れると言う判断を下すシーンが有る。人間には絶対に老いて認識力が落ちても尚この様に判断力は確かに一部分では、残存機能しているのも現実にも有る事だ。ここに人間が肉体機能だけでは計れない心と、霊的な魂の存在であると言うものを垣間見るのだ。
シーザー達にこの霊性が宿っているのか否かは不明である。
しかし人間は、万物の霊長と定義している以上、この霊性を含め進化してゆく道を探して行かなくてはならないだろう。その事をこの映画は語っているのではないか?
そんな私の映画の見方を貴方はきっと猿知恵と笑うかもしれないがこれが私の感想だ!