「慈悲を忘れた生き物に生命を繋ぐ価値はあるのか」猿の惑星:創世記(ジェネシス) 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
慈悲を忘れた生き物に生命を繋ぐ価値はあるのか
観た事の無い人さえオチを知ってるSF映画『猿の惑星』の前日譚。
僕は1、2作目と、悪名高いリメイク版しか観た事が無いが、
本作はあの有名なオチさえ知っていれば誰でも楽しめる映画だと思います。
さて……
何はともあれ猿である。
兎にも角にも猿である。
VFX大作をさんざん観てきた人間でも驚愕するレベルの精緻なCGは必見。
猿の叛乱を流れるように追い続けるダイナミックなカメラ演出も◎だ。
そして何より見事なのは、ほぼ台詞無しにも関わらず、豊かでエモーショナルな主“猿”公シーザーの表情。
図らずも人を傷付けてしまった時の戸惑い。
迫害者に向けた静かなる激怒の眼差し。
特に、シーザーが初めて言葉を発するシーンには少なからず恐怖を覚えた。
抑圧され続けた者の怒りが、遂に爆発したあの瞬間。
観客は皆、彼がCGである事など途中から忘れてしまっていただろう。
ところでシーザーの名前の由来となった『ジュリアス・シーザー』はシェイクスピアの著作。
同じく彼の著作『リチャード三世』にはこんな台詞がある。
『どんな冷酷な獣にも僅かばかりの憐れみの心はあるものだ』
『ところが私はそれを知らぬ。ならば私は獣ですら無いな』
憐れみも知らない生き物に、生命を繋ぐだけの存在価値が果たしてあるのか。
この物語で起こった事は、慈悲を忘れた人類への天罰だったのか。
そして、
人を傷付けることを嫌いながら、最後に無慈悲さを見せつけるシーザー。
底知れない狡猾さを感じさせる不気味な猿・コバ。
負の感情に流されてゆく彼等も、いずれは同じ破滅の道を辿るのだろうか。
そんなテーマをうっすら感じさせる内容なだけに、
全人類のエゴを拝金主義の会社重役と陰湿な保護施設の兄貴(また君か、マルフォイ君!)、
そして隣近所の短気なオッサンだけに集約させた点が悔やまれる。
近所のオッサンがあの重要な役割を担う羽目になる展開は象徴的ではあるが……
いかんせん出てくるのが小悪党ばかりだもんなあ。もっと嫌なヤツがたくさん出れば、
叛乱の動機にも説得力が出て、より重厚な物語になったんじゃないかと。
しかしながら十二分に楽しめました。
物語が展開される空間こそ狭いが、
実際以上のスケールに見せてしまうだけのテーマ性と画力を持った映画。
それにしてもシーザー役、アンディ・サーキスが今回も素晴らしい!
何でも良いから、誰か彼に賞をあげたげて!
<2011/10/9鑑賞>