「生命を弄んだツケ」猿の惑星:創世記(ジェネシス) REXさんの映画レビュー(感想・評価)
生命を弄んだツケ
猿の惑星オリジナルの前六部作は、猿をマイノリティに投影し人種差別を浮き彫りにさせた、SFというより強烈に人間社会を皮肉った映画で、人間は核戦争で文明衰退した設定だった。
猿のリーダー•シーザーがいかにして猿の文明を成し得たのか。
地球が滅ぶ直前タイムマシンで過去の人間世界に脱出した猿科学者夫婦が、最初は人間に歓迎されるも次第に迫害されるという状況下で産み落としたのがシーザーだった。この時点でシーザーには他に奴隷にされた猿仲間たちがいて、最初から人間を憎悪して当たり前の環境にあった。
そして歴史はループするのである。
新解釈のジェネシスは、一人の科学者ウィルによって作成されたウイルスが原因になっている。
アルツハイマー病の特効薬の研究に猿が使われ...という設定は、現実に行われていそうだし、音楽家だった父のアルツハイマー病を治したいというウィルの執着も、すんなり受け入れられる。
研究打ち切りになった後、シーザーを家で引き取り、新薬も許可無く父に投与するウィル。倫理的にスレスレの選択ばかりしているのだが、前シリーズと違うのは、「善かれと思って」行われた事が悲劇を引き起こしてしまった事だと思う。
結果、シーザーは見た目猿なのに中身は人間により近くなってしまい、種としてこれ以上ない孤独を感じてしまう。
ウィルのように愛し合う女性もいない。両親もいない。怖がられるので隔離されるように家で過ごさねばならない。生きながら牢獄につながれている。
しきりに「僕は君の父親だ」と諭すウィルに、「僕はペットなの?」と問うシーザー。
そこで事件が起き、外見は仲間だが異質の猿の集団へと放り込まれる。シーザーは戸惑いながらも初めて自分の存在価値を見いだし、口だけで助けてくれなかったウィルの手を拒むのである。
寝ているウィルの側で佇むシーザーは、「幸せだったあの頃」と決別していたのかもしれない。
そして「no」の咆哮に鳥肌が立った。この凝縮された一瞬のためだけに、前半があったといってもおかしくない。
後半はとにかくウィルの愚かさと甘さが際立ち、「家へ帰ろう。俺が守るから」とシーザーに言い続けたり、かと思えば心中覚悟でシーザーを止めるということもせずに、最後は自分の傑作を愛おしそうに見送りさえしているのだ。
生命を弄んだつけが、人間の滅亡をもたらすとも知らずに。
エンドロールで、人間滅亡のシナリオは猿のせいではなく人間自身のせいだったことがわかるのも皮肉。