「地球を舞台にする必要はあったのでしょうか?」トータル・リコール kobayandayoさんの映画レビュー(感想・評価)
地球を舞台にする必要はあったのでしょうか?
2013年1月中旬に三軒茶屋シネマにて鑑賞(『アヴェンジャーズ《2D版》』との同時上映)。
『ブレードランナー』の原作者として有名なSF作家フィリップ・K・ディックによる短編『追憶売ります』を下敷きとして作られた『トータル・リコール』はポール・ヴァーホーヴェン監督とアーノルド・シュワルツェネッガー主演による奇跡のタッグの実現により、90年代を代表するSFアクション映画として高く評価され、これが無ければ、『マイノリティ・リポート』や『ペイチェック-消された記憶-』等のディック原作モノの実写化に繋がらなかったかもしれないので、大変、貴重な作品と言えますが、それのリメイク版となった本作によって、その価値は更に高まったと思います。
近未来の地球では、ブリテン連邦とコロニーに分断され、労働者はフォールと呼ばれる超高速車両でブリテン連邦へ移動して、行動していた。ある日、工場で働くダグラス(コリン・ファレル)は仕事帰りに立ち寄った“リコール社”で警官隊に襲撃され、その途端に驚異的な力を発揮して、彼らを倒してしまう。それがキッカケで、彼は謎の勢力に追われる羽目となる(ここまでが粗筋)。
オリジナル版は非常に大好きな一作で、幼い頃から何度もVHSやDVDで観ており、年を重ねるにつれて、作品の奥深さや舞台となる火星のヴィジュアル等に心奪われ、シュワルツェネッガーの主演作としても、かなり上位に入る面白さで、その影響でカナダで製作されたドラマ版『トータル・リコール 2070』も観るようになり、これがキッカケで『ブレードランナー』を気に入ったので、思い入れの強さは大きく、そのリメイクとなった本作には不安しか感じられず、予告を観ても、そんなに惹かれず、封切り時に観ることは無いかもと思い、名画座上映時まで待っていました。結論を最初に言ってしまえば、予想通りで、特に面白味は無く、現在のテンポとCGを駆使しても、オリジナルには遠く及ばず、意気込みすら、伝わってこないだけでなく、「何の為にリメイクしたのか」と疑問を感じたほど、退屈しました。
近年は火星を舞台にした作品が成功しにくいので、本作をオリジナルと同様に火星に主人公が行くという展開にしなかったという点は悪くありません。オリジナル版の火星のイメージは強烈だった為に、それを再現しても、真新しさが出るとは限らず、キャラクターの名前は同じでも、基本的には『追憶売ります』を下敷きにした新解釈の作品なので、火星に拘る理由も無かったと思われるので、それは良いと言えるでしょう。けれども、地球のみを舞台にしても、これが面白さに繋がらず、アジアンチックな近未来都市は『ブレードランナー』以降のSF映画でやっていて、それは『トータル・リコール 2070』でも行われ、そのドラマが単に『トータル・リコール』だけでなく、ディックの小説のアイディアを数多く取り入れた作りだった為に、本作で『ブレードランナー』や『マイノリティ・リポート』的な世界観にしても、斬新さは感じられず、逆に地球を飛び出して、火星以外の惑星(例えば、土星。オリジナル版でシャロン・ストーンが演じたローリーが「土星に旅行へ行くのは、どうかしら?」と口にしたり、リコール社でダグラスを担当したボブも「今のお勧めは土星です」と言っていたうえに土星は未知の惑星に近いだけに、それを舞台にしていたら、何か大きな変化があったのでは)を舞台にした方が良かったんじゃないかと思えてしまいます。
キャラクターに関しても、魅力的で応援したくなるのはおらず、オリジナルでは火星人のタクシー運転手のベニー(メル・ジョンソン・ジュニア)や小柄なホステスのサンベリーナ(デビー・リー・キャリントン)など、悪役や脇役に至るまで、強烈で印象的、尚且つユニークで楽しいキャラが溢れていたのに対し、監督がレン・ワイズマンだけに奥さん(当時)のケイト・ベッキンセールにオリジナルではシャロン・ストーンのローリーとマイケル・アイアンサイドのリクターの役割を担わせ、リクターと共にダグラスを追跡するヘルム(マイケル・チャンピオン)のような皮肉屋的なキャラも居なければ、ヒロインである筈のメリーナ(ジェシカ・ビール)もオリジナルのレイチェル・ティコティンが演じたタフネス感がそんなに無く、ダグラスと行動を共にする瞬間も偶然、見つけたからという風にしか見えず、主人公のダグラスを演じるコリン・ファレルにしても、自身の身に起きる出来事に対して、常に驚いているだけで、「必死になって、謎を明らかにするんだ」という姿勢が見られず、良い俳優だけれども、地味なので、ベッキンセールに存在感を奪われ、主役らしく見えないのもマイナスな点と言えます。
オリジナルが素晴らしすぎる為か、ダメな要素が目についてしまいますが、本作が封切られる直前にオリジナル版がシュワルツェネッガー主演作だった『コナン・ザ・バーバリアン』が公開され、そちらが個人的に、オリジナルと比べる必要も無いぐらい差別化がなされていたので、「シュワルツェネッガーの主演作をリメイクしてもダメになるだけ」という事は無いと思います。無駄に洗練さを出しながらも、やっている事は色々なSF映画やタフなヒロインが活躍する作品を良いとこ取りして、CGとワイズマン、ベッキンセールによる夫婦映画頼みにした事が失敗で、オリジナル版でヴァーホーヴェン監督が徹底的に盛り込んだヴァイオレンスとブラックな毒々しい要素を排除した事や意外と難解だった話の設定も含め、全てにおいて無駄になったんだと思います。本作のプロデューサーのニール・H・モリッツはヴァーホーヴェン監督のもう一つの傑作『スターシップ・トゥルーパーズ』のリメイク版のプロデュースを務めるようですが、本作のような作風になったらと思うと、それに期待は全く出来ません。