ヒューゴの不思議な発明 : 映画評論・批評
2012年2月21日更新
2012年3月1日よりTOHOシネマズ有楽座ほかにてロードショー
映画を再発見して閉塞を打破する、スコセッシの新境地
流麗なキャメラの眼が魅惑の1930年代パリに分け入って駅舎を目指し、時計台に隠れ住む少年を捉えたかと思うと、たちまち彼の視点となる。3Dという表現手段を得た作り手の興奮が伝わる、初々しい幕開け。スコセッシのキャリアの延長線上として想像し得なかった優しく切ないファンタジーだが、これも内発する表現だ。血と暴力の呪縛から逃れ、幼少期に窓から社会を覗き見て映画を媒介に世界を学んだ彼の、淋しげで繊細な眼差しがある。
居場所を求める少年は、父が遺した機械人形の秘密を通して過去を探る。心を閉ざした孤高の老人との出会いを通し、少年は秘密の鍵を握る少女と出会う。博覧強記なスコセッシの脳内さながらの図書館で、2人は幻想特撮の始祖ジョルジュ・メリエスの不遇な人生を知る。科学の発明品に希望を抱いて摩訶不思議な映像を生み出し、シネマトグラフの可能性を押し拡げながらも、時代に見捨てられた魔術師メリエス。少年は人生の光と影を垣間見て、大人へと近づくのだ。芸術と魔術が溶け合う揺籃期の映画を嬉々として再現してみせる名匠の、なんと瑞々しいこと! スコセッシは、少年に自分を託して映画を再発見し、メリエスに自分を重ねて、夢見る機械としての映画史の原点に立ち返った。
この3Dは“没入感”では形容しきれない。「アバター」がCGで精緻に作り込まれた擬似空間への旅ならば、本作の3Dは、人や物の造形に彫刻にも似た生彩を与えて表情豊かにし、限りなく現実に近づける“親近感”のツールだ。映画界の混迷、作家としての閉塞。打破するのは狂おしいまでの熱情しかない。映画を愛し直すスコセッシの画期的な発明は、観る者全てを童心に還らせる魔力を秘めている。
(清水節)