劇場公開日 2012年4月28日

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「不器用な親子愛」わが母の記 キューブさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5不器用な親子愛

2012年9月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

幸せ

 井上靖の後期の自伝的作品の映画化である。だから井上靖の作品を読んでいなかったり、’60年代の日本の雰囲気を知らなかったりすると厳しいかもしれない。だが私にはこの映画は素晴らしいと思えた。
 小説「しろばんば」などでも描かれているとおり、洪作は両親に対して複雑な感情を描いており、初老となったころでもそれを引きずっていることが序盤から判明する。雨がしとしとと降る中雨宿りをする母親と子供時代の洪作。反対側にいる母親が洪作の元に来てあるものを渡す。子供の頃の話自体は描かれないが、このシーンはとても重要だ。屈折した親子の愛情がここに込められている。
 しかしその後のシーンからは一転して、初老の伊上洪作とその家族の生活が繰り広げられる。これらの場面を支えているのは間違いなく主演である役所広司と母親役の樹木希林であろう。認知症の老人を演じさせたら樹木希林の右に出るものはいない。確信犯なのか本当にぼけているのか、相手をいらつかせる寸前の笑いだ。このスレスレのユーモアが作品の全体を担っていると言っても過言ではない。そしてなんといっても役所広司。微妙に家父長制の残る家で厳しくもありながら、家族を思う優しさは誰よりも強い父親に成り切っている。特に娘達や女兄弟、母親といった家族との掛け合いは見物だ。言葉の端々にあるささくれだった感情で時には互いを傷つけるが、それでも親子の愛情は消えない。
 問題点がないわけではない。井上靖という文豪が書いたものを原作としているためか、一つの台詞に色々と詰め込みすぎている。それが顕著に表れるのはラストシーンだ。もっとも泣けるシーンのはずなのに、洪作が自らの内面を語ってしまうことで感動が逆に薄れてしまった。映画はあくまで映画であることを意識するべきだった。
 しかし感動できないかというと、そんなことは全くない。一つは洪作が昔書いた詩を、記憶を失いつつある母親が読む場面。目の焦点も定まらず無心に読んでいる母親に対して、当の洪作は思わず涙を流す。母親が息子を愛していたことの何よりの証拠だからだ。そして洪作が母を背負う海辺のシーン。親子が完全に和解し、洪作が心の底から母親を愛することが出来た。これほどまでに感動的な親子愛のシーンはなかなか無い。久々に映画で泣いてしまった。
 素晴らしい映像、セット、役者、そして脚本に恵まれたことでまれに見る名作が完成した。記憶を失っても愛情は消えないのだ。
(2012年5月12日鑑賞)

キューブ