劇場公開日 2012年9月8日

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「シベリアのグラグ」ウェイバック 脱出6500km ku-chanさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0シベリアのグラグ

2020年3月20日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1939年のポーランドは西からナチス、東からソ連に占領されていた。この映画はあるポーランド人、スラヴオミール ラヴィッツの回顧録『The Long Walk 』という本の映画化。戦争犯罪者としてロシアに捕らえられてシベリアに送られた(1940年)ポーランド人、ヤニュシュ(Jim Sturgess )がソ連のシベリアのグラグ(Gulag )という強制労働収容所(スターリンの時、最盛期で50以上収容所があったらしい)の一つから逃亡する。このグループは共産党から逃れ(一人をのぞいて)、自由を求めて6400Kmも歩いてインドのシッキムSIKKIM (前はネパール:ダージリンの近く)まで歩いて行く話。
当時は第2時世界大戦だったので、中国は日本に占領されていて、毛沢東、スターリンの世界で、連合国(インドはイギリス領)に逃れるしか方法がなかったのではないか。(米国人スミス(Ed Harris)はチベットの僧の援助で米国にむかえるらしいが。)他の人は米国人ではないから米国には行きたくなかったから、イギリスに援助を求めたのかもしれない。

収容所から自然の脅威に挑戦するかのように、ソ連のバイカル湖まで抜けて、モンゴルに入ってホルローギーン・チョイバルサンの肖像を見て(khorloogiin choibalsan と red star)中国、チベット(ラサ)まで行くが、全ての国が共産圏で英国インドまで行けば、政治難民として、自由になれると思い、シッキムSikkim ダージリンまで歩く。そこで、パスポートやビザなしで入国できる。

灼熱のゴビ砂漠、猛吹雪、ヒマラヤなどで、自然は過酷であるが、仲間との絆、助け合い、それに、モンゴル、ダージリンなどの人々の暖かさが、過酷な道中に希望を与えた。ソ連に占領されたポーランドでは戦争犯罪人であっても、山を越え谷を越えたインドでは戦犯ではないし、過酷な旅先でも戦犯でなく、水先案内人で、旅を成し遂げ自由を獲得したリーダーだ。それに、ロシア人犯罪者でスターリンを啓蒙しているヴァルカ(Colin Frawell) ですら、少しすつ人になって変わっていく(人間の心を持っていく)のがみられる。彼だけが、ソ連の国境線でそのごのウランバートルulan bator へ向かう旅に参加しなかった。それはスターリン崇拝者だから。

それぞれの国の芸術家、エンジニア、宣教師、など(ルーマニア、ロシア、ラトビア、ポーランド、アメリカなど)の戦争犯罪者や囚人が国境を超えて助け合いながら人として結びついていくシーンもいい。それに、ヤニュシュはスミスに『Kindness, That can kill you here.』と収容所でいわれても、砂漠でもスミスに対して哀れみを見せた。優しい人はどこでも、どんな時でも人に優しくできる。それをこの映画で感じた。

この映画でソ連の収容所の共通言語として英語が使われている。果たしてそうだったのだろうか。アメリカ人のスミス(エンジニア)以外、芸術方面に長けている人たちだし、フランス語??ロシアに密接につながっている国々が多いから?ロシア語??

1929年の大恐慌の時、米国人はロシアのシベリアに出稼ぎにいったとは知らなかった。

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