「日常の営みを描いた松竹らしい家族映画」東京家族 マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
日常の営みを描いた松竹らしい家族映画
物語は小津安二郎の「東京物語」(1953)にほぼ準じた内容で進められる。大きく違うのは、戦後まもなかった世の中と平成という60年もの時差で、「東京物語」では戦死していた次男がここでは定職に就かない若者として生きて登場する。
とっくに教師という職業をまっとうした老父・周吉にとって、将来の展望がない次男・晶次の生き方は理解しがたく憂いをいだく。母親・とみこのほうは次男の優しい性格と思考に一定の理解を示す。
今回の作品では、この老父母と次男の関わりに焦点が当てられる。決していい加減に生きているのではなく、優しいが周りに流されない芯の強さを持つ晶次を妻夫木聡が自然で気張らない仕草で演じる。この作品が、最近の山田洋次作品の中で好きだと感じだ理由はそこにある。
せっかく上京しても子どもたちは仕事に追われ、中々ゆっくり共に時間を過ごせない老父母の心に明かりを灯すのが次男の恋人・紀子だ。「東京物語」での紀子は戦死した次男の嫁で義理の父母に気遣いを見せるが、ここでも寂しい思いをする父母と子どもたちが住む無機質な都会との間に入って潤滑油的役割を果たす。
とみこが東京に来てよかったと思ったのは、東京の名所巡りなどではない。東京にも心を通わせることができる相手が見つかって嬉しかったのだ。
とみこと紀子、周吉と紀子の気持ちが通い合うシーンはどちらも泣ける。
家族の喪失という局面では、同じ家族でも喪失感はそれぞれに違いを見せる。そして雲が流れるように人の営みは止まらない。そうしたなかで周吉は、場当たり的な生き方にしか見えなかった晶次の心根の優しさに改めて気づく。家族にとって大事なのは、家族にしかわからない長所を称え合うことかも知れない。
気になったのが言葉遣い。
家族どうしがよそよそしく敬語を混じえ、初対面の相手なのに常語だったりとちぐはぐで、言い回しが当事者の口から出た生きた言葉として聞こえない。どこか第三者が言わせているようで違和感がある。