「これは西部劇だ」カウボーイ&エイリアン マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
これは西部劇だ
現代の地球にエイリアンが現れるのなら、西部時代に来襲してもおかしくないという発想はいい。ただ、最近のどの映画もエイリアンのデザインがグロテスクなのはいただけない。もう少し洗練されたデザインのエイリアンがあってもいいではないか。だいいち、あの形状と性格で、宇宙船だのハイテクなマシンを造りあげるような技術的文化が発展するとは到底思えない。あれではただのモンスターだ。
ただ、敵として野蛮な性格のモンスターがほしいというのは分からないでもない。
ジョン・ウエインが出ていた頃の西部劇は、決闘ものかインディアンものが主流だった。騎兵隊によるインディアンの討伐を描いた通称「騎兵隊三部作」などがそうだ。ただ、これらの作品でもインディアンと交渉するシーンが度々描かれており、インディアンを必ずしも悪役とは描いていない。ましてや昔と違って、娯楽作といえども白人対インディアンという単純な図式は成立しづらい。
そこに人類共通の敵として、エイリアンはうってつけの素材だ。この場合のエイリアンは「E.T.」などと違って、暴力的で人類に対して容赦のないキャラの方が合う。その結果がモンスターのようなデザインに集約されてしまうということなのだろう。
さてこの映画、エイリアン来襲の話だからSFアクションと謳われているが、その実、まっとうな西部劇である。
ふらりと現れたよそ者が、悪いヤツらから町を助け、ひとり静かに町を去っていくというのは西部劇の王道だ。
ほかにも西部劇にはお決まりの、酒場の喧嘩、強い男に成長していく少年、武器を持つ神父などが盛られ、インディアンや列車強盗団も出てくる。もちろん、砂塵舞う町には綺麗どころのご婦人方がいる。キーパーソンのオリヴィア・ワイルドのほかにも、バーの主ドクの妻マリア役アナ・デ・ラ・レゲラが南米系の美しさで魅せる。
ダニエル・クレイグのシャープな動きは、今作でも独特のアクション・スタイルを打ち出し、それをハリソン・フォードが老練な落ち着きでがっちり受け止める。
この作品をSFとして観たら物足りないかも知れない。
けれど、西部劇として観たなら、ガン捌きや馬の扱いを垣間見せつつ、クロマキーによる合成であることを敢えてちらつかせた作風は、「駅馬車」や「アパッチ砦」など往年の名作に対するオマージュが見てとれる。
このところ、「サブウェイ123 激突」や「アンストッパブル」など硬派のアクション映画が続いている音楽のハリー・グレッグソン=ウィリアムズも、これぞ西部劇というスコアをつけている。