ポンヌフの恋人のレビュー・感想・評価
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欠損を抱えて
レオス・カラックス監督のアレックス三部作の三作目。
そんなことは知らず、俳優の古川琴音さんが最近みた映画らしく鑑賞。三作目からみてしまった。
足を怪我した孤独の青年アレックスと片目を失明している画家のミシェル。この“欠損”を抱える二人が、同じく老朽化によって橋としての役割を“欠損”しているポンヌフ橋でラブストーリーを展開する。
序盤のホームレスらを収容する施設の様子が凄まじい。ホームレスらがモノとして扱われ、暴力を受ける。ホームレス達もお互いをモノのように乱雑に扱う。そこには尊厳も何もない。またホームレスらの身体の有り様は役者がホームレス役をしているとは思えず、とても現実的。
アレックスは身体的とともに精神的にも欠損を抱えている。ホームレスとして社会的に尊厳を奪われているのだから当たり前だ。そんなアレックスをミシェルは絵に描く。アレックスが恋に落ちるのも分かる。描かれる対象としてみられるということは、アレックスの実存を承認することに他ならない。欠損の回復である。
それに対してミシェルがアレックスに恋したのが謎。もしかしたら恋してないのかもしれない。
花火のシーンは圧巻。アレックスとミシェルの恋模様が瞬間的に美しく輝く花火で表されているようでならない。
失明が回復するかもしれないと、ミシェルが探されることから物語は大きく展開される。アレックスは自分の元から離れることをなんとか阻止しようと駅や路上に貼られるミシェル探しのポスターに火をつける。ポスターを掲示する人にも火をつけ焼殺してしまう。
結局、ミシェルはたまたま聞いていたラジオ(そのラジオはアレックスがあげたものという皮肉!)によって探されていることを知ってしまう。アレックスの努力は水の泡である。ミシェルはアレックスのもとを去り、再び欠損を抱えたアレックスは自分の指を銃(この銃はミシェルにもらったものという皮肉!)で吹き飛ばす。さらに焼殺によってアレックスは刑務所にいくのである。
物語は数年後も描いていて、ミシェルは失明から回復し、ポンヌフ橋も改修される。彼女と橋は欠損から回復するのである。それに対してアレックスは指を欠損したままである。ミシェルを失ったままである。欠損から回復していない。この二人の比較をすればラストシーンは正直、腑に落ちない。二人は、アレックスの出所後のクリスマスイブにポンヌフ橋で会う約束する。実際二人は会うのだが、ミシェルはその前に眼科医と密会をしているし、別の人(おそらく眼科医?)とホテルに行く予約をしている。それを知りアレックスは怒り、ミシェルと共に橋から落ちる。それなのに船に救助された後、二人は結ばれるのである。ここでもなぜミシェルがアレックスを許し、恋に落ちることができるのか納得できない。
監督は結末部分として悲劇的なものも脚本として準備していたらしいが、ミシェル役のジュリエット・ビノシュが納得しなかったため何パターンか撮影したらしい。そして「まどろめ、パリ」で終わるあのシーンになったらしい。無理やりアレックスを救っている感じがする。おそらくアレックスが欠損を回復できないまま終わる結末があったのだろう。
このように結末に納得はできないものの、いい作品である。
そしてこの作品は欠損を愛によって回復する様を、身体やポンヌフ橋、そして物語で描かれているように思える。と同時に与えた愛はラジオや銃のように別れさせたり、新たな欠損を生み出す要因になりかねないことも示唆しているように思われる。
【”治らないモノはない、そして、まどろめ巴里よ!”今作は様々な理由で社会的常識、範疇、規範から外れた、工事中の”新しい橋”ポンヌフで暮らす若き男女の、絶望、困惑からの微かなる再生を描いた作品である。】
■不眠症の大道芸人・アレックス(ドニ・ラヴァン)は、睡眠薬を打ったのだろうか、夜のパリの町をフラフラと歩きつつ歩道に倒れ込み、車に片足をひかれてしまう。そこに通りかかった左目に疾病を持ち、失恋も重なり人生に絶望し、家出放浪中の画学生・ミシェル(ジュリエット・ビノシュ)。
二人はやがて工事中の”新しい橋”ポンヌフで共に奇妙な生活を始めるのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作は、数々の視覚に訴えかける”火もしくは灯”のシーンが印象的な作品である。
1.フランス革命、200年祭りを祝う花火が、セーヌ川上に次々に打ち上がるシーン。
2.大道芸人アレックスが、次々に口からガソリンを吹き、火を吐くシーン。
3.恋に落ちたアレックスがボートを盗み、ミシェルがそのボートに引かれて、ナント!セーヌ川で水上スキーをするシーン。
4.アレックスが、地下道でミシェルの裕福な親が彼女の目が治る事を書いた捜索願のポスターに、次々に火を放って行くシーン。
ー そんな、二人が住む”新しい橋”ポンヌフを優しく照らす、サマリテーヌ百貨店の仄明るい電飾・・。-
・橋には、彼らの他に、娘を亡くした事で、妻が浮浪者になり家族を失った、アレックスに睡眠薬注射を提供する老人ハンス(クラウス=ミヒャエル・グリューバー)も住んでいる。彼はミシェルに冷たいが、真意は”こんなところに居てはいけない。”という事が、途中で語られるのである。
・アレックスは、ミシェルが居なくなった事で、自暴自棄になり、ポスターに火を放った後に、車に放火した事で死者を出し警察に拘留される。
そして、2年後。目が治ったミシェルはアレックスに会いに来るのである。
二人は”修復された””新しい橋”ポンヌフの上で、且つてのように戯れるが、アレックスは、ミシェルを抱えて川に飛び込むのである。
ー このシーンは、イロイロと解釈が出来るであろう。何しろ、監督が数バージョン、用意していたそうであるから・・、である。-
・水中でもがく二人。
漸く水面に顔を出した二人は航行する船に助けられ、船の舳先に二人で身を寄せて、”まどろめ巴里よ!”と叫びつつ、新しい土地ル・アーブルに向かうのである。
<今作は、様々な理由で社会的常識、範疇、規範から外れた工事中の”新しい橋”ポンヌフで暮らす若き男女の、絶望、困惑からの微かなる再生を描いた作品なのである。>
面白かった
ハッピーエンドなわけない
フランスの恋愛映画。邦画のトロトロした感じと違って、ヒリヒリしたラブが感じられておもしろかった。
冒頭から血か汗にまみれたようなタンクトップのアレックスが車道に倒れる。一瞬、ヒロインと邂逅したかと思ったら、地獄に行くようなバスで収容施設に連れて行かれる。
恋する2人が盛り上がるところは、いろんなコンテンツにサンプリングされたんだろうな、ということが想像できるほど、爆発的に美しいデートシーンが撮れてる。
曲は知らなかったが、イギーポップとかボウイとかかかるといえば、激しい感じなのが伝わるかも。
男がだんだんキモく思えてくるのは、女が自己肯定感が低い方が自分に縛り付けておくのに都合がいいという、男の小ささが透けて見えるから。ポエムの告白シーンから、対象はアレックスじゃないなと感じてた。
だからラストはハッピーエンドなわけないよなと考えてたら、エンディングロールの自然音で冒頭の路上に戻ってる。
つまりは、そういうことだ。
橋から出られない二人
最近鑑賞したレオス・カラックス監督の『汚れた血』に続き、同監督作『ポンヌフの恋人』が4Kリマスターで上映されるということで劇場に足を運びました。
本作は、明確に「逃亡の映画」だと思います。
社会から、人生から、他者から、そして自分自身から逃げ続ける男・アレックスの物語です。ポンヌフ橋という場所は、家でも社会でもなく、宙吊りの避難所のような空間であり、彼にとっての閉じた逃避領域として描かれています。
しかし、逃亡という行為には本来、どこかで葛藤が生じるはずです。
逃げている自分を、もう一人の自分が見てしまう。そうした自己客観視や倫理的な引っかかりは、人間であれば避けられないものだと思います。本作では酒や睡眠薬による自己破壊的な行動は描かれますが、それらは自己反省から来る苦悩というより、「自分を見てしまう視点」そのものを遮断するための手段として映りました。
主人公アレックスの造形にも、強い違和感を覚えました。
彼は身体性や衝動性が前面に出た人物として描かれ、自己を二重化し、自分自身を客観的に見つめる視線が、構造的に欠けているように感じられます。これは役者の力量の問題ではなく、監督があえてそのような人物像を選び取っているように思えました。
つまり本作では、監督自身が踏み込みたくない領域――
「逃げている自分を見てしまう視点」
「自己欺瞞を自覚してしまう瞬間」
そこを構造的に封鎖するために、この主人公像が選ばれているように感じられたのです。意図的だったのか無意識だったのかは分かりませんが、「見えそうなところまで行きながら、あえて見ない」という選択がなされている。その点にどうしても引っかかりが残りました。
ミシェルとの関係性も同様です。
一見すると献身的な愛の物語のようでいて、実際にはアレックスもミシェルも、相手を思いやっているように振る舞いながら、自分の孤独を埋めるために相手を利用している関係に見えました。ミシェル自身が「本当の意味で愛していたわけではない」と明かす場面は、この関係の空虚さを端的に示していると思います。
終盤、二人がセーヌ川に落ち、救われたかのように描かれるエンディングにも違和感が残りました。
現実的には極めて不自然で、むしろ「本当は死んでいるのに、救済が与えられたように見せている」幻想的な結末に感じられます。それは観客のためというより、監督自身がその先に耐えられなかった結果なのではないかと思いました。
例えば『炎628』や『愛の嵐』のように、人間が見たくない自分自身の暗部を強制的に突きつけ、観る側の倫理をノンフィクションとして侵入させてくる映画があります。本作はそこへ至る入口までは辿り着いていながら、最後の一線を越えなかった。そのため、外部の視点が入り込まない閉鎖系の物語として完結してしまったように感じました。
決して駄作ではありません。
時代背景や制作状況を考えれば、ここまで到達したこと自体が驚異的だとも思います。ただ、自分にとっては「突き抜けきれなかった映画」「見ないという防衛を抱えたまま終わった映画」という印象が残りました。
だからこそ、前作『汚れた血』では感じなかった違和感を、本作では強く覚えたのだと思います。
「どん底にいたホームレスの二人が愛し合いつかんだ未来」
この映画を製作しているときから伝説になっていたみたいです。南仏ランサルダにポンヌフ橋のオープンセットが建てられそこで撮影されたからです。
1991年製作で公開当時タイムリーに映画館では見ていないです。レンタルビデオで借りて、その後DVDを購入し3回見て、今回初めて映画館の大きなスクリーンでやっと見ることができました。
レンタルビデオで見たときは、正直あまりいい映画ではないと思っていました。フランス映画特有の恋愛もののベタさについていけなかったのです。しかしDVDを購入した50代にはストーリー中心に見るのではなく、レオス・カラックスの映像にこだわり観ていると様々な美しさに魅了されてしまいました。この映画は最初から最後まで運動し続けているのです。そのことに気付くと一層映画を楽しめます。
ホームレスで閉鎖されているポンヌフ橋に住んでいるアレックス(ドニ・ラヴァン)は、ふと見るとポンヌフ橋の一角に女性が寝ているのを見つけます。その女性は失明の危機にあり人生を諦めた絵描きのミシェル(ジュリエット・ビノシュ)でありました。アレックスはホームレスの主ハンス(クラウス=ミヒャエル・グリューバー)に懇願し何日か彼女をポンヌフ橋に留めることに成功しました。
ポンヌフ橋でお互いホームレスに身を落としながらも、二人はどん底で支え合いながら、二人でいること、孤独ではない喜びを全身で表現しています。特にアレックスは、ミシェルに一目ぼれしますが、言えません。夜のシーンが大半であり、暗い闇の世界に覆われていますが、夜空に花火が舞い、爆竹が炸裂する中二人が疾走しながらのダンスシーンは圧巻でした。二人のスピード感、カメラワークのスピード感がマッチします。そしてセーヌ川での水上スキーのスピード感。スキーに乗っているミシェルが右に左に大きく振れる不安定さは、喜悦の中にもホームレスという二人の暮らしぶりを描写する見事な演出です。特にドニ・ラヴァンの身体能力の高さには驚愕しかありません。彼が走る・飛ぶ・跳ねる姿にそのときのアレックスの感情が凝縮されています。ミシェルもアレックスに徐々に惹かれていきます。そして二人で一生一緒にいることを誓いあうのでした。
しかし失明の危機に瀕していたミシェルに朗報が届きます。そして彼女はポンヌフ橋から姿を消します。その前のアレックスが彼女に知られたくないという行動は懸命で何としても彼女をポンヌフ橋に引き留めようとする姿が胸を打ちます。
別れて数年後、二人は改装されたポンヌフ橋で再会します。雪の中ポンヌフ橋のたもとで抱き合う二人の姿は、映画史に残る名シーンと言っても過言ではないでしょう。ラストシーンにかけてのストーリーは、二人のまさに運命を象徴するもので感動的でありました。
レオス・カラックスの魔法に彩られた2時間の映像は、完成した後何年も語り継がれるまさに伝説たりえる映画になったのです。「汚れた血」やカラックスの旧作がまた映画館で上映されます。はじめましての方も、お久しぶりの方も、もう一度映画館でカラックスの魔法を大きなスクリーンで堪能しましょう。
現代(いま)について考えてしまったIt made me think about the present.
全く予備知識なしで鑑賞。
日本上映時の92年3月は大学生だった。
映画はこの時も好きだったけれど、
インターネットはなく
映画の情報は新聞の情報欄か雑誌、
テレビのCMくらい。
他の人はどうやってこの映画に辿り着いたんだろう?
閑話休題。
初っ端で、一体何が始まるんだ?
と横っ面を引っ叩かれる。
91年当時の格差を
主人公の立場、扱われ方を
ヒロインとの出会いを
初めのわずかな時間で見せる。
こんなの観た事ない。
ただ、その始まりから刻まれる物語は
人と人との関係が深まる様を
工事中のポンヌフ橋の上で
パリの街中、地下鉄で
丁寧に見せていく。
どこか不足を抱えたもの同士が
惹かれていく。
同時に橋の上の物語も動き出す。
萌芽、成長、そして破綻、再会。
社会の底辺に居て
人の道から外れた時でも
その二人を美しく魅せた。
恋人ミシェルを失う焦りから
アレックスの起こす行動は、
絶対ダメだけれど、
彼にはその方法しかなかったのは
【理解は】できる。
そんな焦りから、自分自身は
ずいぶん遠くにきてしまったなあ
と少し考えた。
こういう
ある時を切り取ってみせた映画を見ると
懐かしいと同時に、
現在は本当に大丈なのか?
と考えてしまう。
何も知らないまま観ても
良かったと思える映画でした。
公開当時の大学生の自分と話ができるなら
「理解できなくてもいい、観てみなよ」
と言うかな。
I watched it with absolutely no prior knowledge.
When it was released in Japan in March 1992, I was a university student.
I already loved movies back then, but there was no internet.
Information about films came only from newspaper listings, magazines,
or TV commercials.
I sometimes wonder: how did other people find their way to this film?
That aside.
Right from the opening, you’re struck with the feeling:
What on earth is starting here?
It hits you hard, out of nowhere.
In just a brief span of time, the film shows the social disparities of 1991
through the protagonist’s position, how he is treated,
and his encounter with the heroine.
I’d never seen anything like it.
From that startling beginning, the story carefully traces
how relationships between people deepen—
on the under-construction Pont Neuf,
through the streets of Paris,
and in the subway.
Two people, each lacking something, are drawn to one another.
At the same time, the story unfolding on the bridge begins to move as well.
Budding, growth, collapse, and reunion.
Even when they are at the bottom of society,
even when they have strayed from the proper path,
the film still presents the two of them as beautiful.
The actions Alex takes, driven by the fear of losing his lover Michèle,
are absolutely wrong—
but I can understand why, for him, there was no other way.
Thinking about that kind of desperation,
I found myself reflecting that I’ve come a long way from it—
quite far, in fact.
When I watch films that cut out and present
a single slice of time like this,
I feel both nostalgia
and a nagging question:
Is the present really okay?
It’s a film that feels worthwhile even when you go in knowing nothing at all.
If I could talk to my university-student self at the time of its release,
I think I’d say:
“You don’t have to understand it. Just watch it.”
ずっと気になっていたので映画館で初鑑賞。 絶望と孤独の暗闇の中で見...
空は白い だが雲は黒い
10代の時に鑑賞して以来、大好きになった作品でリバイバル上映の度に劇場に足を運んでいます。
生まれながらに様々なハンデキャップを抱えている路上生活者アレックス。ミシェルとは、育った環境も住む世界も明らかに違う様に見える。だから、ふたりは本来であれば出会うことも恋に落ちることもなかったはず。
たけど、ミシェルに失明の危機が訪れたからこそ、ふたりはお互いの持つ喪失感を感じ取って、路上で惹かれあった。ふたりは、お互いの喪失を埋めるようにポンヌフ橋の上で寄り添った。
“20世紀最高の恋愛映画”
恋は、切ない。
恋は、寂しい。
恋は、儚い。
なぜなら、恋は喜びと同時に喪失を伴うから。
自分の身体を失うような痛みを伴うから。
中年になってから若い頃の恋愛を振り返ると、美味しいレストランもオシャレな洋服も高級なホテルも必要なかったのかもしれない。
花火の中で踊り狂って、海辺を疾走して、雪の中で大笑いして、川に飛び込んで、船の先端で両手を広げて叫んだりして。ふたりの身体と感性が全てなんだ。
レオスの青臭い熱情が、懐かしくもあり、とても嬉しくて、幕が下りてもずっと席を立ちたくなかった。
1991年。レオス・カラックス監督。真夜中に道路をふらつく男は車に...
1991年。レオス・カラックス監督。真夜中に道路をふらつく男は車に足をひかれたところを警察に保護される。ホームレスとして修理中の橋(ポンヌフ)で暮らす男は施設を抜け出して橋へ。すると、そこには片目にパッチをつけた見知らぬ女がいて、どうやら女は男の事故を目撃していたらしい。女がその時の男を描いた絵を見た瞬間から、男は女に惹かれていき、、、という話。
修理中の橋の上で、足の悪い自己に閉じこもりがちな男と、目の悪い過去の男を忘れられない女が、徐々に距離を詰めて恋に落ちていく。革命祭のさ中にはじける革命的な恋。そして、別れ。数年後、修理が終わった橋の上で、足が治った男と目が治った女が再開するのだが、事情が変わった二人がたどる道行きこそ、革命の続行、恋の延命にほかならない。ルアーブルへ!
ラストシーンを見ていると「タイタニック」よりも前に公開された映画で本当によかったと思わずにはいられない。
あの頃散々もてはやされてたヤツ
橋に戻りたい = 現実を見ないふりして夢に生きる
誰かが君を愛してる
空は白い、雲は黒い。フランス革命から200年後の荒廃した街角、閉ざされた狭い世界で出逢った自暴自棄なホームレスふたり、互いにはポンヌフしかない。相手が幸せになるのを拒み、邪魔をして、自分だけを見続けるように仕向ける。わざと落ち続けて、果てまでも逃げる。どこまでも行ける。出ていけ。眠りたい。夢に見た人に朝電話をかけたらもっと幸せに生きられるのに。抱きしめてくれ。橋に戻ろう。
己を傷つけてはワインを開ける大酒飲みの自己憐憫泥酔。酩酊状態で一種のドラッグ描写のように、周囲より2人が小さくなっているカットがあったけど、それは美術館に潜入するカットでも感じられた(こっちは恐らくリアルなサイズ感だが)。
ジュリエット・ビノシュ ✕ ドニ・ラヴァン =『汚れた血』コンビの体当たりな熱演にレオス・カラックスの大胆かつ狂気じみた演出、そして目を見張る撮影に編集。クセがありながら、そうした確固とした個性ある語り口を味方にして観客を惹きつけてやまない、力強く魅惑的な作品。毎シーン毎カット力強く、全編印象的な名シーンに彩られているけど、特に花火の降るなかでの橋のシーンからの水上スキーの流れは圧巻。画も音もすごくて魅了されてしまう!!
あなたのことを愛してなかった、
私のことは忘れて
P.S. 斜め前の女性が"タイタニック"ラストカットで余韻もへったくれもなくスマホ触り出したけど、どうにか画面黒落ちするまで我慢した。注意したら全く悪びれることもなく「これ落としましたよ」って渡されたくらいのテンションだった。絶対にいつもスマホ触っている常習犯だな。で、注意されなかったらラッキー、注意されたらそのときだけ片付ける…みたいなやり方でやっていそう。マジ許せん。
アレックス三部作のDVD-BOXを持っているくらい好きだけど、久しぶりに観た。映画館で観られてよかった。
橋の下には絶望した若者が懸命に生きている すっごい恋愛映画
原題は "新橋の恋人たち"
タイトルなし(ネタバレ)
洪世和著の「コレアン・ドライバーは、パリで眠れない」(みすず書房)に取り上げられいたので、視聴しました。
元警備員であったハンスの優しさに、感動しました。
ミシェルが気持ちの整理をつけるのに時間がかかり、純朴なアレックスか戸惑いますが、そこがまた良い。
雪の中、ポンヌフで再開するときのシーンが素晴らしい。そして、ミシェルが可愛い。
いい映画でした。
『ボーイ・ミーツ・ガール』(Boy Meets Girl、1983年)
『汚れた血』(Mauvais sang、1986年)
『ポンヌフの恋人』(Les Amants du Pont-Neuf、1991年)
の
三部作のようですね。他の作も折を見て観たいと思います。
名作というより、名シーン
片目の視力を失うという不自由を抱えたことからホームレスになるも自由に向かって行動的なミシェル。
完全なるホームレスであり常に自由になることを拒むかのように現状を維持しようとするアレックス。
この2人を対象的に描きながら恋におちていく様を描いた作品。
よく言われる通り、この対比の中でアレックスが明確な意識の変化もなく唐突なハッピーエンドに向かうのには納得感が薄かった。どうせハッピーエンドにするなら眼科医との思わせぶりなシーンは要らなかったし、アレックスがまたキレ癖を見せる必要もなかったと思う。酒場の男たちの笑い話を踏襲するかのようにスッキリとハッピーエンドに向かってくれれば良かったのになと感じた。
しかし、それでも中盤まではラブストーリーとして楽しく見れた。
そして月並みだがやはり花火のシーンは素晴らしかった。入り混じる音楽と、徐々に近づいていく泥酔した2人の様は映画史上に残る名シーンだったと思う。ラストが気に入らなくても、このシーンとその前後のストーリーだけで高得点がつけられるように思う。
これがセットで撮影されたという裏話は、このシーンをむしろより衝撃的な印象に変えた気がする。
わき毛
自分が高校生の頃の1990年代にケーブルテレビで頻繁に放送されてまして、それで何度か視聴し数十年振りにDVDで観ました。
思ったより退屈でした。この監督さんの作品も当時はレンタルビデオでボーイ・ミーツ・ガールから最新作まで借りて観てたけど、記憶に残ってるのは汚れた血でバイクで2ケツしてるジュリー・デルピーが格好良く、透き通る白い肌と美少女な容姿に10代の自分には天使かなにかに思え、一瞬で目がハートになりそこだけ今も憶えてるって感じです。
ジュリエット・ビノシュさんは美人さんなんだけど、わき毛びっしりでそれ見せられたらもう内容なんかすっ飛んでそれしか記憶にない状態になってしまいます。
高校生当時ファッション雑誌のスタジオで女編集長と映画の話になり、彼女的には大好きな映画!らしいでしたが男の自分には良さが分かりませんでした。
ファッショナブルな女性の感性には響くみたいです。
憧れのパリ、のホームレス
パリは永遠に好きだし
ホームレスは一度でいいからやってみたい
ラッパ飲みで酔っ払って花火の火花を浴びたい
大掛かりな撮影だな〜と思いながら見ていたけど、まさかの地方でのセット撮影だった…あの向こうの橋の夜景もセットなんだよ
(DVD特典映像で知った)
なんにしてもこの世に映画として完成して残って本当に良かった
細かいことでは
「片方の目で絵を見つめるとカタツムリのように目が飛び出るの…」と元夜警のおじさんにこぼしていたが
眼帯をめくると一匹の生の鯛がどーんと出てきたところ、あそこが一番驚いた!
次がドアの覗き穴に撃ち込んだ時と地下通路のポスター全部が燃え上がったところ
ドニラヴァンの身体能力は今も健在だけど
ジュリエットビノシュも前回はパラシュート、今回は水上スキーと
嫌と言わずにやってのける
ル・アーブル行きの船の先端でタイタニックですよ
最後の雪降るクリスマスのポンヌフは美しい
景色もさることながら、ふたりとも別人のように清潔になって再会
あ〜これもセットだったのか〜塩だったのか〜
レオス・カラックスのこだわりには過去作品を持ってしても脱帽、あたしの生涯の宝物となった『ホーリーモーターズ』これが出来上がっていく過程を見たようだ
全39件中、1~20件目を表示














