「荒野に咲く、花」DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう? ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
荒野に咲く、花
「天使の恋」で知られる寒竹ゆり監督が、人気絶頂のアイドルグループ、AKB48のメンバーに密着、その素顔と本音に迫るドキュメンタリー作品。
お堅い話題を難しい顔で伝える某ニュース番組で報じられたAKB48総選挙の生中継。これは、非常に興味深いものがあった。「総理はね・・」「外交関係を、もっと考えねば」と、常日頃眉間にしわ寄せくどくど話すコメンテーターが、「可愛いねえ・・・」と、孫を見るお爺ちゃんの微笑みが絶えない。番組の空気が、一気に柔らかくなる。
陰気なニュースばかりで気が滅入る報道世界に、ぽっと咲いた一輪の花。そういう意味では、現代の日本にあって最も、必要とされるグループの一つとして考えるべきかもしれない。
そんな人気グループの舞台裏を描く本作品。一歩間違えれば秋元康マジックに翻弄され、マイナーなメンバーの売名作品に陥ってしまう危険性を大いに秘めているために、不安はあった。だが、その心配は無用だったようだ。
AKB48という荒ぶる個性の集まった集団が、ここまで国民の人気を集めたのは何故か。多くのニュース報道が「男性目線」で、テナントビルに集うコアなアキバファンの目線からメンバーを見つめていく中、本作は徹底して「女性目線」にこだわり、「女の子の本音、素顔、格好良さ」を引っ張り出すことに軸を置いていることが、本作の柔らかい温かさの原動力だろう。
秋元康をはじめとした「オトナ」の皆様のビジネスとして発展していくことを求められる世界。その中にあって、道具として使われることに甘んじず、自分の個性、可能性、嗜好を打ち出して生き残ろうとするメンバー達。グループを脱退した後のことをきちんと考え、今を自分でプロデュースしていくしたたかさと、雑草魂。
単純に「可愛い」の視点で考えず、「今を強く、軽やかに生きていくために考える女性」といった客観的な見方で捉えた作り方は、個々の色が強くなってきたグループを考える上で、最も適切だろう。
冷淡に動き続けるビジネスの荒野にあって、自分を信じて多種多様な色で咲き続けようと奮闘する、花。グループに熱を上げているコアなファンだけでなく、何かと世知辛い現代を颯爽と歩きたいと願う女性にも是非、この作品から毎日を突き進む勇気と、元気を受け取っていただきたいと切に願う。
どれだけ美化しても「10代の少女を、性的搾取する(だから、制服みたいな「学生を意識させる、コスチューム」着せられてるし)日本の、気持ち悪い、ビジネス」を、利用した、映画なだけ。
そこに「男性監督が撮ったら、そのまんま、「男の欲望を満たす対象としての、ロリコンアイドルのAKB」という、実情から離れられない」から
女性監督にドキュメンタリーを依頼していて、結局は「女性監督なら誰でもいいのでは」っていう、
「男」(本人もロリコンで、過去にプロデュースしていた人間と結婚している、秋元康)が作って「オタク男」を対象にして「キャバクラシステム」(貢いで、上位にいかせようとする)で、搾取している、
「男が、弱者である「女性で子供(10代)」を搾取して、自分が儲けるために、利用しているだけ」の、AKB という、日本の恥ともいえる、ビジネスがあり。
それを、「女性監督」ということで、「男が仕掛けて、男が顧客で搾取され、その茶番を男が記録して公開する」という、痛々しい構造をマシにしようとした、本作があるけど、
結局、上に書いたように「女性で子供という弱者を、男ども(あえて、そう、書く)が、搾取している、ロリコンビジネス」AKBという存在、
そのビジネスの一環としての、この映画を
「美化して、そういう、日本の恥といえる、「男が中心で」(政治家も、会社経営者も、権力側の9割以上が、男)だからこそ「女性で子供という存在が、過剰に、搾取され、消費されている」現状を
見ようとしない、ごまかした上での」レビューを書いていて
まだ、何にも考えられない人間が「〇〇ちゃんが可愛かったw」と、書いているような、レビューなら、マシだけど「考えているつもりで、実は、何にも考えられていない」このレビューの人みたいな、人間が「美化して、わかったつもりで、語っている」そういうのが、不気味で、怖いと思った。
(自称、「知性があるつもり」な人たちが、「日本の、男中心すぎ & それで女性や子供が、異常に搾取や消費をされている」事実を「見て見ぬふり」で、このレビューのように、わかったつもり、したり顔、で、実は「異常な環境を疑えず、再生産すること」書いているのとか、たまに、見かける。そういうのは「無知だと自覚している人間」の、発信よりも、罪が重い、と、思う。)