「死人の復活物語の終焉」星を追う子ども R41さんの映画レビュー(感想・評価)
死人の復活物語の終焉
人の心にある「何か」
それは地上人であれアガルタ人であれ、死人でさえも共有しているものなのかもしれない。
死というもの 誰も何もできないこと それを何とかできないかと考えること
これらを古事記 神話、超古代文明をファンタジーでまとめた作品
テーマは「生と死」だろうか?
ギリシャ神話などに描かれている死者との邂逅を表現した作品
この作品にも「君の名は」が散りばめられていた。
ただ、これは恋愛物語ではなく、死に対する喪失感を描いている。
古来からある死に対する想い。
全ての人が経験しなければならないもの。
そして寂しさで胸が張り裂けそうになる想い。
父の死
シュンの死を一切信じないアスナ シンと同一人物だと思っている。
そしてこれは、死人との別れを理解する旅物語
さて、
監督は何故この時代背景を昭和40年代にしたのだろう?
生々しい防空壕の後と先の大戦の遺物
戦地に赴いていた森崎の背景
手製の鉱石ラジオとグラビス
これらがアイテムとして必要だったからだろうか?
寂しさ
アスナが漏らした本音
仕方のないこと でも受け入れられないこと
アスナの心に働きかけ続けている何かは、音となって聞こえてくる。
遠いどこか
森崎の目的はあまりにも純粋で、彼の堪えがたい喪失感が伺える。
妻をなくして10年
子供が生まれていたら、アスナくらいになっていたのだろう。
アスナも森崎のことを父親像に当てはめていた。
森崎にはそのことがバカバカしいと思えたが、葬儀の記憶しかないアスナにはいつか父と一緒にこんな冒険がしてみたかったのだろう。
森崎も最後はその事に気づき、「君には生きていてほしい」と言ったはずだった。
さて、、
地上が変われないのと同様に、アガルタ世界も変われないことが描かれていた。
彼らは地上人を汚染されていると表現する。忌み嫌う。
滅びゆく種族と文明 どこも似たような構造
変われないことが、その原因ではないかとシンは言った。
シャクナビマーナに妻を生き返らせろと頼むが、魂を入れる肉体を差し出せと言われる。
「君にこの場に現れてほしくはなかった」と言ったのも本心だったが、同時に野望も垣間見れる。
このあたりのスリリングさは良かった。
森崎は戦争に行っていて、帰ってきた家で妻の死を発見したことになるが、この最後のお別れができなかったことが死を受け入れられないことに繋がったのかもしれない。
森崎のこのシーンは間違いなく妻との邂逅であり、最後の別れだった。
彼はそのために目まで差し出したことになるのだろう。
森崎はこの世界に留まる。
彼が地上に戻れば反逆罪となるのだろうが、そもそも狭間の海に飛び込むときにそれを覚悟したのだと思われる。
アスナも初恋のシュンの死を受け入れられなかったが、そっくりな弟のシンとの出会いで、出会いと別れを学んだのかもしれない。
シャクナビマーナの中でシュンとミミとの邂逅が、そうさせたのかもしれない。
あの場に彼女の父はいなかった。
父と会う前に戻るかどうかの選択肢が訪れたのかもしれない。
監督はこの物語の中で死者に対する想いを描いた。
人間は何でも考えつく。
背景の神話や前時代の文明では、死人をよみがえらせることができたと考えることと、それが起きた場合を描いている。
これは多くの作品でも同じように描かれるが、必ず死人は蘇ってもまた死ぬ。
それは、結局そうなった場合の先にあることを想像すれば、今のこの世界が矛盾するからだろう。
生き返った二人にもまた死がやってくる。
この時二人はどうすればいいのか?
物語としては結局これが残ってしまうのだろう。
堂々巡りになってしまうのだ。
だから物語の中でさえそれは許されないものとなっている。
死人を復活させたいという渇望 動機
そこにある純粋な思いと、受け入れなければならない思い。
正邪ではなく、そこにたどり着くまでの過程は、人間にとって重要なんだなと改めて思った。
同時に、死者の復活物語はもう終焉してもいいのではないかとも感じた。
答えはもう出てしまっている。
監督の想いとしては、この部分を昇華しておきたかったのだろう。
とても面白かったが、どうしてもラピュタのイメージは残ってしまった。
恋愛と死 このキーワードが「君の名は」へと続くのだろう。