アレクサンドリアのレビュー・感想・評価
全7件を表示
真実を見ようとする存在とそれを抹殺しようとする宗教的熱狂を文明都市アレキサンドリアを舞台にスケール大きく描いていた
「海を飛ぶ夢」でアカデミー外国語映画賞を取ったアレハンドロ・アメナーバル監督・脚本による2009年製作のスペイン映画。原題:Agora、配給:ギャガ。
ヘレニズム文明を継承するローマ帝国末期(4世紀)のエジプト・アレクサンドリア舞台に、女性天文学研究者で弟子を多数有する教育者でもあったヒュパティア(英国女優レイチェル・ワイズが演ずる)を主人公に、科学と宗教、エジプト多神教とキリスト教、ユダヤ教とキリスト教の闘いを描いていて、そのスケールの大きさに感心させられた。
ヘレニズム文明の流れを受け科学の殿堂でありヒュパティアが愛したアレキサンドリアの図書館、そしてエジプト多神教の象徴物が、新興宗教キリスト教の信者により徹底的に破壊される描写が、凄まじい。その後には、キリスト教信者とユダヤ教信者の殺し合い、そしてユダヤ人迫害と追放の描写が続く。
遠い昔の話だが、まさに今も起きている宗教絡みの殺し合い、その虚しさや不毛さを監督は訴えたいということか。多数派はカトリックながら、プロテスタント信者にイスラム教信者も多くいるスペインの監督だからこそ作れる映画とは思った。
キリスト教信心を勧められたが信念に反すると断る科学者ヒュパティア、彼女はアメナーバル監督にとってとても大切な知性を有し真理を追求するおそらく理想的な存在なのだろう。ただ、彼女は地動説を信じ、1600年代にケプラーにより見出された第一法則に先んじて、独自に地球の楕円軌道を発見していたとのストーリーは、色々調べてみてもとても事実とは思えず、行き過ぎた残念な脚色に思えた。
魔女としてキリスト教徒に捕まったヒュパティアを、憧れていたダオス(奴隷だったが弟子扱いをしてくれた)が助けると思っていたのだが、その期待は見事に裏切られてしまった。古書に記録有るらしい裸にされ牡蠣のカラによる残虐な殺され方は変えられていたのだが。歴史的事実を捻じ曲げる訳にはいかず、当然と言えば当然ながら、真実を見ようとする存在を抹殺する、今も存在する宗教的熱狂に対する監督の強い憤りを感じた。
製作フェルナンド・ボバイラ、アルバロ・アウグスティン、製作総指揮シモン・デ・サンティアゴ、ジェイム・オルティス・デ・アルティネイト、脚本アレハンドロ・アメナーバル、 マテオ・ヒル、撮影シャビ・ヒメネス、美術ガイ・ヘンドリックス・ディアス、編集ナチョ・ルイス・カピヤス、音楽ダリオ・マリアネッリ。
レイチェル・ワイズ(ヒュパティア)、マックス・ミンゲラ(ダオス)、オスカー・アイザック(オレステスオ)、アシュラフ・バルフム(アンモニオス)、マイケル・ロンズデール(テオン)、ルパート・エバンス(シュネシオス)、ホマユン・エルシャディアス(パシウス)、サミ・サミール、オシュリ・コーエンメドルス。
衝撃のラスト。これはただのドラマではない
史実をもとに、よくもまぁここまでの脚本を書けたなぁと感心せざるを得ない。
豪華なセットも完璧。
奴隷の目線も含めた、当時の宗教での殺し合いと、ある女性の生きざまを描いている。
他の神を、もしくは哲学を信じることは、それだけで死に値するのか。
神の名のもとに意味もなく殺しあう姿は、自分と他者はちがう、この神とその神は違う、という排他的な理由だけで、もはや野蛮人にしか見えなかった。
こうやって、多くの命も、歴史的価値のある本などが消えていったのだろう。
人の手によって。
素晴らしいアレクサンドリア図書館の破壊のシーンはおもわず涙が出た。
相手を変えて、終わることのない戦いの中、違うものを信じる者として、それでも一人の女性を愛する元奴隷の姿、人を愛する描写がすばらしかった。
叶うことのないだろう彼の愛を、いつの間にか応援している自分がいた。
3人の生徒たちの一長一短。最後まで彼女の愛をつらぬきとおしたのは・・・
まるで愛し合っているかのように抱き合う2人の後姿。
ラストがもう素晴らしい。
激動の時代に、愛する人を守ることができなかった。
去っていく彼はどこへ向かうのか。
愛する人を殺した神を彼はその以後、信じたのだろうか。
自らの命を絶つしかなかったかもしれない。
・・・とまで想像させる作りこみが素晴らしい。
この監督の他の作品を見たいと思った。
減点法の評価である自分に、この映画では減点すべきところが無かったので、
5とさせてもらった。
キリスト教批判
いきなりローマ時代の中に引きずり込まれるほど感覚が麻痺してしまいそうな映像。なにしろレイチェル・ワイズの女性像が古代の彫像のような雰囲気なのだ。そんな彼女は哲学者として功績を残し、集まった弟子たちに講義をする。コペルニクス、ガリレオ以前の天文学。星は決して落ちてこないが、物体は落下するという万有引力の法則をも解明しようとしているのだ。彼女に恋する男は奴隷のダオス(ミンゲラ)、弟子のオレステス(アイザック)など・・・
ダオスは奴隷の身分なので求愛はできないが、彼女の講義をしっかり聴いていてプトレマイオスの天球儀を作ったりして注目を集める。愚か者だと評されていたオレステスは公衆の面前で音楽を使いプロポーズするが、ヒュパティアは受け入れない。月経の血を沁み込ませた布を見せ、私には調和なんてないと答えたのだ。
キリスト教徒たちにアレクサンドリアのセラピスをはじめとする神々を侮辱されたとして、武器をもって報復しようとする偉いさんたち。その中には図書館長でもあるヒュパティアの父親テオンもいた。彼女は弟子たちに戦いに加わらぬよう説得する。弟子たちの中にもシュネシオス(ルパート・エヴァンス)などのクリスチャンがいたし、奴隷のダオスもキリスト教に傾倒していたのだ。暴動の際、「武器を取れ」と怒られた奴隷の一人が長老(?)を剣で殺してしまい、テオンも深手を負った。圧倒的な数に膨れ上がっていたキリスト教徒。戦いきれなくなったアレクサンドリアの民は図書館へと避難するのだ。
やがてローマ皇帝の使者がやってくる。ローマ皇帝はクリスチャンだ。反乱を起こしたアレクサンドリアンの罪は問わないが、神殿と図書館を破壊し、クリスチャンが所有することを求めたのだ。慌てたテオン、ヒュパティア、そして弟子たち。せめて重要な書物だけを運び出して自らの学問を守ろうとする。しかし、ダオスはキリスト教徒の群衆へと赴き、神々の石像を破壊し、なんと自分の作った天球儀まで壊してしまった・・・なにかに怒った目。奴隷制度への怒りなのか?その足でヒュパティアの元へ行き、彼女を力ずくで奪おうとするが、できない・・・ヒュパティアは彼の首枷をはずし、彼を奴隷から解放した。そして数年後、ローマは東西に分裂。アレクサンドリアはキリスト教徒たちの町へと変わった・・・ここまでが前半。
ほとんどの者がキリスト教に改宗し、今度はユダヤ教徒が新たな火種となっていた。共存はしていたものの小さないざこざが至る所で起こり、殺戮があちこちで繰り返された。そして主教キュリオス(サミ・サミール)がヒュパティアを魔女だと決めつけ、彼女を隔離する。女は従順であれ、男に教えを説くなかれ、などという理由でだ。それを神の言葉として全員にひざまずかせるのだ。今では長官となっていたオレステスだけがひざまずかなかった。しかし、キュリオスに対抗するにはキュリオスが力を持ちすぎていたのだ。
やがてヒュパティアが魔女裁判のように複数の教徒に連れていかれ、拷問を受けることになるが、自由民となっていたダオスは彼女に近づき、苦しむことのないように気絶させ、やがて信徒によって虐殺されるのだ。
レイチェル・ワイズはもちろんいいし、助演の2人が前半と後半では違った顔を見せてくれるのがとてもいい。特に愚か者と言われたオレステス!彼女に振られたにもかかわらず、依然崇拝していて、守りきれないことに苦悩する姿がいい。
これだけの力作がなぜアメリカで賞を取っていない?理由は簡単、狂信的なキリスト教徒への完全なる批判となっているからだ。神の言葉を受け入れない者は死に値する。信仰の押し付けに最後まで抗っていたヒュパティア。本当は単に学問に打ち込んでいただけなのだが、それに対しては女性蔑視という点で強引に処刑へと導いている。この事件の後、アリスタルコスが公言した地動説を唱える者は16世紀まで登場しないほど、科学を否定するキリスト教の強大さは凄まじかった。そして異教徒への迫害、宗教を盾とする戦争、どうして宗教のために人々が戦わねばならぬのだという理不尽さや虚しさをこの映画は教えてくれる。久しぶりにいい映画に出会えたけど、できれば映画館で観たかったなぁ。
I am free. キリスト教の暗部
紀元350年頃のアレクサンドリアの女性哲学者ヒュパティアを描いた作品です。今でいうと哲学者っというより天文学者っぽいのですが、天文学と数学が専門だった模様です。
日本では今一パッとしなかった印象の本作ですが、製作されたスペインでは大ヒットとなってます。しっかし、これだけキリスト教の悪い所を描いた作品が国民の70%がカトリックのスペインで良くヒットしたものです。作品自体は見応えあって、とても面白かったんですけどね。当時の建物の再現とか、暴動シーンとか、けっこう金かかってそうです。最近少ないですよね、金かけた歴史物って。
ラファエロの絵画「アテネイの学堂」にも描かれてるヒュパティアさんですが、正直この作品を見るまで知りませんでした。まぁ、古い話ですし、今となっては本人が書いた書物などは残ってないようなのですが、「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです」とか名言は今も残っています。良いこと言うわ~。
尚、映画では描かれませんでしたが、実際は貝のからで皮をそがれで虐殺されたようです。さすがにグロ過ぎて映像化は無理!映画での窒息死の方がまだマシです。歴史の中でこれまで一番人を殺した人類の発明は宗教ですし、実際キリスト教ってアレぐらいの事は余裕でやってたみたいなんですよね。よく「自分の正義の為なら他人に対してはどれだけでも残虐になれる」って言いますが、まさしくその通りな内容です。宗教を正しく描いた媚びてない映画という点でも珍しい作品だと思います。
歴史や宗教等にそれなりに知識が必要になってきますが、知ってる人は楽しめる事間違いなし!古代の美しい風景と、40歳過ぎてても美しいレイチェル・ワイズと、知的だった為に起こった悲劇のドラマと色々と楽しめる作品でした。
硬直化したドラマ
古代ローマ社会にキリスト教がいかに浸透していったかということに、一つの具体的なイメージを与えてくれるという意味で興味深い題材だ。
しかしながら、登場人物が皆頑固者ぞろいで、お互いの思想・信条に歩み寄りを見せるとか、相手の宗教への理解を示すとか、そうしたことが全く描かれていない。とにかく自分の主義主張を、文字通り命を懸けて貫いているのだ。
もちろん、これがそのまま映画の時代設定、社会状況、人間観となっていて、暴力による社会変革へ直線的に進んでいく様を描いたのだと言えば、それで画面に映ったことの説明はつくのかも知れない。
でもこれでは人間の心の変化という、映画というものが観客の瞳と心を最も強く打つ要素に欠けているのだ。つまり、ここにはドラマは描かれておらず、歴史上起こったであろう新興宗教による陰惨な社会変容を映しとったに過ぎないのではないか。主人公ヒュパティアは恋も名誉も命もかなぐり捨てて、古代の科学的知見を守ろうとした殉教者で、キリスト教徒は彼女の命と一つの文明を地上から消し去った事実だけが残る。
はるか上空から見た球体の地球を何度も映し出したのは、この映画の人間ドラマの欠乏を糊塗してるように思えてならない。宇宙の存在とその歴史にしてみれば、地上の人間の心などとらえようもないほど些細なものであると。
ヒュパティアがいよいよ最期を迎えるときに彼女の後ろには、一頭のオオカミと、そこから乳を授かる双子の赤ん坊の像が見える。言うまでもなく、ローマ建国の伝説であるロムルスとレムスである。史上有名なアレクサンドリアの図書館や灯台など、VFXを使用した古代文明の描写は観ていて飽きない。
ここに人間ドラマが加わっていれば、とても壮大な歴史スペクタクルロマンになったはずだ。
主人公が時代の流れに対して何もしていない
総合:65点 ( ストーリー:65点|キャスト:70点|演出:75点|ビジュアル:85点|音楽:70点 )
私は知らない人物だったが、これを観る限り、古代にこれほどの知性と才能を備えた女性学者ヒュパティアが歴史のうねりの中に消えてしまったのは人類の大きな損失だった。
だがそのヒュパティアの科学への探求と生き方が描ききれているわけでもない。宗教と歴史の動乱の描き方が良かったし、全体の質は高いのだが、ヒュパティア本人が作品中の動乱の中に埋もれてしまって目立っていない。演じたレイチェル・ワイズの演技が悪かったとは思わず、この動乱の中での彼女の役割がはっきりと物語として描かれていなかったのが原因。宗教を絡めた対立が起きているとき、彼女は研究に勤しみ自分の生き方を貫く。だが社会の大きな変化に関心を示さず自分の研究に集中している彼女の生活が、作品の動乱の流れの中で浮いてしまっている。キリスト教徒になるのを拒むといった能動的な部分は少しはあるものの、ただの不幸な犠牲者の一人程度の扱いになっている。
彼女のことより、むしろ宗教を軸にして人々の酷い動きを描いていったほうの描写と、宗教が力を持って国を支配していく流れのほうが面白かった。権力構造の変化によって人と社会が変わっていくし、血生臭い部分を堂々と見せる演出に迫力があった。大量動員して古代都市を描いて死体を写した映像はかなりの出来映えだった。残念ながら、ヒュパティアと社会の動乱の2つの流れがうまくまとまっていなくて中途半端に感じる。
この作品のアレハンドロ・アメナーバル監督、前作『海を飛ぶ夢』でもキリスト教の牧師か誰かがあまりいい役で出てこないし、今回もキリスト教が権力を握り排他的で残虐な動きに出ることを描いた。キリスト教徒の多い欧米でこのようなことを描く作品を作るのは障害も多いはずだが、それを堂々とやってしまったのは驚いたが、それでも制作されたスペインでは売れたというのもまた驚いた。
ヒロインの感情描写不足の気がしてならないは何故?
期待し過ぎてしまっていたのだろうか?観終わった後で「観なければよかったのに、残念だった」と正直に言えば、こんな言葉が自然に口をついて出てしまっていた。大袈裟では無く、そんな気持に襲われる自分が嫌になる映画だった。殆んど映画は自分一人で観るので、独り言を本当に呟く事はめったに無いのだが、ついこのセリフが無意識に出てしまう程に期待を裏切られた。観るのを楽しみにしていた作品だけに、残念に思えてならないのだった。
これは、あくまでも私の個人的な感想で有り、この作品の出来が悪いとは、決して言えないのかも知れない。何故なら、この作品の監督は、スペイン出身のアレハンドロ・アメナーバルで、彼の過去の作品には「蝶の舌」や「海を飛ぶ夢」と言う素晴らしい作品が有りついあれらの作品以上の素晴らしい作品を作ってくれているに違い無いと無意識に私の一方的、且つ個人的にこの監督に期待し過ぎていただけなのかも知れない。だから白紙のサラの状態で観る事が出来ないでいるが故の今回の評価になってしまったのかも知れない。
大風呂敷をドカッと広げられて、中はゴロゴロと大きな原石の塊が転がり出して来た感じと表現したら良いのだろうか?・・・
映画のヒロイン、ヒュパティアの心の奥の苦悩がドラマとして描かれていない印象を受けてしまうのだ。
只ひたすらに学問にだけその身を捧げて生きた彼女ではあるのだろうが、その彼女が自分の総てと言っても良い、研究の場である図書館を追われても、研究を続けている姿が、淡々と描かれていくのは、其れほどまでに彼女が学問にその人生の総てを捧げ尽くしていた証なのかも知れないだろうが、映像表現である映画は、観客に対して、ヒュパティアの苦しみの心理状態を映像として伝えなければ映画芸術としての表現を果たしたとは言えないと思うのだが?
それこそ、音を消したサイレントでドキュメンタリーを作り字幕を指し込んでいない作品を見せられているようで、「彼女は、初代鉄の女?」自分の身に降りかかる運命の出来事でも感情が無い人間かの様に描かれている気がしてならないのであった。
しかし、この監督がヒュパティアを意識的に、冷酷な差別主義者で奴隷に対しても何の人間的価値も認めない、哲学だけを論じて生きていれば、それで良い人間で、彼女に人間的な感情は無いと意図的に描いているのであれば話はまた別である。
この時代の奴隷には、仕事さえ立派に果たしていれば、「ヘルプ」や「アメージンググレイス」が描いている様な奴隷階級者に対する差別的な感情を持って生きる人は少なく、奴隷制と言うカースト制度は存在するものの、もっと緩やかで自由が奴隷にも認められている奴隷制度であったと言われているこの時代のカーストだが、ダオスに対する心情も、頑ななまでに無視されている。これ程までに優秀な哲学と天文学を極めていたヒュパティアが学問の研鑽を積む過程には人間愛がなければ、研究は出来なかったと私は推測するのだが、
映画や、文学、音楽、芸術の総ても、科学の世界も極めれば、人間が生きると言う事の意味を考える事にも通じてゆき、宗教と結果的に科学も芸術も、人の営みそれ自体に、宇宙との一致を観ると思うのだが?この映画を観ると、そこには何か一致する様な繋がりが微塵も描かれていない気がして、疑問だけが残るのだった!
宗教は人を救う筈なのだが、宗教によって救われる事など決して有り得ないとこの監督は表現をしようとしているのだろうか?
或いは、戦にだけ明け暮れる人間は罪深い野蛮な輩とでも言いたいのだろうか?
戦闘シーンの残酷なところが延々と続く印象しか残らない作品であった事は、如何にも残念でならない。レイチェル・ワイズを起用しているのに、何とも勿体無い映画だった。
全7件を表示