髪結いの亭主のレビュー・感想・評価
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何かしらのテーマがない映画でもいい
床屋の婦人にエロい気持ちになった男の子が髪結と結婚したいと夢見て、エロい女と結婚してエロい日々を過ごす話。
夢オチか?と思うほど男にとって都合のいい話。
「何かを描かねばならない」とか「この映画のテーマは?」を否定した代表したような作品。僕には向かなかったが。
おもしろい男目線の映画
男向けの映画のようだけれど、 女の私が見てもそこそこ面白い。
しかし疑問はいっぱい。なぜアントワープはあの年になるまで結婚しなかったの…
そして、マチルダは美人だからほかに相手はたくさんいるでしょ…(若い美女と中年男の組み合わせは男の願望なのか。)
これらを真面目に考えるのは無粋だろうが。
マチルダは自分が一目惚れされたということがとても気に入っていたらしい。男の気持ちがどれほど熱烈なものか試しもした。 どうやら女として1日中見つめられることが大切なことであったらしい。
もちろん大抵の女はここまで単純でないだろう。だから、これはなかなか男目線の映画だ。どうぞ勝手に楽しんでください。こういうのは好みの問題でもある。
そして、結末は悲しい。しかし、こんな女が世の中にいてもいい、と思える。
ま、全体的に粋な作りではある。
そしてユニークなユーモアのセンスが楽しい。画像も美しい。
ちなみに父親のことばが個人的にはヒット。
…人生は単純だ。物でも人でも強く望めば手に入るものだ。失敗するのは望み方が足りないからだ…
いいなぁ、この言葉🤗
愛とは
絵面が美しいけど、中身はエロ変態、という映画は好き。美しいは最強。そして物悲しい。南フランスが舞台っぽいが、明るい日射しの中で微笑むマチルドが、めっちゃ色っぽくてきれー。脚もスラリと伸びてきれー。こんなに魅力的な女性が、なぜヘンタイおじさんに惹かれるのか…謎だ。たぶん、マチルドは過去に何ごとかあったんだろう。自分に自信があって強ければ、あんなヘンタイおじさんに依存しない。でも、彼女は彼に満足しているし、信頼しているし、愛している。そして、幸せなら幸せなだけ、失うことが怖い。不安が徐々に彼女を侵蝕していく。で、自分で終わりにした。愛って…複雑で制御不能。
アントワーヌのダンスは独特で面白い。北アフリカか中近東の音楽っぽいけど、生き生きと楽しそうに踊るのでいい。見てる人も笑えるし元気になる(変な顔する人もいるが)。彼は自分の好みは貫くが、だからといって強引ではない。プロポーズも紳士的だった。マチルドは彼との濃密な時間から逃れていったが、彼はどうなるだろう。思い出を反芻しながら生きるだろうか。それとも忘れるだろうか。また髪結い女を求めるだろうか。私の想像では、愛した女たちの幻影を見つめながら、ゆっくり壊れていくような気がする。
2階にも部屋があるが、終始1階の店でのみ語られる物語。夢のような儚さと美しさがある。
BS松竹東急の放送を鑑賞。
チェリーボーイの毛糸のパンツのようにチクチクと刺さった
私が小学校高学年か中学生になったばかりの頃、近所に新しい床屋(理髪店)が開業したので、行ってこいと言われた。30前後の若い女性が店主だった。カミソリを皮で鞣すしぐさにドキドキした。椅子を倒されシャンプーされると気持ちよくてイきそうだった。はじめて眉毛の眉間やうぶ毛のひげを剃ってもらい、鼻毛を小さなハサミで切られると恥ずかしくて、鼻血が出そうだった。彼女はそんな私をお見通しで、わざとエレガントかつ猟奇的に仕事をこなしたのかもしれない。まさにまな板の上の鯉だった。その店に行ったのはその次の2回限りで、そのあとは店の外から彼女の姿を時々覗き見るだけだった。完全に自意識過剰だった。そのことを今頃になって鮮明に思い出して、なんで通い続けなかったのだろうと後悔している。もしかして、もしかしたかもしれないのに。
中年になってから理容師のマチルドと結婚したアントワーヌのこだわり。毛糸のパンツのようにチクチクと刺さって、ザワザワした。
少年時代の微妙な思い出
映画の中で語られなかったこと
1991年に映画館で見た。
毛糸のパンツで海水浴をしたら、さぞ股ズレが痛むだろうと共感した。
マチルドの髪が、肌が、瞳が、光るように美しかった。
女性の匂いや重みや温かさが、スクリーン越しに感じられるような気がした。
30年経ってもう一度見た。
毛糸のパンツ以外にも共感出来ることが多くなっていた。
髪結いの亭主になりたがる気持ち。
髪結いの亭主になりたがる子供を反射的に叩いてしまう父の気持ち。
髪結いの亭主になったと聞き、熱を出してしまう母の気持ち。
髪結いの亭主になった弟を祝福する兄の気持ち。
床屋の中を吹き抜けていく様々な客、それぞれの人生。
好きな人と一緒に暮らしを重ねていく幸せ。
好きな人と体を一つにする幸せ。
そうして、幸せの真っただ中で、幸せが怖くなって自殺をしてしまうマチルドの気持ち。
この映画の中ではマチルドの過去は消して語られない。
彼女はどんな両親に育てられたのだろう。
どんな兄妹がいたのだろう。
彼女はどんな男と付き合ってきたのだろう。
突然プロポーズをされてから、何を考えたんだろう。
冷たい水の中に落ちるまで、何を考えたんだろう。
もうこの年になったから判る。
答えなんか重要じゃないことが判る。
答えなんか重要じゃないけれど、いろいろ想像する。
そうしてスクリーンの中の様々な人生と、スクリーンの外の実人生が溶け合い交じり合っていく。
今度は何年後にこの映画を見るのだろう?
その時何を考えるのだろう?
夢現
【”嗚呼、私もアントワーヌの様な髪結いの亭主になりたい・・。けれど幸せの絶頂で妻を失いたくはない・・。”エロティックな髪結いの妻マチルドの姿も印象的な作品。】
ー 1947年、アントワーヌ少年は、行きつけの髪結いの店で太った体臭の強い赤毛の女主に恍惚とした表情で、散髪をしてもらっていた・・。
そして、見てしまったのだ、豊満な乳房を・・。
それ以来、彼は独身を貫いていた・・。-
◆感想
・中年になった、アントワーヌが店をインド系の男性イジドールから譲られたマチルド(アンナ・ガリエラ:エロティックな匂いが漂ってくるほどの色気である・・)の店を訪れ、最初は”予約で一杯”とあしらわれるが、その後散髪中に、プロポーズするシーンは印象的である。
- 少年時代の強烈な性的体験が人生に及ぼす影響をここまでは、肯定的に描いている。-
・劇中、頻繁に流れるインド風ミュージックのインパクトも強い。
フランス映画で、マチルドを筆頭としたフランス美人が多数出演する中でのギャップ。
・結婚して10年経ち、客の髪結いをする妻のショーツを脱がせ、後ろから妻の股間をまさぐるアントワーヌの姿。
そして、幸せの絶頂だった筈の、アントワーヌとマチルドの雷鳴轟く中での、店の中での性交。
その後、マチルドは買いものに行くと言い残し、増水した川に身を投げる。
ー このマチルドの身投げの理由は、劇中では語られない。
鑑賞側は、一人残されたアントワーヌが店に残り、客が入ってきた時に言う台詞
”今、髪結いの女性が来ますから・・”
という言葉から、イロイロと類推するしかない。
髪結いの亭主の意味は、一般的には”自分は働かず、妻が家計を支える”
というモノであるが、今作は幸せな10年を過ごしたマチルドの身投げの理由は、見る側に委ねられる。
”幸せの絶頂で人生を終えたい”と言う想いなのか、
”アントワーヌの夢を叶えて、自分の役割は終わった”と判断したのか・・。
<様々な解釈が出来るラストシーンであるが、作品全体を通して、印象深い作品である。
映画とは関係ないが、フランス女性の体臭は、ナカナカにキツイ。
それ故に、パフューム(香水)文化が発達した事は、万民が知る所である。
ナポレオンが熟睡中、家臣が悪戯で青かびチーズを鼻もとに持って行った際に行ったという台詞
”ジョセフィーヌ、今宵はもう十分だ・・”は余りに有名である。
何故、私がフランス女性の体臭が強いことを知っているかは、口が裂けても言えない・・。
と書くと誤解を与えてしまうので、数年前フランスに出張に行った際に、現地のガイドさんに教えて頂いたベルサイユ宮殿には、昔はトイレが無かった事。
ルーブル美術館でイロイロと教わった事(恐ろしく大きく、一週間かけても、見切れません・・。)
幸せの絶頂だったのでは?
彼女のとった最後の選択はなかなか理解できませんが、よい映画でした。1980年以降、フランス映画はあまり面白い作品は数少ないですが、アメリやディーバとともに面白かったと言える作品のひとつです。
意外なるボディブロー
かれこれ20年ぐらい気になってたし、同じルコント作品の「橋の上の娘」は昔、両親と劇場で観たので(←それもすごいな、、)だいぶ自分のなかで期待値は上がってたんですが。
いやはや、、フランスものだし、官能って書いてあったし、てっきりブリジット・バルドーの「殿方ご免遊ばせ」のようなエロチックコメディだと思っておったのですよ(それも古いな)。こんな、しっとりとした文芸ロマン的なテイストだとは夢にも思ってませんでした。冒頭――つまりアントワーヌの少年時代――からけっこうしっかりとした語り口で、"あ、これ、どうやら単なるエロチックコメディじゃねぇな"っていう予感はしたのですが。
アンナ・ガリエナ?色っぽいですねー、、仏製キム・ベイシンガーって感じですか(キム・ベイシンガーよく知らないので適当に言ってますけど)。ロシュフォールも雰囲気が良い。マイケル・ナイマンの音楽も。脚本も。
ラストも、説明過多でないのは良いですね。やたらハートフルで子供騙しで説明過多な邦画やドラマには辟易なので、こういうのはさすがだなと思います。しかも製作90年か、、(衝撃)
ただ、"霊の恋でも肉の恋でも"(←あえて古い表現を使ってみた)、二人いっしょに幸せの絶頂で逝こうというのならまだ分かるんだけど、愛する人を遺して一人すすんで逝く気持ち、私には分からないな。分からないし、アントワーヌ可哀想。
幸せすぎてもう生きられない、っていう境地だったのかもしれないけどね。
遺されたアントワーヌってか相手のこと考えたら、、私は無理だな。なんて、まぁ自分の身に引き寄せて、そんなことを思いましたわ。
ビビビ
ビビビ!です。
踊れ踊れ。
一瞬は永遠。永遠は一瞬。
フランス本国なのか、はたまたフランス語圏アフリカのアルジェリアの街角なのか、
夢もうつつも渾然一体な、少年アントワーヌの白日夢のような映画でした。
マチルドの去った床屋で、相も変わらず踊ったりクロスワードパズルを埋めたりしながら、妻の帰りを待つアントワーヌなんですけど、
おそらく、次なるマチルドを彼は見つけるのだと思う(笑)
ブルドーザーで川を堰とめるような、単純で無謀な閃きをアントワーヌは実行してしまうのだから。
さて、
過去不明の天涯孤独なマチルド。その眼はいつも遠くを見ている。
・・彼女が幸せであったのか不幸せであったのかよくわからない。彼女の結婚は10年ほどであったけれど、波長が合ったらしい二人にとっては、あの10年は必要十分だったように見える。
幸福の絶頂をとどめて、ブリザードフラワーになったマチルド。本人がそう言っているのだからその通りなんでしょう。
ねっとりしたアントワーヌの視線をかわして、彼女は自分の個の人生をさばさばと生きるのです。これぞフランス映画って感じです。
ホタルは、成虫になるとわずか一週間の命だそうです。餌は食べずに、水だけを飲み、パートナーを探して命を終える。
相手を見つけてその一時だけ、それぞれの理由とか衝動とかが一致するその僅かな時間だけ、雌雄が同衾をするって、ホタルに限らず人間にもあるんでしょう。
一緒に生きる時間の充足度は、関わった時の長短には依らない。
この床屋には様々な珍客が訪れて人生模様を見せてくれました。
そして表通りからも店内は丸見え。
でもお構い無しの二人。整髪料も呑んじゃうとかはっちゃけている。人間って途中から壊れるんじゃなくて元々壊れてる。
例えばリンドグレーンの児童書を成長させれば“大人バージョン”はこんな感じになるのかな?
ル・コント監督の作品をもう少し探索してみたくなりました。気持ち悪さを覗き見る興味です。
日本人キャストで演るなら?
そりゃあもう岸恵子と山崎努でお願いします。
愛のかたち…
ルコント作品は好き♪
ルコント作品って、つまらないストーリーであっても惹きつけられる魅力がある。エロチックであっても見せないエロス。完全に男目線であるけど、男のいやらしさよりも自然な欲望。イタリア映画では少年時代の淡い性欲を描いた映画が多いけど、それともどこか違う。
この映画の場合は独占欲が強い男アントワーヌだけど、50過ぎてもようやく二人目の理想の女性だったのだ。少年時代の憧れの理容師は鎮静剤の飲みすぎで死んでしまったという苦い経験。ずっと見守っていたいがためにマチルドに仕事をさせ、自分は店のソファでくつろいでいる。たまに理容中でも後ろから胸を揉み愛撫はじめる。
卓球好きの客、床屋嫌いの子供、など個性的な客も魅力的だが、アントワーヌがイスラムダンスを踊ったときの客の喜びようがなんとも言えない。しかし、マチルドの自殺・・・幸せな日々は永遠に心の中にしまっておいたほうがいいのか・・・ファンタジーっぽいけど、残された者の悲しみが胸に痛い・・・
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