君を想って海をゆくのレビュー・感想・評価
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今観るタイミングだった
移民とか何故クルド人が迫害を受けるのか?数年前までは、興味を持たない限り知り得ない事だった。
最近はアフガニスタンの厳しい情勢で、必死に国外に逃げようとする人々をニュースで見たり、仕事柄入国管理局の対応を目の当たりにする機会もあった。
少し前には東京で差別的な扱いを受けるクルド人のドキュメンタリーを観た。
東京クルドというその作品を観るまで知らなかったが、日本はトルコ出身のクルド人の難民申請を1人も受け入れておらず、仮放免のクルド人が2000人以上いるそうだ。
本作の主人公はイラク出身のクルド人で、フランスから密航しようとする所からはじまる。
イギリスにいる恋人に会うために泳ぎを習う純真な少年と、人生に疲れ果てた元メダリストの水泳コーチ。
フランス政府の移民への差別的な状況がかなり厳しく描かれるのだが、お互いの事情が徐々に明かされて行くたびに、人種も立場も超えて相手の事を思うようになる姿に胸が熱くなる。
地味だが、静かにお互いの関係性を築き上げる姿は実にフラットで人間らしく美しいかった。
あなたは歓迎する?
難民(政治、不法)は普遍的問題になってきている。ただ、どこからの難民がフランスに入国しているかは時代によって違ってくるし、フランスの移民政策も大事になる。この映画で2千年の初期はマグレブ地方の難民、不法侵入ではなくアフガニスタン、それに、イラン、イラク、トルコなどに在住しているクルディスタン地域のクルド人が。「移民の選別化」を主張するサルコジ大統領。この情況を踏まえた映画であるから、当時のフランスの実態が窺えるが、いまも移民難民問題をわれわれに問題提示している。
そして、フランスだけでなく、先進国と言われる国々に難民として先進国の福祉援助で生活をして、今ではその2世が語学、文化のハンディーを乗り越えて社会で活躍し始めている。サルコジもそのひとりだった。日本も当時クルド人を一人難民認定したと聞いたことがあるときく。
1980代に米国はアフガン難民を大量に受け入れている。カルフォルニアのフリーモント市にはアフガニスタンのコミュニティーがある。『君のためなら千回でも』(2007年製作の映画)https://filmarks.com/movies/32594/reviews/75874476 という映画はこの作家カリード ホセインKhaled Hosseiniの個人的な経験が入っている。彼はアフガニスタンからの難民一世だが、作家で医者になっている。それに、国連の難民のなんかの組織に入ってもいると思う。
私の知り合いのクルド人は米国に政治難民としてイランがシャー(モハンマド・レザー・シャー在位:1941年 - 1979年)からホメイニの権力に移行したとき移った。これはクルド人ばかりでなく、イラン人が多かったと。
そしてこの映画で2千年初期、当時の大統領はサルコジで、ユダヤ系ハンガリーの移民2世だ。彼は不法移民の取り締まり強化している。合法的な滞在ステータスを持たない労働者に対しては管理を強化する傾向にある。
映画は『2008年2月13日、ロンドンで』と字幕がまず出る。そのあと、フランスの港町Calaisカレイにイラクのクルディスタン地域からきた青年、ビレイ(フィラ・エベルディ)がロンドンの友達の妹と電話で話しはじめる。彼はイギリスに行く予定だと理解する。
ビレイが港でほかの難民に話かけると、『アフガニスタン、わからないよ』言われる。ここで、理解したのは、この当時のフランス、特にカレイはアフガニスタンからやクルドからの政治難民や不法移民が多かったと。The Jungle (カレイの非合法の移民のいる波止場)
でイギリスにいるはずのゾラン(イラクの北方Mosulから) にあう。ビレイがどこを通って、カレイに着いたか説明されていないがアルバニアで電車の下に掴まったことがあると言ってるから、そこを通ってきたのは間違いない。
経済的需要に応える移民を引き上げようと国は考えているけど、ビレイのような難民(戦争が起きている国からの難民)はフランスでは不要と。
私は映画館鑑賞後、2009年の5月の監督フィリップ・リオレの短いインタビューを読んだ。そこで、シモン(バンサン・ランドン)がカレイを一泊させたとき、翌朝、警察が家宅捜査にきたシーンがある。監督はこのことを『不法移民の面倒をみないこと(Hostile Climate) が法律で奨励されている。市民が不法移民を助けたりすると、4万ドルの罰金か5年間刑務所の入れさせられると。これを第二次大戦中の市民がユダヤ人をボランティア的に助けたことと比べている。その時の警察は朝7時に匿ったとされる家をノックして、見つけだしたら、強制送還する。』
サルコジの移民大臣、Eric Besson, はカレイに来て、『人道主義的サービスは不法の民には与えられるが、The Jungle (カレイの非合法の移民のいる波止場)地域は閉じる(12/31/2009)と。そして、ここはアフガニスタンのカブールじゃない。フランスだと。
サルコジは、「移民に対してフランスはオープンだ。でも、誰がフランスに滞在すべきで誰が滞在すべきでないかを決めるのは、フランス国家だ』と言っている。
この映画はフランス、サルコジ政府はだれもを歓迎(Wecome)しないよ。我々の基準に合った移民は歓迎するよと我々に伝えている。これに対する私個人の考えは決まっているが、あなたは?
フランスにおける難民問題
密航に失敗したクルド難民の少年ビラル(エヴェルディ)は裁判所で略式裁判を受け釈放されるが、すぐに海の方向へと向かう。水泳コーチのシモン(ランドン)と出会い、金を払ってコーチを頼む。何度かコーチを受けたビラル。シモンは彼の目論みを察知し、10時間もかかる無謀なことをやめろと諭す。最狭地点で34キロのドーバー海峡。やがて少年と心を通わせ、何度も自宅に泊めたりもしたシモン。しかし問題は山積み・・・
フランスにおける難民問題。港町のカレだけでイギリスに渡りたい難民が500人。難民の受け入れに関してはディテールがなかったけど、普通なら強制送還したいが祖国が戦争中という理由で送還できず野放し状態。妻マリオン(ダナ)とは離婚間近であったが、彼女は難民に食料を配給するボランティアをしていた。そんなボランティアも警察からマークされ一掃されようとしていたのだ。ビラルの恋人ミナの一家はなんとか許可されイギリスへ。多分、難民申請が上手く受理されたのだろう。
シモンは難民を泊めたという罪で逮捕。ビラルは自力でドーバー海峡を越えようとしたが保護される。そして、ミナからの電話で父親の命令で結婚させられると打ち明けられた・・・もう一度ビラルは海峡越えに挑戦するが、イギリス沿岸まで泳いだところ力尽きて死亡(なんとなくイギリス沿岸警備艇が原因のような気もするが詳細はない)。
ビラルが死んだことすら涙が流れないほど感情を抑えた作り。むしろ人々の難民に対する冷たさを描いた映画だ。タイトルの“WELCOME”がどこか白々しい響きを持っているほど。シモンのアパートの玄関にあるマットに書かれたWELCOMEは皮肉だとしか言いようがない。そして離婚調停集のマリオンにしても、難民に関わるなとシモンに警告するにも拘わらず自分はボランティアに精出してるのだ。これはもう慈愛のサガとでもいうべきものなのか・・・2人はそうした共通項がありながらも離婚する・・・これも現代を象徴すべき夫婦の問題か。これがまた恋人に会いたい一心で密航しようとする無謀な生き方と対照的で面白い。
タイトルも英語表記。クルド難民たちとの会話も英語。フランス人同士はフランス語だった。
☆☆☆☆ ※ 鑑賞直後のメモから (原題の)タイトルが最後に出るの...
☆☆☆☆
※ 鑑賞直後のメモから
(原題の)タイトルが最後に出るのだが、(或る方法で、映画の途中にも表される)難民に対するフランス人の、表の顏と裏の顏。本音と建て前のギャップが激しくて、タイトルが出たときな、胸の奥底に憤りを感じてしまう。
2010年12月25日 ヒューマントラストシネマ有楽町/シアター2
悲しき運命 悲しき恋
あんまりネタバレな事はいいませんが
多少あります!!
映画見る時はなにも頭に入れたくない人は見ない方がいいと思います。
17歳のイラク難民ビラルは恋人に会うためイラクからフランスまで歩き フランスからイギリスへ密航するが、失敗に終わり 海を泳ぎで渡る事を決心 元水泳チャンピオンのシモンから指導を受け始めるが…
悲しい結果ですが だれも悪くないと思う。政府はすべきことをしただけ、少女のお父さんも少女の将来を考えてそうしか出来なかった ビラルが少女を想う気持ちはまっすぐで偉大でした。
皮肉にも映画の原題はWELCOME
これは現代版「アンネの日記」か?人は何故平和を選べず戦争を繰り返すのだろう?
映画では、描かれていないが、イラクのクルド地区を出発して、ひたすら歩き続ければ、ヨーロッパに出て、フランスの漁港の街カレに行き着く事が出来るのだろうが・・・
イラクのクルド地区に行った事が無い私には解らないが、きっと大陸続きに、この荒野を3カ月もの期間中彷徨いながらを歩き続ければ、着くのだろう、しかし、そこに生きて到着する事自体が奇跡的な事の様に思うのだ。どうやって、17歳のビラルは山越えをしたのだろうか?その苦難を考えてみただけでも、胸が苦しくなる。
最近の難民事情に明るく無くて、難民人口分布が数字的にどうなっているのか不明の為にその事に付いては記す事が出来ないが、しかしこの映画を観ると、こんな世界は、理不尽で狂っているとしか思えなくなるのだ。
確かに、難民を徹底的に受け入れていない、日本人には、フランス政府や、イギリス政府が難民を取り締まる苦労や、難民が増える事に寄る経済的損失、或いは治安の悪化のどの弊害が起きてしまう事などに付いて知らない私達には、これらの国々を非難する事は出来ないだろうが、しかしイギリスはアメリカのイラク攻撃を支持して、イラクの南部地方のバスラ一体を統治したりしていたのだから、戦争を仕掛けて、戦争によって行き場 (文字通り、生き場=生きて生活する場所を失ってしまった人々)を失ってしまった人々を、取り締まり、差別するなんて、理不尽だ。
元水泳金メダリストのシモンは、現在ラレと言う漁村で、水泳のコーチをしていて、妻のマリオンとは離婚調停の真最中である。そんなシモンの水泳教室にビラルはやって来て、水泳を習う事になる。
シモンは、このビラルがフランスから英国への超距離トラックの荷物に混ざり、ドーバー海峡の向こう岸のイギリスへ密入国を試みて失敗をした事を知る。
17歳のビラルは親友のミルコの妹のミナと恋中で、彼ら家族は、みんなでイギリス移住の申請が認められた為に、現在はイギリスに居るので、そのミナに会いたい一心でバスラから尚も、イギリスを目指している事情を知る。シモンは段々とビラルを知って行く中で、親子の様な絆で結ばれる。
皮肉にも、シモンがビラルをかくまっている事を嫌う、近隣の住人が警察にシモンの一件を密告する。その住人の家の玄関マットには、(WELCOME)の文字が描かれていて、それが、そのままこの映画の、原題名となっているのである。
難民を犯罪者でもあるかの様に扱う行政や、心なき人々が多い現実で、全く皮肉な事だ。
しかしどんな境遇でも、若さとは素晴らしいエネルギーの源だ!ビラルは未だ17歳なので、ミナに夢中であるが、それだけではなく、イギリスへ行ったら、マンチェスターユナイテッドに入団し、サッカーの選手になってミナと暮す事を夢にているのだ。
この夢に向かって、ひたすら歩み続けるビラルの中に、きっとシモンはかつての自分を見ているのだろう。シモンの妻のマリオンは学校の教師をしていて、難民に給食のボランティアをしている。この優しい2人はどうなるのか?ビラルの結末は?是非この感動を映画で観て、体験して欲しい!ところで、イラクでは本当にサッカーが盛んなのだ!
原題の皮肉。
名画座にて。
この日はこれともう一本観たのだけど、いやはや、二本とも凄い結末。
エ!?そうなるわけ?とビックリもしたのだが、リアル性で考えれば
これも普通にあり得ることで…夢見がちな自分脳をガツンとやられた。
監督如何でラストの価値も斯様に変わる。たまにはこういうのを観たい。
この監督の作品は「灯台守の恋」が印象的でこの時も、お!そうくるか!?
と思った記憶がある^^;いい意味で期待を裏切る監督なのかもしれず…。
それにしても、どこの国でも難民、不法入国者問題は複雑なのだなぁと
今作でフランスやイギリスの実状を知った。クルド難民については詳しく
知らなかったが、港町カレーにはいつも難民が溢れているのだそうだ…。
そして今作で核となるビラルという青年。まずイラクから三ヵ月かけて
4000キロ歩いてここまで来て、トラックでの密航を試みるも失敗、次は
泳いでドーバー海峡を渡るぞ!と思うこと自体凄いのだが、それもこれも、
ロンドンに渡った恋人に、ただ逢いたいがため。この真っ直ぐな純粋さ。
家族でロンドンに移り住んだその恋人には、すでに親が決めた婚約者?
らしき人物がおり(むろん彼女は嫌々)彼女の方も彼に逢いたがっている。
この二人のやりとりを目の当たりにした水泳コーチ・シモンの心は揺らぎ、
自身の抱える離婚問題、彼らを手助けすれば罪に問われるのを承知で、
ついぞビラルの水泳コーチを引き受けることにする。メキメキと上達した
ビラルだが、なかなか海峡を渡りきることができない。そしてある日…
今作でグッとくるのは、とにかく彼女に逢いたいがため(それだけの想い)
お前バカか!?と思うくらい真っすぐなビラルの行動に対して、である。
これが「若い」っていうことなのか^^;コーチを引き受けるシモンにとって、
いま自分に最も必要なものを突きつけられた感じの唐突な彼の行動力。
それにしても惜しいのは、シモンとボランティアに励む最愛の妻、彼らが
なぜ離婚しようとしているのか、今ひとつピンとこない。どう見てもお互い
想い合っているし、そもそもシモンがコーチを引き受けたのは、彼女と
やり直したいからであるが、そこまでの彼の心の変遷が全く分からない。
切羽詰まったビラルとは対照的な(だからあの台詞が活きるのだろうけど)
中年カップルの行動には、うーむ…という感じが捨てきれなかった。
さて…冒頭にも書いた、エ!?と驚く結末。
その後のシモンの行動と合わせて、さらに考えさせられることになるが…。
(原題:WELCOME、とは何たる皮肉。それでも誰かを想うことは必要なのだ)
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