サラエボ,希望の街角 : 映画評論・批評
2011年2月8日更新
2011年2月19日より岩波ホールほかにてロードショー
史上最悪の民族紛争がもたらした傷の深さと再生への道
銃撃の音が止み、破壊された建物が復旧されて通りに活気が戻っても、戦争が終わったとは言えない。人と人が憎み合い殺し合った記憶が心に空けた暗い穴は、決して埋まることがないからだ。「サラエボ,希望の街角」は、その奈落を抱えて再生の道を探すカップルの姿を通して、戦争がもたらす傷の深さを描いた作品。銃撃や殺戮の描写こそないものの、これもひとつの戦争映画と言える。
現代のサラエボに暮らすアマルとルナ。空港管制官と客室乗務員という恵まれた職業を持ち何不自由なく見える二人も、史上最悪の民族紛争といわれるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の影を引きずっている。目の前で両親を殺されたルナ。戦闘の悪夢を払拭できず気力をなくして酒に溺れているアマル。アマルの停職処分がきっかけで、再び戦争の影に直面した二人は、その苦しみを乗り越えようと別々の道を歩き始める。アマルはイスラム原理主義に救いを求め、ルナは政治にも宗教にも強要されず一人の女性として納得できる生き方を貫こうとするのだ。二人の選んだ道のあまりの違いに驚かされる。ジュバニッチ監督が希望を寄せるのは明らかに同性のルナが選んだ道。イスラム原理主義を批判しているわけではないが、宗教が持つ絶対服従と不寛容の怖さは伝わってくる。
(森山京子)