「「わたし、踊っちゃたんです♥」」ブラック・スワン マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
「わたし、踊っちゃたんです♥」
宇能鴻一郎先生の「女体育教師」と主題が一緒の様に見えてしまう。
「わたし、踊っちゃたんです♥」って台詞があれば一番似合う。
しかし、
やたらと鏡が多くて、撮影は大変だろうなって思ったら、壁に貼られた絵の眉毛が上下した。
つまり、VFXを使用している。後に、鏡に映る自分が別人格を持つ時にVFXは本領を発揮する。効果的に使っていると感じた。
何処から狂気で何処から正気なのかだが、僕は『全てが狂気』と感じた。
なぜなら、題名がそれを物語っている。本来のブラック・スワンに求められるものは官能なんかではない。その証拠は『ロシアの古典的バレーの振り付け』とポスターにも書かれている。さて、19世紀後半、フランスのバレーは退廃した文化になっていた。しかし、本家であるロシアは伝統を守ったのである。つまり、フランスのバレーはドガの踊り子(エトワール)にもあるように、プリマドンナは名前ばかりで「春をウル女性」に成り下がっている。だから、古典を強調した公演だけに、フランスの振付師であっても、官能を求めたりしない。従って、この映画で語られる狂気は全て彼女の勝手な妄想と言う事にのなる。
心境の変化を考えれば、白鳥と黒鳥を対比されて『純血の白』と『官能の黒』と捉えるのも解釈は間違っていないが、同じ美である。黒を退廃的に醜と捉えるべきではないのは言うまでも無い。だから、演出家が旧態依然の男目線で宇能鴻一郎先生や松本清張先生の如く解釈していれば、全くの駄作になる。がしかし、作品を飾る「美と狂気」と言う後付で解釈されたコピーが邪魔をしている。
どちらも「美』であり、妄想なのだ。そう解釈すれば良いのだ。
午前中に見た「マエストロ」でもそう語っている。
ブラック・スワンの難しい所は連続するターンであり、芸術的な表現力もさることながら、技術力がいることで、バレーダンサーに目標とされる演目である。
さて、このバレーに果敢にトライをした日本人女性がいる。彼女は既婚者でお子さんもいらっしゃる。確かにタイトな競争はないとは言えないが、自分の身を削ってまでも演ずるものでもない。そして、
最大の矛盾は鑑賞者を無視している事だと思う。
この映画の画竜点睛を欠く部分としておく。その他は傑作だと思い
原題 Black Swan
製作年 2010年
製作国 アメリカ
劇場公開日 2011年5月11日
上映時間 108分
映倫区分 R15+
追記 TATT◯◯を入れたバレーダンサーは「セルゲイポルーニン」がいるが、日本に限らず大変に認知度は低いと思う。