モンガに散るのレビュー・感想・評価
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まぎれもなくLGBT映画
昨年の秋に台北でLGBTのデモンストレーションに遭遇してから、台湾社会における同性愛者の存在感について考えることが多くなった。
90年代民主化前後、彼の地の映画(渡米して作品を撮った李安の作品も含めて)で同性愛が取り扱われることが多い気がしていた。しかし、これはあながち単なる「気のせい」ではない。
民主化と同時に、いや民主化によって既存の価値観が社会の様々なレベルで崩壊したからこそ、台湾社会では同性愛者たちがいち早く「市民権」を得たという仮説が成り立つ。そのような状況の中で、彼らが描かれた作品が目立つことは必然であろう。
この「モンガに散る」も、そのようなLGBT映画の系譜に連なる一本である。
モンクのドラゴン(台湾の言葉のあだ名を英訳したものを字幕へ採用することへの違和感はさておき)への愛憎はまぎれもなくホモセクシャルを描いている。もちろん、悲しいまでにプラトニックなものなのだが、これはまぎれもなく性愛としての男の男に対する愛情を描いている。
そのことの証左は、ドラゴンの恋人に対するモンクの冷ややかな視線や、官僚や経営者にすらなれたかも知れない学業成績にもかかわらずモンクがやくざの道へ進むことに認められる。
しかし、決定的なことは、ドラゴンの父への感情の変化とその後の行動にもかかわらず、親分の息子としての恩恵を一身に受けているドラゴンへの愛情は変わらないということである。単なる友情などでは説明のつかない、ドラゴンに対するモンクの根源的な感情がなくては、モンクの最後の「甘さ」は説明がつかない。
何度も映し出される淡水河から圓山大飯店を望むロケ地は忠孝橋であろうか。しかし、転校したてのモスキートがクラスメイトに追い詰められる河川敷は、台北大橋の下のように思える。いずれのロケーションも、モンガの町や台北の社会をその周縁部分からしか眺めることの出来ない、モスキートの視点を象徴している。遠くに見える圓山大飯店が寂しく見えるのはそのせいだ。
やくざ映画に仮託して、社会の周縁部分でしか生きられない少年たちのやりきれない悲しさを描き切っている。
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