人生万歳! : 映画評論・批評
2010年11月29日更新
2010年12月11日より恵比寿ガーデンシネマほかにてロードショー
「衰弱」を採集し、「乱交」を推奨しつつ、アレンは映画を撮りつづけている
しょっちゅう撮っているから有難味が薄れるが、もしこれからウッディ・アレンの映画がめったに見られなくなったとしたら、どんなに寂しいことだろうか。
アレンの40本目の監督作品「人生万歳!」を見ながら、私ははたとそんな思いに行き当たってしまった。
「人生万歳!」は楽しい。原題どおり「なんでもあり」の物語だ。本拠地ニューヨークへ久々に戻ったアレンが、エリック・ロメールのコントさながら、緩急の変化をつけたきわどい球をコーナーに投げ分けている。
今度の主人公は、60代のもと物理学者ボリス(ラリー・デビッド)だ。ボリスは貧乏だが辛辣だ。世界はアホと能なしに満ちていると公言し、ミシシッピ州から家出してきたメロディ(エバン・レイチェル・ウッド)という21歳の小娘と結婚してしまう。
が、話はそこでとどまらない。一家離散状態だったメロディの母や父が、別々にニューヨークへやってきて、思いきり正直に、つぎつぎと頓珍漢をやらかしてくれるからだ。
アレンは、そんな彼らをむしろそそのかす。シニシズムとペシミズムに首まで浸かっていた孤独な老人が、乱交推奨のサチュロスと化して、けらけらと笑い声をあげている。
いや、そう書いては正確さを欠くか。ボリスに託されたアレンのペシミズムとは、容易に癒されるものではない。ただし、ペシミズムとは、限界を突破すると超楽天的な運命論に席を譲るものだ。アレンは、この秘密に通じている。「衰弱」を集め、「頽廃」と戯れ、なんとも愉快なアナーキズムを形にしている。いやあ、めでたい、悲惨はめでたい、私は悲惨を受け入れるぞ。こんなひとりごとをつぶやいているかぎり、アレンの映画はまだまだ先へつづきそうだ。
(芝山幹郎)