神の子どもたちはみな踊るのレビュー・感想・評価
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やばい本当意味わかんない
と思ったら、原作村上春樹だったのか。どーりでわかんないはずだ。
村上春樹の作品でわかった(つもりになった、少なくとも)のは「パン屋再襲撃」くらいなもんで、あとは全体的に無理。これも全然無理。
他人のブログの解説を読んで「あぁ、そういうことだったんだ」とぼんやり思った。
もう一度見たら自力でももう少し理解できるのかもしれない、でもそもそも今回も共感していないし、すぐ忘れてしまうと思う。
主役の男の子が昔好きだった子に似ているかも、とか思って観始めたけれど結局そんなでもなく、さらにこれは完全に好みの問題だけれど「美貌の母」って謳われてる割にイヴリンが全く好きなタイプの顔じゃなく。
幼い頃から本をたくさん読んできた自負はあるけれど、結果的にそのどれも、村上春樹的(=世界で認められるタイプの)文学的思考を私の脳に形成させるには至らなかったらしい。
まぁ、読んだって言っても読んだだけっていうか、けっこう受動的だった気もする。
映画はアメリカのヒーローものかマフィアものがいいです。
まぐわったの
映画「神の子どもたちはみな踊る」(ロバート・ログバル監督)から。
村上春樹さんの短編小説をアメリカ人監督が映画化。
逆輸入なのか、と楽しみに観たが、正直、よくわからなかった。
冒頭に「5ドルあげるから、ポケットにおしっこさせて」の台詞、
それ以後、なかなかストーリーさえも理解できず・・落ち込んだ。
「『快感』の同義語って何?」の問いに対して、
「『楽しみ』『喜び』『満足』はどうですか?」と答えたフレーズが
やけに新鮮に感じ、メモした程度。
特に気になったのは「性行為」を「まぐわう」と表現したこと。
「彼とまぐわっていると、余計なことは何も考えないで済んだ」とか
「まぐわったの」などの和訳が飛び交い、違和感があった。
漢字で書くと「目合う」「目交う」らしい。
さらにネットで調べてみると、こう記されている。
「人が性的欲求に触発され、複数で行う一連の行為のことであり、
しばしば快楽や愛情表現を伴い、必ずしも生殖には結びつかない」
「まぐわう」イコール「性行為」ではないことがわかった。
原作には、何て書いてあるんだろうか・・う〜ん、気になる。
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