神の子どもたちはみな踊るのレビュー・感想・評価
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原作とはほぼ別物
村上春樹の同名短編小説(同名連作短編集に収録)を、舞台と登場人物を全て米国に移し変えて映画化した米国映画。原作はドラマ『地震のあとで』第3話およびその再編集映画『アフター・ザ・クエイク』でも映像化されている。
なにしろ舞台や登場人物を全て米国に置き換えているので設定やストーリーにかなり変更が加えられており、原作とはほぼ別物のような印象を与える。当然ながら阪神・淡路大震災とは全く関係ない話になっているし、原作の新興宗教は「ものみの塔」なんかに近い雰囲気だったが、米国にはおそらくそういうタイプの新興宗教がないのか全くイメージが異なるものとなっている。また原作では主人公・善也(映画ではケンゴ)の回想としてのみ登場する過去に付き合っていた女の子(名前は出てこない)が、映画では現在付き合っているサンドラに変更されている。さらに原作では終盤になされる田端さん(映画ではグレン)のある重要な告白が映画では中盤にされてしまい、その扱いもずいぶん軽くなってしまっているように感じられた。そして原作の最後に出てくる「隠れ近親相姦的感情」も全く無くなっている。
正直、原作小説の映画化としては甚だ不満な出来であり、単純に映画としてもあまり面白くなかった。
やばい本当意味わかんない
と思ったら、原作村上春樹だったのか。どーりでわかんないはずだ。
村上春樹の作品でわかった(つもりになった、少なくとも)のは「パン屋再襲撃」くらいなもんで、あとは全体的に無理。これも全然無理。
他人のブログの解説を読んで「あぁ、そういうことだったんだ」とぼんやり思った。
もう一度見たら自力でももう少し理解できるのかもしれない、でもそもそも今回も共感していないし、すぐ忘れてしまうと思う。
主役の男の子が昔好きだった子に似ているかも、とか思って観始めたけれど結局そんなでもなく、さらにこれは完全に好みの問題だけれど「美貌の母」って謳われてる割にイヴリンが全く好きなタイプの顔じゃなく。
幼い頃から本をたくさん読んできた自負はあるけれど、結果的にそのどれも、村上春樹的(=世界で認められるタイプの)文学的思考を私の脳に形成させるには至らなかったらしい。
まぁ、読んだって言っても読んだだけっていうか、けっこう受動的だった気もする。
映画はアメリカのヒーローものかマフィアものがいいです。
まぐわったの
映画「神の子どもたちはみな踊る」(ロバート・ログバル監督)から。
村上春樹さんの短編小説をアメリカ人監督が映画化。
逆輸入なのか、と楽しみに観たが、正直、よくわからなかった。
冒頭に「5ドルあげるから、ポケットにおしっこさせて」の台詞、
それ以後、なかなかストーリーさえも理解できず・・落ち込んだ。
「『快感』の同義語って何?」の問いに対して、
「『楽しみ』『喜び』『満足』はどうですか?」と答えたフレーズが
やけに新鮮に感じ、メモした程度。
特に気になったのは「性行為」を「まぐわう」と表現したこと。
「彼とまぐわっていると、余計なことは何も考えないで済んだ」とか
「まぐわったの」などの和訳が飛び交い、違和感があった。
漢字で書くと「目合う」「目交う」らしい。
さらにネットで調べてみると、こう記されている。
「人が性的欲求に触発され、複数で行う一連の行為のことであり、
しばしば快楽や愛情表現を伴い、必ずしも生殖には結びつかない」
「まぐわう」イコール「性行為」ではないことがわかった。
原作には、何て書いてあるんだろうか・・う〜ん、気になる。
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