「性倫理的な面から評価は下げる」わたしを離さないで Takehiroさんの映画レビュー(感想・評価)
性倫理的な面から評価は下げる
『わたしを離さないで』(2010)
原作は2017年に日系人としてノーベル文学賞を受賞したとして日本でも話題になった、カズオ・イシグロで、それがあって、放映があったのを録画してみたが、ネットで調べて補足して感想を書くが、臓器提供をして死ぬ運命を背負った人達というSFの設定の強引さがピンとこず、類似なのは徴兵制だろうかと思っていたが、劇中で「オリジナル」という人を主人公たちがのぞきみるという場面があり、ネットで調べたら、臓器提供と死を運命づけられているのはクローン人間で生まれた人たちだったのだということがわかった。しかし思考も感情も何から何まで人間そのものであり、喧嘩もあれば恋愛もあるのだが、クローン人間の危険性ととらえるか、生命の大切さをとらえるか、考えさせられるところはある。臓器摘出の場面もあり、怖い感じもある。◆最近はアメリカの州で、人工中絶をした医師を終身刑に処するという賛否でる政治判断の報道がなされたが、それに通じるような思いもある。この問題も、反対者たちは、性暴力や近親からの強制的行為からできてしまった
子供はどうするのだなどという反論をみた。私はそうした反論のような、生まれてしまった子供の悲劇性は心配するが、そうした反対の陰に隠れて、同意があれば赴くままの性欲的な自由な性行為、フリーセックスといわれる状況はまずいと思っているから、この映画でも、クローン人間で死ぬ運命であるという設定ながらも結婚せずに、フリーセックスになってしまうのを美化するような点では、
批判的にみた。だから評価は下がる映画であった。若くして死ぬ運命でも結婚はできるから、
二人の女性と性行為してしまう男性を美化するのはよくない。キーラ・ナイトレイが美しさを抑制して、特に臓器提供後の姿は美貌を塗りつぶしている役柄が重かった。キャリー・マリガンは、『華麗なるギャッツビー』を以前観たはずあので、レオナルド・ディカプリオの最後の場面や、金持ちと女性の問題を扱っている哀しみは感じたと思うが、共演していたのが、キャリー・マリガンらしいのは、
まったく同定できなかった。一つ二つの映画をみても、特に外国映画は、出演者も判別できなかったり、認識したはずなのに、わからないという思いをさせてくれる。これもインターネットで調べることができる時代になり、勘づくことでもある。だが結局愛を生涯与えられたはずの寿命まで為せない
はずの主人公たちの悲劇は、フリーセックスになってしまう悲劇でもあったかも知れず、そういう面でとらえようとすれば、カズオ・イシグロは逆説的な性的倫理を保っているようでもあるだろうか。そういう意味でフリーセックスが乾いているような村上春樹にはノーベル文学賞は受賞してもらいたくないと常々思ってきたが、ノーベル文学賞に価値を見出すこともないのかなとも思ったりする。当時、東京国際映画祭で上映されたのが東日本大震災直後で、2週間ばかり後のようであるのは、
それもなんだか怖い気もしたが、私も被災者ではあるが、その頃はかなり心境がピリピリしていたのではないかと思う。