[リミット] : 映画評論・批評
2010年11月9日更新
2010年11月6日よりシネセゾン渋谷ほかにてロードショー
金を使わず知恵を使う。ホラーに逃げなかったのも正解だ
あがくか。座して死を待つか。
あがくにしても、道はふたつある。自力で脱出する方途を探るか。それとも、外部の救援を必死に乞うか。いや、両方同時だろう。
要は、生き埋めになった際の対応である。生き埋めは怖い。想像しただけでぞっとする。エドガー・アラン・ポーに「早すぎた埋葬」という短篇があったが、あれにはまだ希望の光が射していたような記憶がある。
「リミット」の主人公(ライアン・レイノルズ)は、誘拐され、木の棺桶に閉じ込められた状態で生き埋めにされている。男はアメリカ人のトラック運転手だが、場所はイラクの砂漠らしい。つまり、目印はない。棺のなかの酸素も長くはもちそうもない。
この設定で「リミット」は90分を突っ走る。あ、肝心のことを言い忘れていた。棺のなかには携帯電話が残されている。誘拐犯がわざと残したものだが、これをどう使うかが男の生死を分ける……と、観客は考える。
監督のロドリゴ・コルテスは、ここで技をふるう。ヒッチコックやスピルバーグの影響を指摘する人もいるようだが、最大のヒントはラジオドラマではなかったか。声はすれども姿は見えず、という設定は大昔からあった。コルテスは、その設定を最大限に活用しようとする。つまり、男以外に画面に現れる登場人物はいない。
あとは、観客をどうひっぱるかだ。私はひっぱられた。突っ込みどころはいくつかあるが、人も空間も制限されたところで観客の理屈と想像力の両方をあおることができたのだから、これは大目に見なければなるまい。そう、「リミット」は金を使わずに知恵を使っている。「なんでもあり」のホラーに逃げなかったことも、私の気分をよくしてくれた。しかし、生き埋めはごめんだ。
(芝山幹郎)