彼女が消えた浜辺のレビュー・感想・評価
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【”永遠の最悪より、最悪の最期。”仲の良き3組の家族が出かけた楽しき三日間の休暇が絶望に変わる様を描いた作品。名匠、アスガー・ファルハディ監督の秀逸な脚本が冴えわたる作品。】
■テヘランからカスピ海沿岸の避暑地にやってきた大学時代の友人たち。
唯一エリだけがセピデー以外の全員と初対面であり、一泊だけで帰ろうとする。
だがその日、或る家族の子供が海でおぼれる事故が発生する。
子供は大人たちの必死の救助で助かるが、エリ(タラネ・アリシュスティ)の姿が見当たらなくなり、残された3組の夫婦はお互いに疑心暗鬼になる中、或る家族の妻セピデー(ゴルシフテ・ファラハニ)は、泣きながらある事実を皆に告げるのである。
◆感想
・ご存じの通り、イランの名匠アスガー・ファルハーディ監督は、脚本も全て手掛けるが、その脚本の見事さ故に、今の地位にあると言っても過言ではない。
・今作も、3組の仲の良い家族と、一人の離婚したばかりの男と、或る家族の妻セピデーが誘った娘の幼稚園の教師のエリの間で起きた悲劇を描いている。普通は、これだけ登場人物が多く、ロケーションもほぼ固定であると脚本を作り上げるのは困難を極めると思うのだが、アスガー・ファルハーディ監督の脚本のは、それを軽々と飛び越えて来るレベルの高さなのである。
<今作では、悪人は誰も居ない。だが、”幾つかの隠し事”が重なり、悲劇が起きる様を息を尽かせぬ展開で魅せ切るのである。
物語としては、悲劇出るが、イランの名匠アスガー・ファルハーディ監督の巧みなる脚本に基づいた俳優達の演技を堪能したい作品である。>
落語を聞いているみたいだった。
カスピ海の波の音をバックにした心理劇。舞台のようで素晴らしい。傑作だと思う。
笑えないけど、落語を聞いているみたいだった。
オチは言えない。
無知でした。あの『別離』の監督なんだね!
コーランの教えと人間性
個人評価:4.0
アスガー・ファルハディらしいコーランの教えと人間性とを対比させた物語。
嘘をつく事への拒否反応。それは犯罪を犯す以上の罪深さであり、それは隠し通さなければならない。
後半はエリの安否ではなく、彼等のついた嘘をどう隠すかにベクトルが変わっていく奇妙さ。ムスリムの教えの重さと、そこに応じる人間性とのバランスを物語に組み込んでいる。
普段の生活では見せないムスリムの裏の心が、何かの事件をきっかけに顔を出す。
この監督の一貫したテーマが毎回興味深い。
責任逃れと嘘の上塗り
強引に旅行に誘われ、あまり気乗りしないまま1泊だけならと参加したエリ。2日目に帰ろうとしたが帰らせてもらえず、子守を頼まれた時に子供が溺れてしまう。助けるために自分が溺れて行方不明に。
残された3組の家族はお互いに罪をなすりつける。挙句には婚約者がいながら付いてきたエリが悪いと言い出す。なんて身勝手な人達だろうか。人は窮地に追い込まれるとこんな風に保身に走ってしまうんだろうか。人間ってコワイ。
初めから嘘をつくな
彼女が消えた浜辺
監督アスガー ファルファディ
これは『別離』の一つ前に作られた映画。
この映画を観て最初に思ったことはなぜ、こんなに嘘をつかなきゃならないのだろうと。つまらないこと(わたしにとって)で嘘をつくからあとで取り返しできず、話は逸れて言ってしまう。なんかこの嘘がわざとらしく感じてしまった。ファルファディ監督の映画は数少ないがDVDになっているのは全部見ている。これはスリラー映画となっているが、スリラーというより、アリー(主人公)の動きを見ていれば彼女のしそうなことは検討がつく。それに、嘘の中での活発な議論、一般論だが、submissiveの文化の日本にはいい刺激だと思う。
女性の失踪をめぐって人間の複雑な内面が暴かれるヒューマン・ミステリ...
女性の失踪をめぐって人間の複雑な内面が暴かれるヒューマン・ミステリー。
アスガル・ファルハーディー監督の作品はどれもお薦め。
素朴な雰囲気がかえって興味を引きつけるミステリータッチの人間ドラマ...
素朴な雰囲気がかえって興味を引きつけるミステリータッチの人間ドラマ。それぞれの心理描写が現実的ではあるが奥深い。
テヘランからカスピ海沿岸の避暑地に数日間のバカンスを家族ぐるみで楽...
テヘランからカスピ海沿岸の避暑地に数日間のバカンスを家族ぐるみで楽しみに来た仲良しグループ。仲間の一人の誘いで参加したエリは透明感のある清楚な美女で、ドイツから帰国して参加したアーマドは彼女に惹かれ始めるが、一人の子供が海で溺れる事故が起こってしまい、同時にエリが忽然と姿を消してしまう。警察とともに必死の捜索を続ける仲間達だが実は誰も彼女の本名すらも知らなかった。一体彼女は何のために旅行に参加しどこへ行ったのか・・・。
『別離』と同じく沈痛な余韻が残る一作。全くの善意もちょっとしたきっかけで邪悪な想念に姿を変え、悪意がどこにもなくても人は人を嘘で傷つけ追いつめる。こういうあまり直視したくない類いのテーマを繰り返し提示するアスガー・ファルハーディ監督の真意が知りたくなります。『別離』と数人キャストがカブっていましたが、アーマド役のシャハブ・ホセイニはとびぬけて演技が巧く、『別離』の役とは喋り方、表情の作り方、仕草を変えていて全くの別人を作っていました。
もっといろんな国の映画を観ようと思った
やっぱりこういうのがいいな。 まるでドキュメンタリーを観てるかのようなリアリティに引き込まれる。 もっと女性が虐げれているのかと思ったけど、違うのね。 言いたいことはっきり言うし、肌をあらわにしない以外は、欧米文化でほぼ育った私と変わらない日常がそこにある。 そんな中で交わされる言葉の一つ一つが私個人的に響くものがあった。 大人ってそなのね…とか。私も大人になろう…とか。(苦笑)
5対3の、アイデンティティ
アスガー・ファルハディ監督がベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲得した、人間の心の闇を抉り出す心理サスペンス。
「私は、私らしくいたいの」当たり前のように語るその人を、私は胡散臭いと感じる。「私」とは、何だ。その人は自分の性格と性質を当然のように所有している。でも、他人にとってそんなこと、知ったこっちゃない。
「あいつ、何か嫌い・・」そう誰か力のある人間が言っただけで、世間はその人を「嫌な奴」と認識する。「私らしく」はそのまま、「嫌味を撒き散らす」ことに直結する。「私」は、「誰かの多数決」で決められる。
本作には、重要な局面に多数決が持ち込まれている。「エリ」という名前以外、何も知らない一人の女性。彼女の失踪を契機に、他人同士の勝手な想像と、都合の良い解釈が一人歩きしている。そこには、「エリ」の意思も、名誉も、アイデンティティも一切が排除された「理解」がある。
「5対3の多数決」で決められた「エリ」の嘘つきという人格、男性をたぶらかそうとする意思は、真実ではない。それは、物語の流れを見ただけでも日を見るより明らかだ。だが、そんな真実なんて本当は、登場人物の中ではどうでもよい。
出来るだけ、面倒の起こらないように。分かりやすいように。世界はそんな大多数の怠慢が積もり積もって、誤解が真実にすり替わっていく。
何故、この作品は観客を胸くそ悪い気分に染め上げるのか。「エリ」の余りに残酷に踏みにじられた人格に対して?嘘ばかりの会話に対して?違う、そうではない。観客は気付いているからだ。そうやって自分たちも、他人を勝手に色分けしていることを。それを、敢えて見て見ぬフリをしていることを。
冷静に、無機質に、本作は会話の積み重ねを通してこの「多数決社会」を炙り出す。「私は、私らしく生きたい」そんなことを話すその人を、心底馬鹿にし、踏みにじり、蹴散らして毎日を生きる私達を、皮肉を通してあざ笑う。
そうでもしないと、生きていけないことを前提に置きながら。
凧の象徴。
名画座にて。
2009年のベルリン国際映画祭で監督賞に輝いたイラン映画。
イスラム教義と女性が自由を求める難しさ、イラン人の文化を
まざまざ見せつけてくれる作品なのだが、加えて群像劇であり、
ミステリーにもなっているところが面白い。
A・クリスティじゃないけど^^;ある意味(犯人?)探しのような、
真相を探る過程で失踪した女性がどんな人物だったのか、
彼女と旅に同行していた友人らがどんな人物であるのかが、
並行して描かれるので最後までまったく飽きない。
彼女の自由の象徴として凧が使われているのだが、その辺りの
描写が他の場面と比べてもワリと雑で^^;ちょっと勿体ない気が。
婚約者の善悪も今ひとつ微妙で分かり辛い。
修正次第でハリウッド映画にも為り得る題材なので次作に期待。
本作は、ミステリーよりも、人間ドラマの方を重視しているのかも知れません。
本作は、イラン映画ですが、登場している人々が中産階級の人たちであり、割と日本人の生活感覚に近いので、違和感なく見られることでしょう。どこの国でも、中産階級の人がバカンスを楽しむこと自体は、そう差がないようです。
カスピ海の浜辺の一軒家という限られた場所でバカンスを楽しむために集まった約10名の家族。初日はお互いの交流を楽しんだものの、翌日突然、旅に参加したエリという若い女性がも失踪してしまいます。海に溺れた子供を助けて、溺れてしまったのか、勝手に帰ってしまったのか、その消息は一向に掴めません。旅のメンバーが消息を案じて議論していくうちに、エリという名前すら不確かだっことが分かり、逆に謎が深まっていくという展開はさすがに銀熊賞を取っただけに、引き込まれていきます。その白熱した議論ぶりは、映画『12人の怒れる男』での陪審員たちのそれを彷彿されるものを感じました。
けれども、ラストに余りに唐突に真相が明かされてしまうのは、ミステリーとしては興ざめです。もう少し、謎を引っ張って欲しかったです。
但し本作は、ミステリーよりも、人間ドラマの方を重視しているのかも知れません。エリを巡るささやかな嘘が、次第にメンバーを困惑させる事態に追い込んでいきます。失踪の知らせを聞きつけて現れた婚約者が登場したとき、エリがこの旅に参加した不純な動機を知らせるべきか、嘘で誤魔化すべきか、またまた旅のメンバーの間で議論が伯仲するのが、この作品の山場になっていました。
宗教的な理由で、なかなか嘘も方便とはいえないお国柄のところにきて、では正直に説明することが、果たして相手のためになるのかどうかということが、メンバーの判断を悩ませたのでした。
なぜ正直に、婚約者にエリの旅の目的を語れなかったのでしょうか。
中盤で明かされる、そもそも事の起こりはエリが、婚約者と別れて出直したいと友人の保母さんに相談したことからでした。婚約者は、そんなエリの気持ちを知りません。その友人が、婚約者がいることを伏せて、今回のバカンスを手配したお節介好きおばさんのセピデに、誰がいい人いないかって。勝手に相談してしまったのです。
そうしたらセピデは、待ってましたとばかりに、たまたまドイツの出稼ぎ先に戻る予定の知り合いの独身男性が、自分が手配したバカンスの旅に参加するから、その人も連れてきなさいということになったのです。その友人は、エリに滅多に会えないご縁だから、ひと目だけでもといって、強引に旅への参加を勧めたのでした。
いくら中産階級の集まりとはいえ、そこはイランというイスラムの戒律が厳守に守られているお国柄。さすがに正式に破談となる前のお見合い旅行は、イラン人の社会通念に反します。困惑したエリは、1日だけならと条件付で参加したのでした。けれども参加してみたら、相手の男性はすぐにエリを気に入って、気分はもう新婚旅行気分。周りからも祝福されて、エリも悪い気はしなかったものの、こころの中では罪悪感にさい悩まれていたのでした。
そんな事情を唯一知っていた友人は、エリの突如の失踪にも、きっと事情が語れないので、皆に黙ってテヘランへ戻ったのに違いないと確信したのでした。しかし、エリの母親に連絡しても、テヘランに戻ってはいませんでした。
果たして、エリはどこに消えたのか。海で溺れた可能性も考えられて、警察や地元の住民の応援も入った大掛かりな捜査活動のさなかに、婚約者が登場したのです。
こんなシチュエーション。いくら嘘をついてはいけないという戒律が厳しくあっても、婚約者に正直に話せるものでしょうか?
結局どうなったかは、伏せておきますが、婚約者を巡る顛末も、エリのその後に起きたことの真相同様に意外なものでした。
婚約者に内緒で、お見合いのための旅行を斡旋してしまったことが、こんなに軋轢を生むことなのか、自由恋愛が可能な日本人からすれば、少し感覚が馴染みにくいかも知れません。ただスクリーンからは、それが思わず嘘をついてでも誤魔化したくなるほどの背徳行為であることは、よく理解できました。
その辺のカルチャーの違いが、際立っているところが興味深いところです
ところで、劇中メンバーの男性が、自分の妻の言葉として、エリに話した台詞に「永遠の最悪よりも、最悪の最後がましなんだと」という台詞が印象的でした。婚約者からDVにあったりして、結婚に絶望していたエリを暗示させているかのような言葉だったのです。
果たして皆さんは、エリのように毎日が最悪の連続と思ってしまうほどの日々を過ごすよりも、その最悪が最後となる日を望まれるでしょうか。意味深な言葉ですね。
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