「右脳で観る映画」シルビアのいる街で odeonzaさんの映画レビュー(感想・評価)
右脳で観る映画
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絵画や音楽には説明はない、観て聴いて感じるだけだ、だから映画でも言葉や説明が無いからと言って手抜きなわけではない。作り手がそういう表現を望んだだけだ。映画の祖、サイレント映画をフランスでは無声芸術(art muet)と言っていた。
似たような描き方に紀行ものや動物の記録映画がある、風景や造形物、動物も言葉を持たないが感じ方次第で意外と饒舌なのかもしれない。
街が主役の映画と言えば「フェリーニのローマ」が思い出される、本作のフランスの古都ストラスブールも素敵な街です。ただ街は主役ではないでしょう、そういう意味ではミア・ファーローの「フォローミー」に近いかもしれませんね、ただ本作は妙にストイックで技法に拘っているので万人向けではないでしょう。
冒頭から4分間も主人公のベッドに座る静止画のようなシーンからして異様な印象、初めて口を開くまで9分間、口が不自由な青年かと思った、会話らしい言葉が聴けるのは50分も経ってから、やっと主人公の徘徊の謎が明かされる。その唯一とも思える会話の内容が残念、シルビアに間違えられた女性が、「尋ね人なら何故早く訊かないのか、ストーカーと思って怖かった」と叱る。
風景スナップでなく俳優の意図的な行動を撮った都合上、変質者かSF映画にしないために監督の最低限の妥協なのだろう。
想いの割には6年も放置、顔すらおぼろげ、今になって必死で探す動機は何だろう、一夜限りの恋、初めての女性だったのか・・。俗っぽいと言われるだろうが高橋真理子の「五番街のマリー」や聖子ちゃんの「スィートメモリーズ」の歌詞のようなドラマ性がちょっとは欲しかった。
個人的には苦手な部類の作家性の強い映画でした。
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