劇場公開日 2010年8月7日

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シルビアのいる街で : 映画評論・批評

2010年7月27日更新

2010年8月7日よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー

「見えている世界がすべてではない」ということを「街の音」が教えてくれる

3Dだけが劇場で見るべき映画ではないことを教えてくれる作品である。映画は見るだけではない、聞く媒体でもあるのだ。耳が挑発されることによって視覚が活性化され、映し出される世界の奥行きが見えてくる。メガネで見る3Dよりも豊かな、映画ならではの世界がそこにある。

この作品は建物や道の造り、そして住む人ひとりひとりによって構成されるその町特有の音の響きを、ストリートから湧き上るように録り、音が街を見せ、主人公の心理状態を表現する。主人公が動くと、そのリズムに合わせて町の音が流れていく。また音と寄り添うようにこの作品を構成している光も素晴らしい。物語は朝の弱い光から始まり、主人公が女を追いかけて迷い込む広場では眩暈がするような、昼下がりの眩しい光が彼を迎える。まるで女の後姿が白昼夢であるかのように。そして午後の光はやがて柔らかい陽射しとなって傾いていき、旅が終わりに近づく頃には日が暮れて陽も音もすべてが地に沈み、残照となって彼を取り巻く。日が暮れた後に流れる町の雑踏の中にすかに聞こえる足音。あれは6年前の女の幻影を追うという過去に囚われた男が、やっと今を歩き始めた足音なのだろうか。

これは観察する素晴らしさを思い出させてくれる映画だ。主人公が街の人々を観察し、音に耳を傾け、光を感じ、街と少しずつ繋がっていくように、我々もまた彼を注意深く見つめ、周囲の音に気を配ることで、スクリーンに映っている以上のものを感じ取ることができる。見えている世界がすべてではない。観察はその向こう側へ行く最初の大いなる一歩なのだ。

(木村満里子)

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