シルビアのいる街でのレビュー・感想・評価
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☆☆☆☆ 〝 彼女ではなく彼女たち ・ 映画は3日間に渡って《シル...
☆☆☆☆ 〝 彼女ではなく彼女たち ・ 映画は3日間に渡って《シルビア》とゆう名前の女性を探し回る男の見た街の風景。 それぞれの始まりは、カーテン越しに映る車の明かりから始まる。 カフェの椅子に座り、見えるのは様々な女性たちの姿。 男と一緒に座り、何故だか深刻な表情をする女性。 かと思えば、楽しそうに男と話をしている彼女たちが居る反面。1人で無表情に佇んで居る女性も居る。 カフェだからお客さんの注文を受けるウエイトレスも居る。 彼にとっては、彼女も《シルビア》の候補の1人。 後ろ姿の《シルビア》候補はどうゆう女性なのだろう? ひょっとしたら彼女は《シルビア》本人なのではないだろうか? 髪を後ろに束ねる姿を見ていたら、もういてもたってもいられない。 そっと回り込んで前から観察してしまう…。 そうやって彼は遂に《シルビア》を発見する! 1人1人の表情・仕草・笑い声や佇まい。 ここに映って居る女性全てが《シルビア》に他ならない。 本当の《シルビア》は一体誰なのだろうか? 観客が受け取る疑問が、最良のサスペンスにさえなっている。 現場音を最高に活かし、鳥の囀りから人々の話し声。人の足音や、子供達の遊ぶ声。教会の鐘の音に、路面電車が行き交うブレーキ音等が豊潤な音楽にさえなっている。 音楽らしい音楽は、流しの楽団の奏でるヴァイオリン等の響きが現場音に混ざり合い、実に不思議な効果も与えている。 《シルビア》を見つけた彼は、彼女を追い掛けるのだが…。 街を彷徨う男女2人。 最高にサスペンスが盛り上がり、延々と男女間での疑似恋愛が繰り広げられる。 男目線で見ていると、まるでベッドに誘い込んでは、ねっとりと女性を愛撫しているかな様に見受けられる。 それだけに、男受けする要素は高いと感じる。 この延々と続く長いシークエンスが圧巻で。彼女の姿を見逃すまいとする彼に、人々の交差する姿や、行き交う路面電車。更には入り組んだ路地が、嘲笑うかの様に立ちはだかる。 彼女の非難に傷心する彼だったが。6年前に会った酒場と同じなのか? パンクっぽい彼女が映るが、次の場面では同じベッドに2人は居るのだが…果たして。 これは現在の場面なのか?それとも6年前の場面なのか? はたまた彼の打ちひしがれた傷心風景なのか? 観客にとっては、《シルビア》なのか?とゆう疑問に続いて、想像力を掻き立てられる。 そんな彼の前では、楽しそうに水遊びをする若い女の子達。 益々、意気消沈してしまう彼。 駅のベンチに沈み込んでは考える。 この時、彼はなかなか気付か無いのだが…。 最後の編集による硝子越しのショットは最後のサスペンスでした。 たった一度しか観ていないのですが、色々と気になる場面は数多い。 同じ位置から2〜3回と何気なく人々が行き交い、生活感あるショットが存在する。 分かり易いショットとしては、彼女と別れる時と、映画のラストショットが同じだし。路上で酒瓶を投げる、女の浮浪者らしき人物が居る場面が在るが。次にその場所が映る時には、酒瓶の音は聞こえるのだが、その浮浪者らしき人物の姿は映らない。 勿論《シルビア》を尾行する場面では、《シルビア》を見失う場所と、《シルビア》を見つけ、再び尾行する場所が同じ路地であったり…と。 実は、事前にキネマ旬報に載っていた監督自身のインタビュー記事を、先に読んでしまっていたので。この辺りの場面等は、ひょっとしたら小津安二郎の『東京物語』の影響が有るのだろうか? 個人的には、彼が街を彷徨う場面で。やはり2度登場する薬を撒く2人には、ルキノ・ビスコンティの『ベニスに死す』との関連性が果たして有るのか?…が気になった。 観客の想像力を最高に掻き立てる作品です。 2010年8月9日 シアター・イメージ・フォーラム/シアター2
再会を求めて
無駄なストーリーも説明も台詞もない。これこそ映画。 ellesの後ろに感じる物語、街の息づかいが感じられます。 劇場で観てこそなんぼな映画ですが、自宅でのDVD鑑賞でもこの魅力は存分に感じさせられました。 新作抜いて今年ベスト級の1本でした!!
右脳で観る映画
絵画や音楽には説明はない、観て聴いて感じるだけだ、だから映画でも言葉や説明が無いからと言って手抜きなわけではない。作り手がそういう表現を望んだだけだ。映画の祖、サイレント映画をフランスでは無声芸術(art muet)と言っていた。
似たような描き方に紀行ものや動物の記録映画がある、風景や造形物、動物も言葉を持たないが感じ方次第で意外と饒舌なのかもしれない。
街が主役の映画と言えば「フェリーニのローマ」が思い出される、本作のフランスの古都ストラスブールも素敵な街です。ただ街は主役ではないでしょう、そういう意味ではミア・ファーローの「フォローミー」に近いかもしれませんね、ただ本作は妙にストイックで技法に拘っているので万人向けではないでしょう。
冒頭から4分間も主人公のベッドに座る静止画のようなシーンからして異様な印象、初めて口を開くまで9分間、口が不自由な青年かと思った、会話らしい言葉が聴けるのは50分も経ってから、やっと主人公の徘徊の謎が明かされる。その唯一とも思える会話の内容が残念、シルビアに間違えられた女性が、「尋ね人なら何故早く訊かないのか、ストーカーと思って怖かった」と叱る。
風景スナップでなく俳優の意図的な行動を撮った都合上、変質者かSF映画にしないために監督の最低限の妥協なのだろう。
想いの割には6年も放置、顔すらおぼろげ、今になって必死で探す動機は何だろう、一夜限りの恋、初めての女性だったのか・・。俗っぽいと言われるだろうが高橋真理子の「五番街のマリー」や聖子ちゃんの「スィートメモリーズ」の歌詞のようなドラマ性がちょっとは欲しかった。
個人的には苦手な部類の作家性の強い映画でした。
彼女たちはシルビア
ストーリーなんてあってないようなものですけど、不思議と見続けることができるのが驚きでしたね。ずっと、そして、じっと見ていると、この街に自分が溶け込んでいるかのように感じ、そして気づけばそこにいる女性(たち)はすべて私にとってのシルビアのように感じられる瞬間がありました。彼女たちは全員、言ってみればシルビアのように私と出会ったことがある、そんな女性たちに思えたのが不思議でした。 なんだかこれは、心の深い深いところでの感動の経験だったように思います。
私は好き
好き嫌いは別れると思うけど、私は好きです。 ただただ1人の女の人を追いかけてるだけ。 でもなんだかそれが下手なラブストーリーなんかよりずっと心地よくてもどかしい。街の雑踏をずっと聞いてたい。 そして主人公がイケメン。
このテーマで、2時間弱、見せ続けられる凄さ。
女の人は、引くかも。完全に男視点の映画。内容も、カメラのアングルも全てが男視点。出演女性も皆魅力的。ストーリーは凄く単純なのに、よくもまー、1時間45分も、飽きる事無く、見せる事が出来るなーと感心。映像美で見せ続けてくれます。挑戦的な映画かもと感じさせる。はい、凄い監督です。
映画では、この2人もっと綺麗だが、絶対に薦めたくない映画!
格安でDVDレンタルが出来る日の週末には映画館で見損なっていた作品をまとめて10本借りて観る事にしている。
「シルビアのいる街で」と言うこの映画との出会いも、そんなまとめてDVDを観る偶然から始まったのだ。結果的には本作品は、自分の嗜好には全く合っていなかった。しかし他のみんながダメとも限らないのだ。
レンタルDVD店で、中々観る事が出来ないでいた、特に単館系の作品をまとめて金曜日の夜から土日の2日間で10本見ると言う賭け?をするのだが、作品の選び方は、殆んどが記憶の隅にある映画のタイトルのみでレンタルする事にしている。パッケージの裏書は読まない事にしているのだ。
映画でも読書でも、音楽でも、人は自分の嗜好で選んでしまうと、偏りが生じる事が多くなるので、そんな偏った嗜好を回避する理由から、特に単館系で公開されていた映画には、シネコンでは観れない良い作品がかかる事があるので、そんな淡い期待を持って、映画に惚れている私は、映画を選ぶのだ。勿論映画館で観る時は、そんな選択方法はしていない。
さてこの映画は、「主人公の気持ちが解るようで解らない」ので、私は感情移入が出来なかったこの作品は全然楽しめなかったし、採点は1点しか点けられない。
只、街並みが美しい事と、主人公の青年がイケメン、シルビアも美女である事がこの映画の救いだ。
このイケメン君が、このシルビアを追っかけるだけのお話なのだ。
昔この街で出会った事があるシルビアという女性に、似ている女性をカフェで見つけると彼女をストーキングするだけの映画なのだ。彼の不審な行動に、気付いた彼女は、ひたすら延々と街の中を逃げ回る、そしてこの画家志望?の主人公青年は、追いまくる。
これが只の他人の空似なのか、単なる口実で、この女を追い詰めているのか、本当の事が明かされないのだ。彼女が電車に乗車した時、彼は彼女に声をやっとかけて、シルビアかどうかを確かめるのだが、シルビアではない彼女は、キモイから止めろと伝えるのだが、それでも中々彼女の後つけるのを止めないこの男は、私には単なる変質者にしか見えない。
例えば、私達の日常でも、偶然電車の中で見かける人の中には、綺麗な女性もいるし、綺麗な男性もいる。そんな自分好みの人に出会っても、普通は、声をかける事は少ないと思うし、仮に毎日の通勤電車で、気になる人がいたとして、声をかけたとしても、声をかけずに、いきなり街中を延々と追いまくる男性や、女性はいないはずだし、もし追いまくるなら、それは犯罪と同じである。何故これが映画だと成立するのだろう?
私には、芸術的センスが無いのか?理解に苦しむ85分であった!!!
94年にイギリス映画で「ブルー」と言うデレク・ジャーマン監督の74分間、只青い画面だけが延々と映し出されるだけの映画があった。それはこの監督がエイズになってそのブルーな気持ちと今迄にエイズで亡くなった人を悼んで鎮魂の意味を込めて制作されたと言うが、この作品はブルーの画面にナレーションのみ、当然日本ではそのナレーションは字幕で翻訳されているため、観客は青い画面の上の字幕を読むだけの映画があった事を思い出し、この「シルビアのいる街で」もこの映画の再来と背筋が凍ったのだ!
映画館では無かったのだけが、せめてもの救いだった!!人生の時間を無駄にした。
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