劇場公開日 2010年7月10日

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「上質のヴァンパイア映画。」ぼくのエリ 200歳の少女 みかっぴさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5上質のヴァンパイア映画。

2013年9月30日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

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少し前に、Twitterで“お気に入りのヴァンパイア映画”を数本挙げたんだけれど、そのベストいくつかの中の1本に
「ぼくのエリ 200歳の少女(原題 Let the Right One In)」
を入れました。
この作品にとても惹かれます….私的には、「インタビュー・ウィズ…」のルイとクローディアがヴァンパイアとして何世紀も生き続けなければならない哀しみ・苦悩の部分に通じるものがあるから好きなんですね。
「ぼくのエリ」は12歳のヴァンパイア、エリ(リーナ・レアンデション)と人間の少年オスカー(カーレ・ヘーデブラント)が出会い、さまざまな出来事を経てお互いを受け入れ、認め合いながら果てしない旅へ出発する姿を描いた作品です。
舞台はスウェーデン。時代はブレジネフ書記長がニュースで流れているので1970年代だと思います。
最近の作品だと「ドラゴン・タトゥの女」がスウェーデンが舞台でした…雪とメタルグレーの空そこにヴァンパイアには不可欠な夜の闇、そんな風景が静寂さを際立たせております。
雪の中に透き通るような白い肌にブロンドの髪の美しい少年オスカーがまるで妖精のようなのですよね。
まさにヴァンパイア映画に不可欠な中性的、そして耽美的なエロティシズム満載のシーンがちりばめられています。
血なまぐさい部分も多々ありますが、オスカーとエリの透明感、そして余分なセリフを削った淡々とした映像で浄化されているようです。
そしてヴァンパイア=耽美的=同性愛。
まさに映画の中には所々にその気配が漂っているんです。
エリが人血を味わった後の血まみれの口でオスカーくんと唇を重ねるシーンもゾッとするほど美しい!
もう、公開されてからだいぶ経ってメジャーになっているし、この問題点はすでに広まっている様子なので書いてしまいますね。
エリの下半身が映るときのボカシ、あれはやっちゃダメです!
内容が変わっちゃうのです、アレを見せるか見せないかで。
エリは、何度か自分の口からオスカーに対して「私は女の子じゃないから」って公言してますね。
一方、オスカーも周りの男の子たちに比べても普通の少年には見えない、(まるで堕天使のよう)彼の父親も“そちらのけ”があるような描かれ方をしていたので、遺伝なのかもしれません。
もしかしたらエリはそういうタイプの人間を自分の「連れ人(つれびと)」として選んでいるのかもしれない。
とすると、エリとともに町にやってきた老人もそうだったのでしょうね。
エリに見入られた当時その老人は、おそらくオスカーのような美しい少年だったのでしょう…10年、20年、30年と月日が流れても彼女は常に12歳のままなのに連れ人はどんどん年老いて行き「狩り」をするのもおぼつかなくなってくる。ヘマが多くなり役立たずになれば、自らの命を絶ち自分の血をエリに差し出すしか手段はなくなります。
ラスト近くのプールサイドでオスカーとエリが見つめ合う時の表情、目の美しさ。
そして最後の電車のシーン。
新たな出発、旅の始まり…
エリにとって何世紀も繰り返されて来た、そしてこれからも繰り返されていく終わりのない旅と考えてしまうと悲劇的なんですよね、このループは。
出会い、旅立ち、出会い、旅立ち...そしてまた....の繰り返し。
「連れ人」の手で、果てしない旅の物語を終わらせることも可能だと思うのです。
でも、エリが選んだ男たちはそれをすることはなかった、ここに監督がモリッシーの曲から頂いたという原題の「Let the Right One In」にこめられているものが1つの意味だけではないのかなって思うんです。
「ぼくのエリ」はアメリカでもリメイクされました、クロエ・グレーズ・モレッツ主演の「モールス」です。
こちらの作品は、セリフなども忠実に表現されているものの全く別もの、性質が違う作品に仕上がっています。
原作が持つ繊細さ、悲しさは半減しています。
クロエのヴァンパイアに豹変した姿を売りにしているためか、エリの中性的な部分もなくなっていますね。
(モールスでは、アビーという役名になっています。時代は1980年代に置き換えられています)
何世紀も生き続けて精神的には年老いたであろうあの目で語る演技は、スウェーデン版のエリの表情には負けているかも。
それにしても
そもそも邦題が、おかしいと思います…200歳だなんて全く出てこないですから。
タイトルはさておき、
この映画はヴァンパイア映画の王道的作品であり、傑作といえるでしょう。

みかっぴ