ぼくのエリ 200歳の少女のレビュー・感想・評価
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古き良きバンパイアの物語
凄い映画を見た気がする。自宅でDVDで試聴したにもかかわらず、劇場で最後まで席を立てない現象が起こった。エンディング曲があまりに染みる。「嗚呼」という溜息が止まらない。
人々の首筋に喰らい突き、生き血をすする怪物、バンパイヤ。口から血を滴らせる、おぞましい姿を見せられながらも、そこに何故か高貴な生き様が光っていた。
いじめられっ子の主人公。ナイフで脅す真似をする一人芝居をしながらも、現実は虐められる側。もうそこから映画が始まってました。弱肉強食の力関係で話は動く。その闘いの果てが、この物語の結末であった気がする。
「やられたら、やりかえせ」と誇りある生き様を説くバンパイヤの少女。その力は古い掟に基づくものか、相手に入室の許可が得られないと肉体が崩れ始める定めに、その永遠の命は気品で成り立っているようにも見える。超国家的施設をも買える資産の持主であることも、その血統を示す要素なのか。少年は「殺して奪ったのか」と噛み付いたけど、少女は吠える。「ナイフで相手を脅す真似をしていたあなたと同じだ。理解しろ」と。それは少年のみならず、視聴者である我々への叫びなのか。またそれが最後の残虐なエンディングに繋がっていたと見えました。
最後の主人公の救出劇が見事すぎる。襲いかかるその姿は見せない。観れば、靴のままだった少年が異様な勢いで水面を走る。何かがプールに投げ込まれたとみるや、あのいじめっ子のアニキの首だとハッキリ判ったことに自分でも驚愕。見た目は何気ない、でも、やってることは残虐非道と気付かされる。でも、極悪だと非難する気になれない。それは、「理解しろ」との少女の叫びがあったから。冒頭から表現された、弱肉強食の教えがあればこそ、胸をすくようなバンパイヤの圧倒的な強さに、こちらまで誇らしさを感じるばかり。最初から全て観てきたからこそ、見方が変わってしまった自分に驚くばかりで、もう溜息が止まらない。
そして少年は誇りあるバンパイヤと共に旅立つ。今度は彼が少女の「ホスト」というわけなのでしょう。前任のホストは少女の存在を隠すため「自ら塩酸を浴びる」という壮絶な最期を遂げる。それもまた、高潔なるバンパイヤの僕(しもべ)としての宿命なのか。前任者は慣れない手つきで犠牲者を探し生き血を採取しようと試みていた。それは失敗し、少女はそれを責めたけど、それは「お嬢様の我が儘」のような憤慨ではなく、「頼むからもう誰も襲うな。私が生き血を集めるから」という約束の元だったのでしょう。それで、前の住居に居られなくなり、別の場所、つまり映画の舞台にやってくる羽目になった。
ならば、新たなホストである少年の行く末が気掛かりで仕方がありません。前任者と同じく、壮絶な最期を遂げることになってしまうのかと。タイトルのボクって誰のことだろう。それは少年に限らず200歳まで生きた少女の歴代の「僕(しもべ)」のことじゃないだろうか。せめて、習い覚えたモールス信号で遊ぶ、二人の姿が微笑ましかったです。
それにしても、少女の役を務めた役者さんが見事に役にハマってて素晴らしい。大きな瞳に魅入られたくなってしまうバンパイヤにふさわしかった。
鼻タレ万歳
いやね、気にはなってたんだけど、この邦題じゃないですか、ちょっと手を出せませんでした。「ぼくのエリ」ですよ、勘弁してほしい。
まあ、ふと座頭市THE LASTと一緒にDVDレンタルしたんですが、
これ面白いわ。
もうたくさん色んな人が書いているし、オレも特別なことはほとんど書けねえんだけど、この話はオスカーの成長物語では決して無い。
幼いまま、過酷な運命につかまってしまった(すすんだ、じゃなく)鼻タレ坊主のお話。ラストのエリの口は笑っているが、フレーム割れしてて、目だけが強いまなざしをしていることから、結果的には、エリのねらいどおりのお話。果たしてあの鼻タレがエリの役に立つかはさて置いて。
(役に立てそうな描写が全く無いところが逆にすごい)
またエリも数百年も生きといて、見た目は12歳だが、所かまわず噛み付いたり、登ったりする悪癖を何とかしないとね。
まあ、その辺はエリのハートも12歳ってことで不満は無い。だからこそオスカーを選んだともいえるし、そうじゃないと、はなしが~~
エリにやられたらやり返せを受けて、体を鍛え、いじめっ子を棒でぶん殴る、そのえらい満足げな顔がやけに幼児的で、残虐的。シーンが変わるたびにオスカーの鼻をすするドアップが、オスカーの幼さを絶えず強調し、それが逆に彼のラスト以降の過酷な運命をより喚起させてくれ、なかなかしびれる。
モザイクの件は、まあ騒いでも騒がなくてもどっちでも良い。そもそも少年少女の恋物語とはオレは全く思っていない。
オスカーがエリをおちょくりながら、家に引き入れる。エリは少女のようにむくれる。血がダラー。オスカー慌てる。血流れのエリをオスカーはエリを受け入れるとき、エリの顔がワンカット、おぞましい顔になる。
上記のシーンと原題、なかなか凝ってますなあ。現実を直視しない、できない鼻タレへの警告かもね。
とはいっても鼻タレに警告しようにも鼻タレなんだからどうしようもなく、やはり運命に囚われた鼻タレの悲劇、ということか。
面白い!
コレを観れたのはリメイクのおかげ。モールスも一応見るが、以後、続編とかビギニングはやめてね。鼻タレだから良いのです。
恐ろしくも悲しい残酷なラブストーリー!
人間とバンパイアの切ない恋。といえば、これまでにも似たような作品はありましたが、圧倒的に美しくそして考えさせる衝撃的名作でした。
スウェーデンの非常に綺麗な雪化粧風景の中で静かに淡々と進む幼い恋と残酷な殺戮…。相反する2つが見事に融合し美しさすら感じます。12歳の子供が主役だからといって映画の質も一切落としておらず、幼い2人の名演技に完全に心を奪われてしまいます。
いじめられっこの少年オスカーに勇気をくれるバンパイアのエリ。エリのおかげでオスカーはいじめられっこに仕返しをすることができました。暗い過去を持ったエリに好意を抱くオスカー。オスカーのおかげでエリの心に温かさがともりました。徐々に距離が近づいていく二人、しかし決して幸せとは呼べない禁断の恋…。
物語ではエリの父親として描かれていた男性が居ます、はっきりとした説明無いですが、彼もまたオスカーと同じくエリを愛してしまった一人なのでしょう。年齢が止まってしまったバンパイアに対し、刻々と年齢を重ねていく人間にとって一人だけ老いていくことは辛いことでしょう。次第に年齢が近いオスカーに惹かれていくエリに父親のような存在だった男は「今夜は会わないでくれ」と発した言葉が非常に切なさを秘め印象的でした。命を懸けてまでエリを守る、彼もまた魅せられてしまった人間。
一度は離れた決断をしたオスカーとエリだが、ラストのプールシーンでは無音でいじめっ子達の頭や腕が引きちぎられていく残酷な展開の中、エリの美しく可愛らしい顔とオスカーの微笑みは、残酷シーンすら美しいシーンに変えてしまう二人の愛情と魅力が伝わりました。さて、モールス信号を送りながら愛を語らう二人の未来はどうなっていくのでしょうか…。
いや~。見事な作品でしたが、エリは本気の愛であったのか、生きていくために利用しようとしたのか、それは鑑賞者に判断はゆだねられます。私は、一度離れ戻ってきたことは本気の愛だったと信じたいです。(そうじゃないと、オスカーの未来が悲しすぎる)
しっくりこなかった正体
国際的に評価されていてリメイクもされている本作。ふんわりといい作品だったなと思ったけれど、イマイチしっくりこなかった。
これのどこに評価される「何か」があるのか?
レビューに何を書こうか考えながらいくつか他の方のレビューを読むと、なんとなく自分の中でしっくりきていなかった正体が分かった。
どうやらこの作品にとって最も重要なシーンが事情により理解できないようになっているようなのだ。日本では。
国によって映画のレーティングや、流せるかどうかの基準は様々だ。なのである程度は仕方ないと理解する。
規制によって作品そのものを観ることができない国は多いので、どんな規制でも「観られない」よりはマシだと思うから別にいい。
しかし、最も肝心な部分が改変されてしまうならそれはちょっとダメじゃないか?
これでは元の作品に敬意もない。
儚げな美しさを持つ映画
雪が積もったミステリアスなスウェーデンを舞台に、哀愁と不穏さを帯びた、儚げで美しい映画です。
雪印のマークにもなってる雪の結晶の形や、雪がもたらす、静寂さ、美しさ、儚さ、と内容がリンクします。
音楽や画作りなど、いろいろセンスが良くて、美的センスに、うならされ感嘆しました。
ほとんど、あらすじ読まず観たんだけど、最初から終わりまで不穏な感じでグイグイ引き込まれ、映画の中の世界に没入して観てました。
あとから調べて知ったんだけど、原作はベストセラー小説で、小説と同じタイトル『モールス』の名で、ハリウッド・リメイクも済んでるらしい。
そういや、ありましたね…そんな映画…(笑)
リメイクも観なきゃと思うけど、リメイクに関しては懐疑的。
汚しちゃいけない、不可侵の聖域のような気がする。
それぐらい、よく出来てるし、芸術的で、下手に触れないような美しさがある。
この映画にはボカシが入るシーンがあり、そのボカシに関して怒ってる方が多いのですが、ネタバレになるので言いません(笑)
観終わってから調べてみて下さい。
僕はボカシありの方が好きですよ。
出会えて良かった名作。
繊細な心の
それにしても、主人公の母親は何とも辛い立場だ。夫は恐らく同性愛者で男を作って出ていったのだろう。息子は吸血鬼の少年(?)と駆け落ちをしてしまう。きっと、良くないものに吸い寄せられてしまう、または吸い寄せてしまう質なのであろう。
そうした性質は息子にも受け継がれているように思う。主人公はそんな両者の性質と中性的な容姿を持つことで、逃れられない宿命のようなものを感じさせられる。
そしてこのラストは、映画の最初へと繋がり無限にループしていくのだろう。
ポーの一族!鬼滅の刃!!
『相手を殺しても生きたいと思っているでしょ?それが生きる事なの』
竈門 禰豆子と竈門 炭治郎の関係を思い浮かべた。つまり、恋愛と言うよりも親子、兄妹愛って事かなぁ?
人間の少年はこの時期に成長が一時停止する。精神的にも肉体的にも12歳の少女の方が大人に近い。しかし、ものの数ヶ月で少年がそれを追い越していく。その主旨が素晴らしく良く表されていると感じた。少女の様な少年が、少女と出会い大人へと成長していく。
しかし、稀に人間は、少年のままの者がいる。良くも悪くも。
映画の前半は少年と少女のカットは座った姿を撮っている。中盤以降、二人が並んで歩く場面が現れる。その時、少年と少女の肉体的な違いが分かる。つまり、少年が少女よりも背が遥かに高い。男女の肉体的な違いを語っている。数日で少年が成長した表現なのだろう。
恐ろしくも、哀しく、美しい
学校でのいじめと離婚した両親、孤独を感じるオスカーの隣家に少女と老人の2人が越してくる。
老人はエリのために連続殺人鬼として血を集めるが、失敗を厳しく叱責されるなどエリからの愛は薄い。
オスカーとの仲を深めていく様子を意味ありげに見守り、二人が会うことに後ろ向きな感情を抱いている。
そんな最中、無謀な計画により血の採取に失敗、顔を硫酸で溶かし病院でエリに殺されることを選ぶ
自らで食料を探すこととなったエリは長くは留まれない事をオスカーへ伝える。
ここを離れて生き延びるか、留まって死ぬか
文末には「あなたのエリ」
二人の距離が近づくにつれて、オスカーはエリの正体に気づいていく。それでも惹かれるのは本当の愛か、催眠か。
物語の最後、二人は電車に揺られ、モールスによる会話を楽しむ。
生きるためには殺すしかない。
オスカーは同じ轍を踏むことになるのか。
心理描写が美しい
ラストの選択に至るまでの心理描写が全編を通して丁寧に描かれている事に感動。オスカーが何故選ばれたのか、魔に魅入られるとはこういう事なのだという説得力を物語から感じます。吸血鬼物の悲哀と寂しさ、曲がっていてこそ純粋さを増す想い、エリが今まで繰り返してきたであろう運命の運び屋の受け渡しは子どものうちにしか引き継げないんじゃないかと思う。大人になったら入っていけない世界に感じるのよね。なんちゅう悲しい話よ。
お父さんと遊ぶ日のオスカーの笑顔の美しさがとても印象的であの彼でいられない日常の悲しさが心に突き刺さりました。
最後、汽車のシーンでのモールス信号の意味を知りたくて検索してたら原...
最後、汽車のシーンでのモールス信号の意味を知りたくて検索してたら原作があることを知る。
原作と比べると随分違うようだ
ホーカンは元々教師であったが小児性愛者で、
学校をクビという所でエリと出会ってあのような役に…
これを知っていると映画だけを見た時に感じたオスカーは
ホーカンみたくじぃさんになるまでエリの食糧調達係に?
という不穏な展開を打ち消してくれますな
ただその不穏な雰囲気も良いしエリはそうやって生きながらえて来たのかな…と想像出来るのも良き
ボカシ部分については皆さんと同意見だし、
少女じゃないし200歳だと明確に分かるシーンもないし
男の娘だ…ってことで盛り上がる腐女子(私)がいるのに勿体な〜
サブタイトルよこの世からなくなれ
少女って付けることでなんの利点があんの?
付けた奴ホーカンかよ
最後のモールス信号はP・U・S・S
スウェーデン語でチュッ(小さなキス)
最高 血みどろの世界で二人の愛育んで…
人生でTOP5に入る映画
ヴァンパイア映画ではあるがその設定以外にファンタジックな要素は皆無。
めちゃくちゃ暗くて残酷な現実と向き合う少年少女の映画。
本作はとある媒体で「ホラー版小さな恋のメロディ」と紹介されていたが、おそらくそんなに生易しい作品ではない。
まず、主人公の隣の部屋に住んでいるエリはヴァンパイアとして生き延びるために殺人を繰り返している。また、当初父親かと思われた男性はエリとは血の繋がりが一切なく、彼女に血を与えるために同じく殺人を繰り返し、直接的な描写はないがその対価として見た目が少女であるエリから性的な施しを受けて生きている。
それ以外にも色々とあるが、とにかくエリの闇がかなり深い。
そして、主人公のオスカーも学校でいじめを受けていて、こちらもかなりひどい。
そんな社会から疎外されたもの同士が心を通じ合わせ、本当に何が正しいのか、を見つける映画。
だから原題は「Let The Right One In(正しいものを受け入れろ)」らしい。
破滅的な未来しか待っていない二人だが、全体を通して雪が静かに降っている静寂感と背筋が寒くなってくるようなホラー描写、そして少年少女の切ない純愛が美しいことこの上ない。
観賞後には間違いなくメンタルが病むのだが、何故かその余韻がとても美しいものに感じる作品。
一時期は毎晩繰り返し見て永遠に余韻が抜けないようにしていたので、きっと中毒だったのだと思う。
間違いなく自分の人生でトップ5に入る映画だろう。
【今作と、ハリウッドでリメイクされた当時13歳だったクロエ・グレース・モレッツ主演の「モールス」の違いを考える。】
ー 私が、クロエ・グレース・モレッツ主演の「モールス」を鑑賞したのは、2011年夏である。
独特の寒き世界観と、ヴァンパイアの少女アビーを演じたクロエ・グレース・モレッツの透明すぎる肌と、彼女とモールス信号を手段にして恋に落ちた少年、オーウェンの姿が印象的な、一風変わった恋愛映画であった。
そして、いつものようにパンフレットを購入し、読むとオリジナル作品がある事を知り、観賞した。
だが、その作品ではパンフレットに記載されていた”肝心なところが”描かれていなかった。
久方ぶりに鑑賞した配信ヴァージョンでも、同じであった。
<映画とは、編集の仕方で、制作者の意図を変えてしまうモノなのだなあ、という事を知った作品。興味のある方は、両作を鑑賞されることをお勧めしたい。
日本の映倫規定では、オリジナルをそのまま、観賞することは難しいのかもしれないが・・。
世間的には、このオリジナル作品が高く評価されているが、私は映画館で観た事も影響しているかとは思うが、悲しき少年”少女”の純愛を描いた、クロエ・グレース・モレッツ主演の「モールス」を評価するのである。作品としての完成度もオリジナル作品より、高いと思う。
因みに、オリジナル作品をキチンと観れば、「ぼくのエリ 200歳の少女」という邦題が間違ったタイトルである事が分かる。
今作の原作タイトルは「MORSE -モールス-」であり、オリジナル映画のタイトルは「Let the Right One in」である・・。>
核心部分が、、
初めてスウェーデン映画を見た。ほぼ全員透き通るような白い肌。
ホラーロマンスということで、けっこうちゃんとグロいシーンがある。
映画では説明されていなかったが、エリとおじさんの関係は親子ではなく、ペドフィリアのおじさんがエリに食料を調達する代わりに一緒に住んでもらっているという設定らしい。
また、エリが男だという核心部分がモザイクで隠されていて映画を見ただけでは分からなかった。
本国では去勢された部分が映るらしいが、なぜか日本は規制に引っかかってモザイク処理、、おかげで主人公が興味本位で覗いたちょっとエッチなシーンになっている、、笑
んー!逆効果!
良い意味で地獄な世界
冷たい温度の画面と、少し歪なストーリーが良かったです。もう少し上手くやると観る方がすっと納得するのに微妙にそうしないところとかお国柄なのかワザとなのか分からないけど、その喉の通りにくい感じが不穏で良い所だと思いました。
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以下ネタバレ有
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物語のスタートが主人公の執着地点なのが切なく、希望だと思って掴んだ道は地獄の道で、エリも分かっていて利用していて、諦めてるのに少し諦めきれてないそれが地獄な世界。
主人公の2人のビジュアルが美しすぎないのも良い。恵まれた家庭環境ではないけど愛が1つもない訳ではない微妙な家族の関係も映画の気持ち悪さのピースになってて、これが虐待をされてるとかだと観てる側もあ〜エリと一緒に行ってよかったのかもと思えそうなところだったけど、そうでないのがなんだか絶妙。
虐めがピークになった弾みで最後の展開になったけど、あと少し我慢したりあと少し違う勇気があれば普通の世界で生きられたとゆう後味の悪さがむしろこの映画のテーマだったのでは、、、と個人的には思いました。
いじめられてるオスカーは、エリが恋人になってくれると分かってから自信が出て、エリに上からで少しムカつく態度を取るんですよね。そのシーンもオスカーをとりまく環境や土地の閉塞感や歪みをとても感じる。そして孤独がいかに人の心を蝕み脆くさせるのかとゆうのも心にしみた部分で、長い年月を生き強い力を持ったエリですら1人では生きていけず、誰にもいじめを打ち明けられなかったオスカーは真っ暗な道に落ちてしまった。
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