マザーウォーターのレビュー・感想・評価
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典型的徘徊型映画
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ウィスキーしかないスナックをやっている小林。
喫茶店の小泉、銭湯のおっさん、豆腐屋の姉ちゃん、もたい。
彼らの日常の交流。それだけ。
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うーん、何が言いたいんか分からんかった。
それにしても、もたいがいい味出し過ぎて出て来るたびに笑える。
この映画ではあまりキャラが立った役ではないのに、この存在感。
日常の中にあるゆるやかでゆっくりした時間をかたどっている。 当たり...
癒されたい時でも観たいと思えない
かもめ食堂が好き。
でもレビュアーの方たちが書いてる通り、監督が違うのかぁ。
どうりで、、、。
映画の空気感が、疲れた時とか癒す効果を狙ってるのかもしれないけど、それなら別の映画観るかな。
いくら疲れてても、シナリオが間延びしてたら眠たくなるだけだと思う。
かもめやめがねを真似てるキャスティングだけど、それぞれのキャラクターがなんかツンケンしてるというか偉そうというか、かもめ食堂のようなお茶目さがない。
起承転結がない上にキャラクターが好きになれないので、いままでになく辛口にしちゃった。
ここに住みたい
めがね、パンとスープとネコ日和、スイカ等が好き。
何も起きないと言われてるが、それが日常。それが幸せ。もたいまさこさんがやっぱり最高!
ポプラの両親はオトメさんと伽奈なのかな?みんながポプラを愛してくれて幸せなドラマ。
プールはちょっと苦手だったけど、この映画はすき。
この感じ(笑)
そろそろスローライフを・・・
『かもめ食堂』『めがね』『プール』を手がけた製作チームが京都を舞台に描いた作品。もちろん、もたいまさこも出演している。それにしてもスローライフ映画はもう飽きてきた。評価だってどんどん下がってくる。
やっぱり何も起きない映画。今までのパターンとは違って、ポプラ(田熊直太郎)という赤ん坊た登場することか。いったい誰の子なんだ?と、途中で寝てしまったことも悔やみつつ、ちょっとだけミステリアスな展開。いや、展開はないか・・・エンディングで、母親らしき人がバーにやってくるが、声だけであり、誰なのかわからない。いやわからなくてもいいのだ。まさか、もたいまさこの子ではないかと疑ってもみたが、違っていてよかった。
豆腐、コーヒー、ウィスキー、風呂
手抜きの実験映画
かもめ、めがねと雰囲気そっくりの作品。 ここまでそっくりで浮き沈み...
ただただ眺めて楽しかったとかタメになるとかじゃない。ある程度人生経...
かもめ食堂、めがね、と同じ制作という事で今作も安定の世界観。 ゆる...
母の水
単なる癒し系の作品では無さそうだ
桜は人を惹き付け、ポプラは種子を綿毛にして周辺を白く染め上げる。
主な登場人物は男性3人。女性4人の7人で構成されている。いやまてよ?ポプラは一体どちらなんだろう?
この作品に登場する全員がひとりぼっちである。
唯一光石研と永山絢斗が、バイトとその雇い主との関係性で繋がっている程度か。他では、小林聡美と加瀬亮は、ウイスキーバーの店主と常連の間柄。
もたいまさこは常にひとりぼっちで食事を取るが、積極的に町中へ繰り出して行く。その為にこの作品では狂言回しに近い。何処へでも入り込んでは、言わば登場人物達の橋渡しの様な役割を担う。
京都を舞台にしながらも、作品自体に京都色は全く見受けられない。いやそれよりも、登場人物達全員が京都弁を話さないどころか、小林聡美のバーを始め、小泉今日子の経営する喫茶店。市川実日子の豆腐屋さんでさえ、地元の人がさっぱりと登場しない。確かに座りの悪い椅子の様で、違和感は拭えない。
だがちょっとまてよ?作品の中でこの舞台となっている土地を、《京都》だと特定している表示もセリフも無かったんじゃなかろうか?宣伝で《京都》を強調し過ぎた弊害で、「京都らしさが無い…」と、こちらで思い込み過ぎているのかも知れない。最も、映画自体に生活色が皆無なのは否定出来ない。主要な登場人物は、数人のエキストラを除き、地元の人々等はさっぱりと出て来ないのだから…。寧ろ必要以外の、削ぎ落とせる情報は総て削ぎ落としたって事だろうか?
京都色が全く無い要素として、小林・小泉・市川の女性陣3人に共通するのは、彼女達が何らかに惹き付けられてこの土地にやって来た“いちげんさん”である事実が他ならない。
みんなこの土地にはまだ溶け込んでいない様に見受けられる。
普通に考えれば光石研等は、老舗の銭湯を経営している地元の人間の様に見えて、実際は違うのかも知れない。その辺りは意識的に隠している様に見える。だから観た人それぞれがどう解釈するかによって、印象が変わって来る。おそらくある程度は意図的に演出されていると思う。
何故みんなはこの土地に集まったのか?小泉今日子は“大事なモノ”がここに有ると示唆する。
それが何か?は、女性陣3人が扱う物から、“それ”は容易に想像出来る。
たまたまそれがこの土地で有り、この面子で有った…と言うだけの事。
違う土地で、違う人物達。違う職業別でも成立は可能かとも思う。
ひょっとしたらみんな過去に何らかの曰く因縁が有り「過去を消す」目的が有った…と考えるのは穿ち過ぎか?
加瀬亮が仕事仲間が帰って来ないと小林聡美に語る際に、「実はワクワクもしているんです…」と。それに対して小林聡美は「人間ってそんなもんだよ!」と達観して答える。
小泉今日子の笑顔の裏には、何らかの人には言えない“匂い”の様なモノすら伺えられた。
ところが、それぞれがこの土地に全く馴染めずにいたのだが、ポプラの綿毛がもたいまさことゆう風に導かれて、みんなの元に綿毛を届ける。
一見赤ん坊を右から左に受け渡す事で、観ていて違和感がつのり「おいおい!」と苛々してしまうのだが、ちょっと自分の身の回りの出来事を思い出して考えてみた。
冠婚葬祭等の際に普段はなかなか会う機会の無い親戚に会うのだが、なかなか共通の話題が見当たらず難儀する事が有る。
そんな、この作品の様に居心地の悪さを感じる時…。そんな時に救世主になりうるのは、赤ん坊等の幼い子供の存在だ!
まさに居心地の悪さの中にも見付かる座りの良さと言えば良いか。
ひとりぼっちの彼女達だが。一歩踏み出し外に出る事で、知らない土地でも知り合いが出来、ポプラの存在で共通の話題から自然と仲間が増えて行く。
彼女達はやっと1つの《コミュニティー》を形成し、最早ひとりぼっちでは無くなった。しかしいつまでも一緒に行動するだけでは全く進歩は望めない。
生きて行く上で一番大事な物は《水》で有る。水は流れを止めてしまうとやがては腐って行ってしまう。その為にも流れを止めてはいけない。
だからもたいまさこは今日も色々なところへと行き、自らの流れを止めない。
「人生は自分探しの旅!」、とは誰かが言った言葉。
余談だが、ポプラの秘密がほんの少し明らかにされるラストは蛇足だと思うのだが
※ ↑ここまでのレビュー自体は観賞後直ぐに書き込んだ物。
その後ネットの様々なレビューを読み、「どうやら単なる癒し系の作品では無いのでは?」との思いが強くなってきた。
参考になった意見として、これは死後の世界を描いているのでは?との書き込みを幾つか見かける。
成る程、この作品での京都の風景には全くと言って良い位に生活感が全然感じられない。
確かにもたいまさこが椅子に座り休んでいる川っぺりは、まるで三途の川と言えなくもない。
そうなるともたいまさこは、地上と霊界の境界にいる門番みたいな存在なのか?
※ 作品鑑賞からかなり時間が経っているので、何ともハッキリとした意見が言えないのはもどかしい。
機会があれば再見してみたい。
[2010年11月9日新宿ピカデリー/スクリーン5]
やっぱり、好きだなぁ~
気持ち良い映画
もたいまさこさんの「いつものやつ」です
私、もたいさんのファンなんです\(//∇//)\
もっと言ったら「やっぱり猫が好き」の大ファンで……
常に、あの深夜番組の夢再び!と思っているもんですから、どーしても『もたい・小林ペア』の作品はチェックしちゃうんですねー
でも今のお二人の作品には、あまり大笑いというものが無くって(−_−;
なんとゆーか、かやの姉ちゃんもキミちゃんも『スローライフ女優』になっちゃって、あの頃の「うち等、陽気な三人姉妹♫」はどこいっちゃったの?って感じですヽ(´o`;
でも、ま、いいんです。
この作品を観て「久しぶりに銭湯に行きたいな~」とか「充填豆腐じゃない、水槽で泳いでる?お豆腐は美味しさが違うんだろうな~」とか思って、それを次の休みの日に実行してみる。
『こんなん、やってみたい映画』ってのも立派に意義があると思うんです。
だってそれは、『こんな風に生きてみたい』につながると思うから……
この作品、布団の中で観始めて、ラストを観る前に眠ってしまう様な、眠りにつく為のヒーリング作品でいいと思うんです。
途中で眠る=駄作ではないです。
だって「最後まで観て作品のメッセージをうけとらなきゃ!」なんてプレッシャー感じてたら癒しにはなりませんもんね
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