「トリップとトリップが融合した世界」エンター・ザ・ボイド つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
トリップとトリップが融合した世界
ギャスパー・ノエ監督作を観るのは「アレックス」に続いて2作目だ。その「アレックス」もかなり前に観たので何も覚えていない。
しかしこの作品を観るだけでギャスパー・ノエ監督が鬼才だとか異色の才能だとか言われる理由だけは分かった。
オープニングから激しく明滅するクレジット。
ドラッグによって見える不思議な映像と、死者の視点による不思議な映像の融合。
カメラは主人公オスカーの視点でずっと進み、繋げているとはいえ、その多くが途切れることのないロングカット。
舞い上がる視点。壁をすり抜ける視点。回転、寄り、引き。
気持ち悪くなるような映像の連続は、映画を割と映像表現で観ている自分としては、これだけで面白かったといえる。
言いたいことは映像表現のことだけなので終わりでもいいが、一応、内容についても書こうと思う。
チベット死者の書の輪廻転生を題材にした物語で、死してしまった主人公オスカーの魂はどうなってしまうのかを焦点に過去と現在を行き来するものだ。
どうしてこのような物語を紡ごうと思ったのかを考えたとき、なんとなく想像できるのが、転生は良いことではないというところかと思う。
転生は苦である。生は苦なのだ。つまり生まれ変わらないほうが良いのだ(仏教的にはもっとちゃんとした意味があるが)。この考え方が面白いと思ったのかもしれない。
他の宗教観でも死後は天国や楽園へ行き(あるいは地獄)そこで生きる。
現世での生は苦であるという考え方は共通しているように見えるが、前世の記憶などはなくとも生き返れるのに、それは「苦」であるというところに興味を惹かれたように思える。
不老不死とはもちろん違うが、輪廻転生も魂の永遠の生という意味においては同じだろう。
不老不死の捉え方は個人や国民性によって違う。例えば日本だと永遠の生は苦しみと捉えるのが多数かと思う。
しかし場所が違えば(あるいは個人)もちろん捉え方は変わる。永遠に生きたいと願う人々にとっては、生まれ変わる苦行という概念に興味を持つのも分かる。