トイレットのレビュー・感想・評価
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見えなかった優しさに気づき、支え合うことの大切さを知る。
最初から最後まで、しっとりとした感じで、気持ちよく観ていけます。
この感じは、先日観た「恋する宇宙」に近いですが、
あちらが恋愛とすると、こちらは家族がテーマって感じですね。
日本文化やオタクといった要素が、うまく絡められていて
(それが観るきっかけでもあったんですけど)ニンマリする部分も多々。
なぜタイトルが「トイレット」なのか?
途中「あ~なるほどね~」って場面があるんですが、コレがなかなか深い。
親近感のわく、個性的な登場人物達と、キーパーソンとなる
「ばーちゃん」こと"もたいまさこ"さんの演技も光ってました。
それぞれの登場人物達は、何かしら問題をかかえていて、
日々自分のことで精一杯。リアルでもありがちな環境ですよね。
一見するとそれぞれが自分勝手に生きているように見えるんですが、
話が進むにつれ、実はそれぞれがそれぞれの"優しさ"に支えられていたことに気づきます。そして…
後半は少しホロっとくるんですが、心温まる良い映画でした。
あっ!最後にやっっちゃった
最後、あぶないと思ったんだよね~
やっぱりやっちゃった。
ストーリーがちゃんとあって
めがね より 好きです。
3兄弟もばーちゃんのおかげでやさしくなれたしね。
むたいさん、今回はとことん無口でした。
しかも金持ち過ぎるし(笑)
エンドロールでエアギターやってほしかったな
もたいさん好き
『かもめ食堂』、『めがね』とは違った、愛想のない堅物ばーちゃんな、もたいさんが観れます。常に舌打ちしてそうな表情が良いです。
話は普通なんだけど、出てくるものが変わってる。エアギター、プラモ、ウォシュレット…
あと、音楽が素敵だった。ピアノがんがん聴けて満足。
無言のもたいまさこ、雄弁にばーちゃんの気持ちをハートで語る!
荻上直子監督作品が進化しています。
これまでのテーマは、どちらかと言えば主人公が癒される側でした。けれども本作は、積極的に癒す立場に変わり、さらに繋がっていこうとするメッセージまてで感じさせてくれます。
けれども、そこは荻上監督だけにひとくせありました。主人公が「ばーちゃん」というと何となくホームドラマを連想されることでしょう。しかし、本作では「ばーちゃん」を日本語の全く通じないアメリカに住まわせてしまい、言葉による意思の伝達が出来ない状況に置いてしまったのです。孫たちは、みんなネイティブのアメリカ人。しかも、オタクだったり、引きこもりだったり、みんな訳ありの人たちでした。そこに言葉が通じない祖母が突如日本からやってきて同居するわけですから、冒頭ではまるで「異物」がいるかのようでした。
それでも言葉の壁を越えて「家族」として繋がっていく様を描き出して、とても感動しました。
驚異的なのは、荻上監督のミューズとなってしまった、もたいまさこ。全編通して一箇所しか台詞のあるシーンがありません。のこり全て沈黙しつつも、その表情と仕草で孫たちとちゃんと意思の疎通を図ってしまうところを演じきってしまうのです。そのばーちゃんの存在感を生み出す、もたいまさこの強烈な個性が、本作を成立させたといって過言ではありません。
それにしてもアメリカ人の孫たちが独特のアクセントで呼ぶ「ばーちゃん」の発音の何と温かいことでしょう。日本人としては、何となく懐かしい響きも感じますね。
ストーリーは、冒頭で「ママ」の葬儀が行われます。後に残されたのは、ひきこもりのピアニストの長男モーリー、ロボットオタクの次男レイ、詩を研究している大学生の妹リサ、そしてセンセーという名の猫。そこに死ぬ直前に「ママ」が日本から呼び寄せた祖母、「ばーちゃん」が同居していました。
ただでさえ強烈に個性が強い兄妹の暮らし。日本語しか話せず、愛想もない「ばーちゃん」の存在は、つなぎ役となる「ママ」がいなくなった今、共同生活を混乱させてしまう
要因に。言葉が全く通じない祖母と孫との奇妙な組み合わせが引き起こすドタバタな日常は、なかなかユーモラスです。
そんなバラバラだった家族が、「ばーちゃん」を軸に障害を越えていくなかで、少しずつ関係を築いていく過程に、心ひかれることでしょう。きっかけを作ったのは、心優しいリサでした。「ばーちゃん」を歓迎するために、スシを用意して、一緒に晩餐しようとしたり、センセーのエサを街へ買いに行って迷子になったときも、一番熱心に探したり。
そんなリサの計らいで、他の兄弟も、「ばーちゃん」に近づこうとします。モーリーは、ママの古いミシンを引っ張りだしたことから、急に手作りのスカートが作りたくなって、布地を買うお金が入り用になります。モーリーは、勇気を出して英語で、一生懸命「ばーちゃん」にお金が要ることを声明します。するとどうでしょう。何かを感じた「ばーちゃん」はおもむろに財布を取り出して、モーリーにお金をあげるのです。
その後今度はリサが、エアギターのコンクールに出場するのに参加費が必要になったときも、モーリーのアドバイスで、「ばーちゃん」に相談したら、ちゃんとまとまった資金を提供してくれました。英語はわからなくても、何となく相手の気持ちが読めてしまう「ばーちゃん」なのでした。
それでも、レイだけは「ばーちゃん」に懐疑的。血縁関係まで疑っていました。
そんなレイが落ち込んだとき、「ばーちゃん」が焼いてくれたギョーザをきっかけとなって心を開いていきます。その味が忘れられなくなって、レイも加わってみんなで作ったギョーザパーティーを開く頃には、完全に打ち解けていました。みんなの心を一つにまとめた手作りのギョーザは、とても美味しそうで、お腹の虫がギョーって泣くほどでした。
そんな家族の絆が強まることで、モーリーの自閉症も軽くなって、数年ぶりにピアノコンクールに出場することになります。緊張のあまりに、吐き出しそうになるモーリーに、「ばーちゃん」が優しく名前を呼んで、親指をグーと差し出す仕草をするシーンには、泣けてきました。言葉なんかなくったって、ちゃんと気持ちで伝わるのですね。
ところでタイトルの「トイレット」とはどんな意味が込められていたのでしょうか。それは、この祖母と孫の一家のような異文化が融合する象徴ではないかと思います。
トイレットは、お国柄が変わっても、いつも家族の中心にあるものです。土地によってこそ形態が違っても、欠かせないものです。その反面こだわりもあります。毎朝トイレットを出るたび、「ばーちゃん」がつくため息が、何とも意味深です。
レイはそのことを気にして、ガンダムのレアな模型を購入するために貯金してきたお金を、ウォシュレットの購入資金に充ててしまいます。レイがウォシュレットのことを日本のハイテクの象徴みたいに崇めて語るところは、日本人としてチョット誇りに思いました。レイがウォシュレットを初めて試すところは、微妙に肛門が感じてしまうのか可笑しかったです。
ちなみに本作のスポンサーは、TOTOでした。なるほど(^。^)
ラストは、少々あっけなかったけれど、暖かい気持ちになって見終えることができました。 「西の魔女が死んだ」のサチ・パーカ主が、謎の女性役で出演しているのも見どころです。また、荻上作品ではおなじみのフードスタイリスト、飯島奈美が作るギョーザが、家族が集まる食事の楽しさを、見事に演出しています。
荻上監督に今後も期待!
「かもめ食堂」「めがね」と観てきて、今回も「トイレット」と荻上監督作品を観ました。良かったです。
今回はカナダを舞台にカナダの役者ともたいまさこが演じますが、ちょっとクスクス笑え、のほほん気分もやはりあって最後はほんわかと幸せ気分になる。
今後もこの監督映画は観続けて行きたいと思いました。
同じトイレを共有し合うのが家族
少し長いです・・・。
どこの家にもあるトイレ。ほかの設備はなくても生活できるが、トイレがないのは困る。そんなトイレを話題の一画に置いといて、家族の繋がりを描いていく。
私が小さかった頃のトイレで印象的なのは、農家の離れを間借りしていたときのトイレ。外に6畳ほどの小屋があって、入ると暗くて板が何枚も渡してある。板敷きの下全体が溜め壺で、板の隙間から下が見えて恐い。中央だけ板がなくて、そこをまたいでしゃがむわけだ。次に越したところは家の中にトイレがあった。便器は陶器ではなく、よく時代劇に出てくるような大工が板で作ったヤツだ。やがて親父が家を建てて、便器が真っ白な陶器になった。間もなく親父の仕事の関係で、宿泊施設を持った大きな建物に移り住むが、ここがなんと水洗。和式の水洗だが、当時、街のデパートでさえ汲み取り式だった。昭和37年頃のことだ。
では、なぜそこが水洗だったかというと、その一帯はアメリカの進駐軍が撤退したところで、クラブハウスだの教会とともに、ボイラー室や下水処理の設備がそっくり残っていたからだ。小さな商店街の看板は横文字のままで、店のトイレを借りると洋式だったりする。もちろん水洗で、上に設置されたタンクから鎖がぶら下がっていて、鎖についた木のグリップを引っ張ると水が流れる。便器は陶器だったが、便座は木製だった。
アメリカって凄いなって思ったものである。
それが、今や日本の便器が世界の最先端を行くのだから、文化もまた生き物だなとつくづく思う。日本のトイレの洗浄力の発達は、あるものがあったからという話を聞いたことがある。何度も実験を繰り返すのに重宝なものが日本にはあった。←調味料です
文化の違いは、ときとして衝突を起こすが、笑いのネタになることも多く、この作品はそうした視点で描かれている。
萩上直子という監督、カメラもカットも特別凝ったものではない。同じことの繰り返しによって笑いを取る手法といい、セオリー通りの映画作りに見える。それでいて、ほかの監督にはない独特の間がある。まったりとして、おだやかな空気感が存在する。一歩間違えれば眠ってしまう、そんなきわどいライン上で人間の生態を描くのが巧い。
「かもめ食堂」「めがね」に比べると、本作がいちばん動きがある。
対照的に、何も言わぬが、もたいまさこの存在感は大きい。
家族とは何か? 血の繋がりか?
家族とは互いを思いやる者通しが同じ屋根の下で暮らすこと。
同じトイレを共有し合うのが家族と言っているような気がした。
p.s. もたいさんもエアギターに未練があったんだろうね。「かもめ食堂」で話題に出たものの、当時はエアギターなるものの存在を知らなくて、エアギターのコンテストってどんなのか、エンドロールでやってほしかったけど叶わなかった。今回、きっちり穴埋めをしてもらった。
ほんとに長いトイレになってしまった。m(__)m
なんでエア・ギターやらないんだよ?
9月1日、テアトル銀座にて観賞。
館内の女性率の高さからも場違い感がひしひしとつたわってきました。
期せずして観に行ったものですからこの手の作品が好きな人には申し訳ありませんが…
ヒドイ。ですが観終わった後、憤慨するようなことにもならぬほどののほほん感でした。
ただ、
作品内で成長したキャラクターがホモのモーリーのみだというのが残念
主人公の7:3分けの子だって途中でばっちり通過儀礼で成長出来るシーンがあったののに、「え?なんでそこでプラモ壊すシーン挿れないの?」とか??が多いです。女の子にしたって詩の朗読が通過儀礼らしきものと全く関係ないのが、「なんで?」
だし、
いちばん不思議だったのがエンディングのスタッフロールでもたいまさこが何故エア・ギターをやらんのか?がわけわからん…
結局ばあちゃんは英語を実はしゃべれたんでしょ?としか思えない。
タイトルのトイレットには、レイのばーちゃんへの優しさも込められている。
「かもめ食堂」の荻上直子監督が、カナダ・トロントで撮影した作品。
母親を亡くしたばかりの三人の兄妹が家族としての絆を取り戻すお話。
長男モーリーは、パニック障害の引きこもり。妹リサは、勝気で毒舌の大学生。一番まとも?な研究員の次男レイは、人付き合いはしないロボットオタク。
バラバラだった三人が母の残した小さな家で暮らしはじめるが…、そこには愛猫センセーと、亡くなった母が一年前に日本から引き取って同居させてる祖母?ばーちゃんもいた。
日本人キャストは、このばーちゃんを演じるもたいまさこさん、ただ一人。
セリフもすべて英語。というか、もたいさんのばーちゃんは、たった1回しか喋らない!?
引きこもり、ロボットオタクと日本人的キャラをカナダ人の若手俳優たちが演じているのが、楽しい。
その他、日本的趣味がいたるところに出てくる。
保護者だった母を亡くして一番ショックを受けてたモーリーは、ばーちゃんとの交流で(言葉は通じなくても思いは伝わる)かつて挫折して二度と触れられなかったピアノを弾くことができるようになる。
そして、コンクールにも出場。
個人主義で、妹リサから冷血と罵られていたレイも、ばーちゃんと生活するうちに、兄妹・家族の絆を深めていく。
タイトルのトイレットには、レイのばーちゃんへの優しさも込められている。
ライトに小気味よく響く、草食系映画
荻上監督アレルギーの人は多いだろう。「かもめ食堂」「めがね」など、“クセがある”というイメージが先行してしまうのである。
だけどこの「トイレット」は想像以上にシンプル。舞台・キャストが北米という新しいチャレンジがあるし、描くのはある家族の普遍的な物語。そこまで奇をてらってこない。
いつもの荻上カラーが好みの人には少し物足りないかもしれない。だけど監督のやりたいことはきっちり盛りこまれてるし、必死にそのバランスをとっている気がする。
そのバランスの結果、ちょっと元気をもらえたり笑えるたりするのだが、良くも悪くもそれ以上迫ってくるものはない。ライトに小気味よく響く、草食系映画。もちろん、それが悪いことではないんだけどね。
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