「ボタイは、もたいのブタイ」トイレット ダックス奮闘{ふんとう}さんの映画レビュー(感想・評価)
ボタイは、もたいのブタイ
「かもめ食堂」「めがね」などの作品で知られる萩上直子監督が、盟友もたいまさこを引き連れて全編カナダ・トロント撮影で描く異色ホームドラマ。
「君・・B型だよね?」初めて出会った人に、当てずっぽうで尋ねてみたら、相手は「・・・分かるかい?」と、にやりと微笑んだ。そんな、思いがけない他人との協調は、ちょっと嬉しい。本作は、そんなささやかな幸せを一本の映画に仕上げてしまった、遊び心満載の物語である。
3人のカナダ人と、一人の日本人。どう考えたって血の繋がりを感じられない人間達が、同居生活を始める。この余りに唐突な設定を前提に持ち込まれて、観客は早々に理解を遮断される。そこに輪をかけて意味不明な要素として叩きつけられるのは、現代映画界きっての不可解女優、もたいまさこの存在だ。
常にむすっと、ぶすっと、それでいてしらっと。3人の兄弟を横目に、勝手に生きている。英語は分からない。行動も分からない。おまけに血筋も分からない。結局、物語が終わるまでその存在は、謎のままである。
だが、このもたいの存在はそのまま、3人兄弟それぞれの、お互いへの感情と重なる。どうせ、分かりはしない。私は、私だ。相互に理解を諦めた人間の心を、一人の日本人を強引に放り込むことで象徴的に観客に提示する。
もたいという「ばーちゃん」を、知りたい。何者か、理解したい。兄弟は個々にもたいへの接触を試み、ぶつかっていく。すぐには分からなくても、出来る形で近付いていく。それはそのまま、家族という絆を理解することに直結する。
完全に理解なんてしなくても良い。分かりたいと思うことが大事なんだ。本作が目指したのは、誰にも理解できない「ばーちゃん」を通して見つめる、家族の緩やかな、壊れやすいつながりの肯定ではなかったのか。
亡くなり、灰になってもその引き際は格好良い。お前の勝手な思い出にされてたまるかと言わんばかりに、もたいはひゅるりと流れていった。つくづく意味不明な人だ。でも、それが嬉しい。
雁字搦めになった家族への執着が、気持ちよくほどけていく一品である。