「クリントのトリック」ヒア アフター chobonさんの映画レビュー(感想・評価)
クリントのトリック
美術では神・天使・神話および王侯貴族をモデルとしていたが、江戸の浮世絵は庶民を描き、十九世紀の印象派も普通の人々を題材とした。文藝も神話・伝説・英雄譚にはじまり、やがて普通の市民を描くようになる。バルザックもディケンズも十九世紀の人だった。
二十世紀に誕生した大衆芸術である映画では、いまも英雄や正義あるいは悪のヒーローが好んで描かれる。スパイ・連続猟奇殺人犯・銀行強盗・殺し屋・マフィアのドン。この映画の三人の主人公も特殊な人物である。
津波に襲われ臨死体験をしたことが契機となって、キャリアも愛人も失うフランスの人気ニュースキャスターの女。幼い頃に患った病のために臨死体験をし、霊能力に目覚め、霊媒師として働いていたがその仕事を嫌い、工場に勤めてもリストラされるアメリカ人の男。ヘロイン中毒の母を持ち、交通事故で二子の兄を失い、里親に預けられるイギリスの少年。三人の人物設定は、程度の差はあれ、バットマンやスパイダーマンと同じように特殊だ。
しかし物語には二重底の仕掛けがあり、三人に共通するものを探れば、ある過去のできごと(病気・天災・事故)を起点として、現在に大切なもの(人生・仕事・キャリア・恋人・愛人・兄・母)を喪失し、未来に希望を見いだせない人物が立ち現れる。これは誰にでも起こり得ることで、人間の存在に共通する普遍的な苦悩である。ここで特殊に見えた三人は普通の人々に変化する。
死もまた同じように、時と人を選ばない。他者の死に際して、人は問いかけ、答えを求める。答えも説明も最初から何もありはしない、と言い切れる人は稀だろう。答えを宗教に求める人もいれば、心療カウンセラーに求める人もいる。霊媒師に求める人もいる。そして、死に連れ去られた他者が、どこかにいまも存続することを願う。死者を忘れず、死者に見守られることを願う。死者をゆるし、ゆるされることを願う。「お兄さまは天使とともにいる」と答える神父と、「お父さまは君を見守っている」と答えるイカサマ霊媒師がそれぞれ果たす役割に大きな違いはない。
アメリカの男が霊媒を行うとき、ルールを立てて、被験者に質問にはイエスかノーで答えるよう促す。これは法廷において検事および弁護人が被告・原告・証人を尋問するときに使われる手法で、それぞれの目的(有罪か無罪か)に必要のない余分な情報を排除することを目的とする。では霊媒師が排除したかった情報とは何か。それは、津波のように押し寄せる被験者の苦悩と感情の束である。アメリカの男は自分が溺れてしまう前に、平静な人生を取り戻そうと、霊媒師の仕事を絶った。
臨死体験と霊媒という設定は、物語の切り口であって、主題ではない。臨死体験を数多く検証しても、霊魂の不滅や死後の世界の存在を証明することはできない。千人のイカサマ霊媒師の中に一人の有能な霊媒師を見つけられたとしても、何も証明はされない。イギリスの少年がアメリカの男はあの女の人が好きだと直感したように、アメリカの男も他者の感情や苦悩を感知する能力に長けているのかもしれない。イギリスの少年が霊媒のルールを破って、寂しい、哀しい、ひとりにしないで、と兄の霊に泣きながら訴えるとき、アメリカの男はもう霊媒師ではなく、少年の苦悩を分かち合い、二人ながらの痛みを癒そうと努める一人の人間にかえる。
他者の死に際して、人が説明や答えを求めるのは、この先を生きてゆくためである。悲惨な現実を受け入れて生きてゆく。答えを求めて人は尋ね歩く。それぞれが得られる答えの姿はさまざまだが、答えには同じ名がつくらしい。街のカフェテラスで待つアメリカの男がフランスの女の姿を目にしたとき、男の脳裏に鮮明な映像が流れる。霊媒師が予知能力を発揮したと見る観客もいるかもしれない。だが、このラストシーンは、男が見る幻こそ求めている答えだと静かに差し出し、その幻を「希望」と名づけていた。
女と握手を交わし、掌を重ね合っても、もう男は悪夢を見ない。