白いリボンのレビュー・感想・評価
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ホラー映画が、かわいく見えちゃうほどの寒気
重いというよりも、
気味が悪いんですけど。。。
エンドロールが流れ始めて寒気しちゃったよ。。。
一言、
不気味以外の何物でもありませんでした。
余程、
ホラー映画のほうが怖くありません。
恐怖の対象が、
不明確なため、想像の中で、
負の妄想が、はち切れんばかりに
膨らんでしまいますので、精神衛生上も好ましくない。
“人間不信”
自分が人間でありながらも、
自分以外の人間を虐げる。ある意味、
自分が自分自身を特別扱いしてしまう。
もっと極端に言ってしまえば神格化してしまう。
生活環境の世界が狭く、
且つ田舎の村で孤立をしているため吐け口がない。
だから、一般的に見れば、
“悪”とされることをしてしまう。
さらに、性質が悪いのは、
“悪”と認識しながらも、当事者は、
“自分が悪を犯すのは赦されている(当たり前)”と自己肯定をしていること。
そんな、子供たちを、
大人は、せっかんをするだけで取り繕うとし、
大人の、都合のいいように子供たちを取り扱ってしまう。
まさに“負の連鎖”。
しかし、これもまた、
その大人は、それが“負の連鎖”を生んでいることに気づいていない。
◇ ◇
ここまでの感想は、
今作を鑑賞した上での、
自分なりの解釈も含まれています。
今作、ヒントっぽいものはありますが、
解答は一切提示されませんし、説明セリフなどという、
愚かしいものは、登場する気配すら感じさせてくれません。
だから、導入部にあたる序盤は、
色彩が、モノクロなのも手伝って、
気を抜くと、睡魔に飲み込まれてしまいます。
実際、お隣の女性、序盤気持ちいい寝息を立てていました。
しかし、終盤は、それとは対称的に口元をハンカチで抑え、
まるで、怯えるように、スクリーンを凝視しておりました。
無音の、エンドロールが流れ終え、客電が点灯したあとも、
しばらく、座席に座ったままでした。
“人の闇”っていうのかな。
色彩が、モノクロなだけに、
白と黒しかありませんから、闇が一層際立つんですよ。
幕引きも恐怖以外の何物でもないです。
私も、絶対に、こんな村は出て行きます。
そして、二度と、近寄ることはないでしょう。
★彡 ★彡
今作は、あくまでフィクションの位置づけですが、
現実世界に起きても、全くおかしくはないと思っています。
だから、余計に、薄気味悪くて、ゾッとしてしまうんです。
“白いリボン”
白は純粋、純潔の表れとも言いますが、
リボンが、結ばれた人間の中には、真っ黒な、
どす黒い、恨みつらみ、憎しみの色しか見えませんでした。
演出巧み。
役者もメインの1人、
学校教師は映画初出演とは信じられない好演。
子供たちも、まるでドキュメンタリーのような生々しさです。
カンヌのパルムドール作品だから、と
軽い気持ちで来ると、爆睡するか、精神的に
やられる可能性があります。コンディションを、
整えた上での鑑賞を推奨させていただきます!!
悪意の連鎖。
名画座にて。
2009年度カンヌでパルム・ドールを受賞した本作。
まぁ…この監督の作品は冷徹で暴力的な描写が目立つ?といえば
確かにそうなんだけど、今回は子供への体罰やリンチ(これも酷いか)
描写はまだ控えめ…でも、言動による暴力もけっこうなものだった。
人間の心にはこれほど悪意が芽生えるものか?と思ってしまうが、
タイトルの白いリボンに示されるように、こんな環境で抑制されれば
自ずと人間の心はねじ曲がり、そして子供達がナチス台頭時代へと
成長していくうすら寒い未来(の歴史)に納得せざるを得なくなってくる。
穏やかに見える農村に潜む異様な悪の気味悪さを謳っているのだが、
しかしここで描かれる事件には現代に繰り越されているものも多い。
利己的な権力を振り回す大人が子供達から崇拝されるはずがない。
一見おバカ?(すいません)にとれる傍観教師が語り部となる回想劇、
全編がモノクロでいかにも…な世界を作り出しているがその世界は
第一次大戦前夜の北ドイツの村から一歩も離れず、排他的な村の
存在を更に浮き彫りにする。不可解な事故や事件の背景は男爵家
への恨みが根幹かと思いきや、数多く描かれる家令や医者や牧師と
いう登場人物にもそれぞれフォーカスして見せるので、何が何だか、
わざと混乱させているようにも感じるし、或いは、必要あったのか?
とすら思えるシーンも数多く描かれる。観進めればおおよその展開、
いわゆる犯人探し(という目では観ない方がいいかもしれないけど)
の結末が分かってくるのだが、そんなことより、このままいけば…と
いう思いが強く圧し掛かってくる。子供達の目や態度を見れば、この
語り部教師ですら気づく恐ろしさが既に潜んでいるのが見てとれる。
とはいえ、最後まで曖昧に真相は…藪の中。
こうして傍らに潜む悪意はある時突然暴挙と化して表面に出てくる。
大概の人間はその兆候に気付かないふりして葬ってしまうのですね。
(だからこうなった、が残酷に観てとれる作品。繰り返される連鎖。)
生まれたての、悪意
「ファニーゲーム」「隠された記憶」などの作品で知られるミヒャエル・ハネケ監督が、カンヌ映画祭において初のパルム・ドールを受賞したミステリー作品。
清々しいまでに悪趣味を貫く作品である。
「混じりっ気なし、純粋無垢、無添加無着色、ぷるぷるつるんのタマゴ肌」な、どす黒い悪意が、物語の底辺をどろり、どろりと澱みながら流れ出し、2時間30分近い長尺の世界を支配する。
その陰湿な空気は、観客の中途半端な解釈であったり、物語への安易な接触を完膚なきまでに叩き潰してしまうほどの強烈な破壊力を存分に内包し、私達に突き付けてくる。上映終了後に感じてしまう劇場全体を覆い尽くす敗北感、脱力感の根源は、ここにあるとしか思えない。
閑静な、美しい景色を讃えた小さな村。その日常に唐突に忍び寄ってくる一つの悪戯。ハネケ監督はこの悪戯を皮切りに、随所にささやかな、それでいて気味の悪い悪意を村のあちこちに撒き散らし、物語の住民達を、同時に観客を疑心暗鬼に誘っていく。
これまでに発表してきた作品においても、解釈不可能な人間の心の機微を、程よいユーモアにくるんで料理してきたハネケ監督。だが、今作では剥き出しとなった負の感情を容赦なく、回り道無しに描き切っていく荒業に挑む。
物語もまたあって無いような抽象的な要素を積み重ねて、まさに観客を置いてけぼりにする覚悟で疾風の如く走り去っていく。悔しい。憎らしい。でも、格好良い。
生半可な覚悟で理解に挑むと、立ち直れないまでに心が殴り倒される本作。だが、ここまで悪趣味な世界を論じておきながら、ハネケの暴走世界に、無作法な荒っぽさに、私は魅せられてしまうのである。
生まれたての悪意は、麻薬の味がする。
145分間、居心地悪かった。
ふ~~~…と、鑑賞後に長い溜め息を付きました。
この居心地の悪さ…このべっとりとした感触……禍々しさの極地。
たまたま、ふらっと立ち寄った農村が、まさかこんなに陰鬱で鬱屈で、抜け出そうとしてもなかなか抜け出せず、145分間足留め喰らってやっとこさ逃げ出した気分、とでもいうか。
滞在中も滞在後も、決して心の靄が晴れることはないです。
なのに、こんだけの悪意を内包しておきながら、それが表層に剥き出されることは終ぞない。表面に、僅かに、滲み出るだけ。
片鱗をチラチラ覗かせたと思うと、またナリを潜める。再び、更なる悪意が来訪。
その繰り返し。
その息苦しさを味わいながら、145分間の拘束が続く訳です。
そして、やっと訪れる終焉。
「白いリボン」というタイトルに込められた真の意味。
コトの真相とでもいうか。
ラストにそれを理解、目の当たりにした時です。
アナタもきっと、長い溜め息を付くことでしょう。
ただ…その真相が具体的な像で以って姿を現すことは、最後まで無いのですけど。
あまりに高尚すぎて評価できない
2009年ドイツ・オーストリア・フランス・イタリア・ドイツ合作映画。144分。2010年52本目の作品。カンヌの最高賞であるパルムドールを受賞したミヒャエル・ハネケ監督の最新作。
内容は;
1,第一次世界大戦の前夜、ドイツの厳格な因習が残る農村で男性の落馬による死亡事故が起きる。
2,それから村には「不可解な」事件が立て続けに起きる。
3,事件の解決で調査する青年は、村の異様な人間関係を目の当たりにする。
テーマ的にはハネケ監督の前作「隠された記憶」につながる「子供」です。違う点は前作が現代劇だったのに対し、今作は今からほぼ1世紀前のお話。都会ではない、周縁の農村で厳格な因習のもとに暮らす人々の屈折した異様な人間模様が描かれています。
ラース・フォン・トリアー監督あたりが同じテーマを映画にして「田舎=良いところ」という世のステレオタイプを見事に崩してますが、本作はそれだけじゃ留まらない(これ以上言ったらネタバレになるので伏せときます)。
正直、この作品がつきつける「現実」を知って得になるのかどうかはわかりません。それだけ、本作はリアリティがあり、そして残酷な作品です。
ハネケ監督の空の上を突き抜けようとする探求心と集中力、巨視的な視界はお見事。わたくしは、ただただ感嘆と畏怖を抱くしかありませんでした。
いつか腑に落ちるまで観てみたい作品です。
面白い。が、神経を逆なでする
評価の高い本作ですが、私には到底理解できたとは申せません。
たしかに面白いのですが、他人から、それでどこがよかったの?と尋ねられても説明できないのです。
封建制が色濃く残る20世紀初頭のドイツの田舎で、横溝正史的ともいえそうな不可解な事件や出来事が次々に起こり、なんの解決も見ないままに映画は唐突に終わります。
ミステリではありません。歴史物でもありません。
おぞましい人間の業を描いたのでしょうか?
前近代的なムラ社会の因習を批判しているのでしょうか?
神と人との断絶を問題提起したのでしょうか?
ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと移ろうとする大戦前夜の混沌をカリカチュアしたのでしょうか?
子供たちの無垢と獣性の対比を露わにしたかったのでしょうか?
狂言回しの教師の目で、ただ淡々と話は進み、観客にすべては委ねられます。
ストーリ運びや人物描写、映像の美しさなど、非の打ち所がないのですが、作品の意図がわからない。わかる必要などないのかも知れませんが、そこがわからないとこの映画を理解したことにならないのではないかと思ってしまうのです。
わからないまま無批判によい評価を下すことはできませんので、4.0という中途半端なスコアにさせていただきます。
不透明な、リアル村社会。 「すでに古典」はダテじゃない。
戦前ドイツのド田舎の小さな村で起こる不吉な事件の数々。
そこに暮らす人々のあいだにある「善悪」という価値観。
リアル「村社会」を、すさまじいまでに緻密に描いている。
男爵がいて、小作人が大勢いて、牧師がいて、
学校は教会の付属品で、教育は厳格なキリスト教のもとにあって。
起承転結とかじゃなく、見終わった後に
観た人のなかに続いていくものを想定して作られていて、
物語、というより、145分かけた「問いかけ」のよう。
淡々としているのに目が離せない。
モノクロの映像も繊細で美しい。
カラーで撮影して、デジタル変換してるんだそうだ。
映画史に残る、というか
残ってほしい映画だなーと思った。
『ウィークリー』誌のレビュー、「すでに古典。」という言葉に納得。
だが決して、過去の話じゃない。
と監督は言いたいのではなかろうか。
レディースディに観に行ったせいもあるのだろうけど、満席だった。
媚びない映画
ミヒャエル・ハネケ監督による第一次世界大戦直前のドイツの農村を舞台にした作品。平穏な日々を過ごしていた村をドクターの落馬事故と小作人の妻の死という2つの事件が襲います。一度は村のボスである男爵を中心に結束を固めたかに見えた村人たちでしたが、男爵の息子の誘拐事件をきっかけに疑心暗鬼が渦巻くようになっていく……という感じの映画です。
とにもかくにも「媚びない映画」でした。そもそもこの3D時代に全編白黒。加えて一般的な商業映画には欠かせないオープニングの盛り上げも一切なし。ただ淡々と狂言回しの教師による抑制の利いたナレーションが続きます。(レビューで言及していた方がいらっしゃいましたが、そもそもあれが教師だって事はもうしばらくお話が進まないと分からないし……)
お話が進んだところでハリウッドよろしく世界が終わろうかというほどの大事件がバシバシ起こる訳でもない。最初はあまりの低刺激ぶりに違和感を感じましたが、次第に自分がアメリカ型商業映画に慣れ切っていたのだと痛感させられます。
この映画、中盤まではとにかく疑念・疑惑を抱かせるような描写を重ねていきます。そしてある決定的な出来事をきっかけとして狂言回しである教師の男が一連の事件の解明に乗り出すのです。が、結局第一次世界大戦という歴史の大きなうねりを前に、物語は事件の全容を解明するヒントすら与えずに幕を下ろしてしまうのです。疑いだけがとてつもなくふくれあがった状態で、それらが回収される事は一切なく物語は終了してしまうーーはっきり言って観賞後はかなり不快な気分になりました。正直言って「見に行って損したな」と思わずにはいられなかった。
しかしもしかしたら不快な・漠たる不安を抱かせる事こそが奇才・ハネケの狙いだったのではないかと今では思っています。村人たちは、自分が映画館を出る時に感じた、不穏さや不安を一生胸の奥底に秘めたまま生きていくほかないのです。つまりハネケは観客に村人たちが生涯苛まれる事になった正体不明の恐怖を追体験させたくてこの映画を作ったのではないでしょうか。
教師の人柄と行動もハネケの描く恐怖を引き立たせています。一見すると登場人物に共通する陰険さからは離れた存在で、この物語で唯一「正常」な人物であるように見えます。しかし物語の終盤では彼が最も積極的に村の疑心暗鬼をあおる役回りを演じる事になるのです。この映画では、一度どろどろとした怨嗟の念が渦巻き始めると、良心や高潔さはいとも容易く狂気に変じてしまう事がはっきりと表されていると思います。
「媚びない映画」なだけに、見ていても、見終わってからもしんどい映画でした。『隠された記憶』と『ピアニスト』を買っちゃったけど、ハネケの映画は当分見たくない……
正座をして観る様な映画だと覚悟して出掛けてください。
2010/12/12(日)の10:00の回を観ました。意外にも劇場は満席でした。映画は、静寂と共に物語が始まります。その後も、台詞以外の音は極端に控えているのため、生ツバを飲む音も周りに聞こえるんです。禅の修業の如く緊張した状態で観なければならない。最後まで鑑賞するには、少々忍耐が必要です。隙が無い完璧な作品で、村人の内面に潜む悪意や暴力を、到来する戦争や全体主義に重ね合わせ、人間の本質を浮かび上がらせているのですが、台詞と状況の説明が多いためストーリーを追いかけるのが精一杯。人物の内面が伝わり難かったです。抑え気味の演出で淡々とした展開の為か?。この作品は、何度か繰り返して観なければ、自分なりの理解に至らないと思います。1シーン毎に監督なりの凝った主張がある為です。みなさん禅の修業の如く正座をして観る様な映画だと覚悟して出掛けてください。
「白いリボン」の陰
ミヒャエル・ハネケ監督の作品は初めて見ました。
大戦に突入する直前のドイツの田舎町での出来事が回想されます。
次々と陰惨な事件が起き、犯人は藪の中のまま軍靴に紛れます。モノクロの息苦しい薄暗さに背筋の凍る恐怖が迫ってきます。
見えない針金が予兆する闇の深まりは、領主と教会はじめその取り巻きと貧しい農奴らとの格差社会の必然です。支配者に対する妬みと弱者に対する優越に、大人はあきらめ甘受し、子供は抑圧に正直に反応します。
格差と貧困が暴力を正当化することはできません。平和と繁栄が真の希望をもたらします。
ミヒャエル・ハイネの世界
皆さん、こんにちは(いま12月8日pm2:15頃です)
この「白いリボン」。
なんといっても画が美しい。
モノクロだけど、カラー以上に実態に近いのだと思う。
くっきりとした輪郭、陰影に富んだ画つくり。
どの画面も一個の絵画のようだ。
アートとしてより際立っている作品である。
この「白いリボン」。
なんと解釈すればいいのか。
美しい山村を描いているが、その裏面になにがあるのか。
迷わせるものが、充満しているのだ。
男爵、牧師、医者、教師、そして女やこどもたち。
そこに現れる息苦しい日常生活がある。
この「白いリボン」。
なんといえばいいのか。
静かな暮らしがあるのだが、その奥底にはなにがあるのか。
嫌悪し、唾棄したいことがあるのだ。
権威、権力、傲慢、横暴、そしてそれへの反発。
抜けられない規律と背理がある。
そう、
そこから逃げ出すために戦争があった。
ナチスドイツの台頭もあったのではないか。
なんとも恐ろしいことだけど、
それもひとつの真実かもしれないと思った。
ミヒャイル ハイネ監督の普遍的なアートがそこにあった。
人間社会に普遍的に存在する閉塞性を鋭くついた、難解だが見ごたえ充分の名作!
この作品、人への説明や紹介が実に難しい。と、言うのも、監督ミヒォャエル・ハネケがひとつひとつのシーン、演出に対する回答を観客にあずけてしまっているからだ。つまり、物語やシーンの話をするのは、この作品をこれから見る人への興味を、むしろそらせることになってしまいかねない。
それでも映画の中身の話をしないと意味がない。物語は第一次大戦前、北ドイツの素朴で小さな村である日、医者が自分の玄関先で張られた針金にひっかかつて大ケガを負うところからはじまる。そこからの話は、起こった事件の羅列になる。農民の妻が転落死、知恵遅れの子どもの失踪など…。なぜ大事件にもかかわらず羅列的に登場するのか。その理由は、この映画を解説する、物語内の唯一の説明者である若い教師をはじめ、村人たちが事件に対して正面から向き合おうとしないからだ。実は、そこにハネケ監督が提出した観客への重要なメッセージがあり、この作品そのものの核があるのだ。
素朴な村、という外見であっても、映画の内容から浮かび上がってくるのは、村社会にある閉塞性や、当時の教会に持ち合わせていた厳格な社会性だ。そこには、人間的な優しさなどあるはずもない。正面から事件に向き合わないのは、そんな村や教会に暮らす人々同士が絆ではなく、互いに疑いの目でしか相手を見ようとしないからなのだ。この映画を見終わったあと、本当に恐ろしいと思ったのは、このハネケが描いた村は、その当時では決して特殊ではないこと。さらに言うなら現代社会、たとえばすぐデモに参加する若者が大量に出没する中国や、会社組織を厳格に大事にしようとする日本の社会性に、とても似ていると感じたからだ。この映画、評価を高いのは当然だろう。これだけ、人間社会や人心に普遍的に持ち合わせている恐怖を鋭くついたものは、他にはあまりないからだ。
私は、この映画を見ている最中、ランス・フォン・トーリア監督やイングマール・ベルイマン監督の一連の作品を思い返していた。トーリア監督の作品には閉塞的な人間社会を見つめる目があった。そしてベルイマン監督には「神の沈黙」から、教会社会への批判的な目があった。ハネケ監督の今回の映画には、そのふたつの目で人間社会を照らし、閉鎖的になりやすい現代社会に対して、痛烈な皮肉さえもこめて警鐘を鳴らしているように思う。ただ、普通に淡々とスクリーンを見ているだけでは、そのハネケの意図やメッセージ、この映画の良さそのものを感じとることはできないだろう。これから見る方には、ひとつひとつのシーンや演出をじっくりと吟味し、自分たちで昇華する能力が必要だと思う。その意味ではこの映画、ハネケ監督から観客に投げかけた、映画を見る上や現代社会に暮らす上での、難しい練習問題という側面もあるのかもしれない。
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