「自分の頭の中を抜け出せなかった男の話」ソーシャル・ネットワーク 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
自分の頭の中を抜け出せなかった男の話
IT用語に疎い僕にとっては『フェイスブック』も『ナップスター』も
古代サンスクリット語だか何だかに聴こえるので、この映画は
『フェイスブックを創った男の実話』とかではなくて
一種の青春ドラマとして観ていた。
まぁ事実関係については書籍やらウィキやらTV番組の再現VTR
(その内やりそうだ)を見れば済む話だろうし。
それにしても面白い映画だった!
色々書きたいが字数も足りないので、
主人公マークとその友人エドゥアルド、そして“ザ・”ショーンに軸を置いて書きたい。
『ナップスター』開発者のショーンに心酔してゆくマーク。
思考回路は似ているのに人(特に女性)を惹き付けるショーンを見て、
『彼は自分に足りない物を持っている』と勘違いしてしまったのかも。
彼と組めば俺も“クール”になれる。皆の尊敬を集められるし、
彼女を振り向かせる事ができる、なんてね。
2人は似通った部分があるが、やはり違う人間だ。
悪気は無いが無自覚に相手を傷付けるマークと、
目的の為に相手を意図的に踏み台にするショーン。
どちらもとんでもない野郎には変わりないが、
後悔を感じてるだけマークの方がまだ憐れに見えるし、
地位と金を得る事が目的のショーンと違って、
マークは強烈な自己顕示欲の裏に『人と繋がりたい』
という願いがやっぱり在ったと思う。
ただそのやり方は称賛とか羨望とか、そんな浅ましい感情に任せた方法だった。
「窓に書いたアルゴリズム、覚えてる?」
そう話すエドゥアルドに、黙って微笑み掛けるマーク。彼らだけの共通言語。
マークがその口を閉じたのも、謝罪の言葉を口にしたのもエドゥアルドに対してだけだったか。
同じひとつの目的、そしてその目的に近付いてゆく喜びを共有する事。それが彼らの繋がりだった筈なのに。
人の青春時代を描いたドラマでは主人公が成長する姿がよく描かれる。
けどこの映画の主人公は、あれだけ猛烈な勢いで動き回ったのに、
結局は大事なものを振り落としながら
自分の頭の中を駆けずり回っていただけだった。
きっと『俺はこれで変われる』と信じて走り続けていたんだろうにね。悲しい話だ。
けれど最後——
どんなプログラムも完璧に、超高速で叩き込めるのに、
『友達になりますか?』のたった1クリックをためらうマーク。
勇気が無いだけ?
いや、あれは相手の心を考えて、自分の行為を躊躇う事を学んだのだと思いたい。
<2011/1/22観賞>