劇場公開日 2010年5月15日

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「160130『パリより愛をこめて』感想」パリより愛をこめて 水玉飴さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0160130『パリより愛をこめて』感想

2019年8月10日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

 『パリより愛をこめて(2010年、ジョン・トラヴォルタ主演)』、『オーケストラ!(2009年、メラニー・ローレン出演)』、『オーシャン・オブ・ファイヤー(2004年、ヴィゴ・モーテンセン主演)』。この三作が今の私にとっての、頭を空っぽにして文句なしに楽しめる、気晴らし効果覿面の準大好き映画の筆頭らである。しかしこれら傑作から多元主義を考えるきっかけを得ることも又、無意味ではあるまい。

 『パリより愛をこめて』。型破りゴリラCIAのトラヴォルタと、イケメンCIA見習い駐仏米国大使館職員がコンビで、フランスでのイスラム過激派テロリズムの阻止に奔走するスタイリッシュ・アクション(?)。国家主権を曖昧にして国境をなくせば人類平和が実現すると頑なに信じて疑わないお花畑な理想主義的政治経済思想で動く国際社会の安全保障を末端で背負わされる有能な公務員ヒーローコンビを感情移入のコマにして、自然の多元主義を人工的なグローバル思想で悪戯に引っ掻き回すと、人智では抗いきれない厳然たる限界にぶち当たるぞという警告のテーマ性を読み解けるかのようなつくりの傑作だ。緻密なアイディアがふんだんに盛り込まれた高度なご都合主義的アクション展開は、こうと頭で理解していても、観ていて爽快である。こんな贅沢な馬鹿ヒーロー像でなければ、そのリアリズムが担保できないほど、最早そこに釣り合いが取れてしまう現実社会、映画誕生の背景としての国際政治文化の腐敗が極まっていると、全編終始する皮肉を込めたブラックジョーク的なセンスで警告する傑作。EUのグローバル思想の危険性に無知な馬鹿代表に、安全保障の前線の危険過ぎる事情説明なんかおいそれとできたもんじゃありません。あの代表団首脳ってのはメルケルにしか見えないよ。

 主にトルコ→バルカン半島諸国経由ルートをとる、いわゆる中東経済難民までも前面受け入れ表明したドイツのメルケル首相に対して、これを賞賛する難民の一人がTVメディアのインタビューに次のように答えていたのは忘れられない。
 「メルケルは偉大だ。是非偉大なアッラーの指導者になって欲しい!」。

 経済難民も含めた大量の中東難民に対して、今のEU加盟諸国は、この愚かな理想主義的政治体制ゆえに、政治思想的にも経済的にも無力だ。国家主権にまつわる権力と責任の出所が曖昧であることがより人類平和にとり望ましいというわけで、国民国家単位の民主的な責任ある経済的安定よりもグローバル大企業の限定的な非民主的な利権や、国境の外からの短絡な同情の対象に向ける、非民主的な超法規的社会保障措置の麗しさが優先されてしまう。EU体制を思想的に支える国民国家主権撤廃の狂ったイデオロギーに執着し縛られる限り、今のEU諸国に大量の経済難民を拒絶できる国家としての大義や正当性の民主的承認は成立し得ない。EU加盟の法的条件が、過度な排外主義アレルギーを醸成し、ひとたびまともな自主独立の国家運営に舵きりを表明するような保守的な政変が起きようものなら、その国はEUから除外させられてしまう。既にEU加盟国同士の金融連携は、国家主権の要の一つたる通貨発行権が形骸化の域に達するほど進行しており、ここから登録抹消されることは国家経済の危機を意味する。従って、EU平和秩序の空気を読めない異端の国は滅んでしまえということで、EU離脱で致命傷を負うも、EU続投でじわじわと緊縮財政の欺瞞の真綿で首を絞め続けた果てにデフレ悪化で窮地に陥るも、どちみちヤバい。だからといって、そのヤバさと、大量の中東難民を受け入れた挙句に国家主権どころか目先の社会安定そのものまで失い始めている今の現状の(まだまだ序の口とさえも言える)ヤバさとどちらがよりヤバいのか、メルケルは早いとこ素直になるべきだ。

 そもそも大量の中東難民が生まれるきっかけをばら撒いたのは、他でもないアメリカだ。ホワイトハウスの政策判断を大きく歪ませ続けてき金融業者本位の中東の石油利権欲しさのためだけに、アメリカの対中東軍事戦略はもとより、CIAの内乱工作が主導されたのであり、この結果中東諸国の多元的ナショナリズムは大きく歪み、イスラム原理主義的思想の素地も相まって、これをテロリズムにまで発展せしめ、治安の極限的悪化に耐え切れない大量の難民を生んだのだ。例えばシリア独裁体制は、この地域のイスラム部族宗派を統率して近代化を獲得するためには必然と要請された地政学的根拠によって正当化されざるを得ないシリアの自主独立の尊厳に他ならず、これをもってシリア難民発生の直接的原因と見なすことは愚の骨頂である。第二次世界大戦終戦後、イギリスに代わってイランの石油利権を欲したアメリカは、イラン民主化と資源ナショナリズムの奪還を果たした指導者をCIAのクーデター工作で失脚させた。大東亜秩序の多元主義的思想をねじ伏せたアメリカは、こうして帝国植民主義を相も変わらず貫いてきたのだ。

 そんな合衆国の欺瞞にさえ忠節を貫かねばならない役職こそがCIAだったりするわけで、『パリより愛を込めて』のトラヴォルタらはそういった米国帝国主義の欺瞞の尻拭いを只々前線にて黙々と遂行するしかない。無能なメルケルや合衆国の政治思想を、滅茶苦茶なリアリズムで茶化しまくっているようで爽快である。

 翻って現代日本国は、そういったアメリカ帝国主義と平和憲法の足枷のもとで連携し、中東諸国の蹂躙されたナショナリズムの犠牲の成果たる、血塗れの石油資源の恩恵に便乗し、こういった、かつての大日本帝国が掲げた反帝国主義、大東亜共栄思想、多元主義的平和思想とは真逆で、卑怯、外道極まりない国家運営の手法に手を染め切って、正に反平和の国に成り下がってしまっている。世界で最も平和を愛する、憲法九条、平和憲法を誇る国の正体は、国連の対中東軍事侵略に参画することで血みどろの経済繁栄を手にするといった欺瞞の塊である。恥を知るべきである。やがてイランが核弾頭ミサイル発射技術を獲得すれば、イスラム過激派テロリズムの壊滅も融和も不可能なアメリカによる国際社会の一極支配体制による、まやかしなりの平和ですら、この正当性の根拠が完全に失われる。この際日本国は再び、多元主義の国際秩序の一構成国家として自主独立の政治的方針転換をなせるほどにまともな民主主義を発揮できるだろうか?もう今更、無理じゃね?

 尚、ここまでの内容は、「多元主義≠多文化共生」の前提抜きには全く理解不可能なものとなっております。国境は弊害ではなく、人類平和のための尊厳と知れ!

水玉飴