「ラストの12分で演奏される運命のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が、凄く心にしこんで、ホロリとさせられました。」オーケストラ! 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストの12分で演奏される運命のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が、凄く心にしこんで、ホロリとさせられました。
“のだめ”に感激した皆さん、愉快でホロリとさせるオーケストラのお話しがパリにもう一つあったのです!
本作は、フランスで名作『コーラス』に匹敵するくらいの大ヒットを飛ばした作品です。一応コメディにはなっていますが、後半に明かされる主人公の指揮者が背負ってきた過去の重さはなかなかシリアス。だから、余計にラストの12分で演奏される運命のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が、凄く心にしこんで、ホロリとさせられました。この部分だけで、聞いたとしても、本作の醍醐味が味わえることでしょう。
現在の演奏シーンと、過去の経緯をつなぐカットバックの仕方が巧みで、コンパクトにネタバレをまとめながら、エンディングに持って行った演出手腕もなかなかのものだと思います。
冒頭からして、ギミックに満ちた始まりでした。モーツアルトのピアノ協奏曲第21番の第2楽章の練習風景から入ります。これが凄い名演奏なんですね。天にも昇る心地です。私服で指揮を執っているアンドレ。でも次の瞬間、彼は指揮台でなく、2階の観覧席の侵入して、勝手に指揮をするフリをしていたのでした。昔天才指揮者として名声を馳せたアンドレでしたが、この30年間というものの彼が指揮台に立ち続けたモスクワのボリショイ劇場のそうじ係に成り果てていたのです。
なんでアンドレがそうなったのか、明かされていくというのが伏線としてのお話しです。
しかし、アンドレは指揮者としての夢を諦めていませんでした。パリのシャトレ劇場から届いたサンフランシスコ交響楽団の代演依頼のFAXを盗んで、かつての楽壇の仲間たちを集めて偽ボリショイ交響楽団をシャトレ劇場に送り込もうと企んだのです。
コメディータッチで「あり得ないだろう!!」というエピソードの連続ではあります。 本当にバレないでパリ公演を開催出来るか、全員のパスポートや楽器はどうするのか、予告を見た段階から気になっていました。でも、きちんとした伏線があられており、なるほどそれならアリかも思わせてくれる展開で満足しました。
例えば、自分を追い落とした張本人の共産党幹部を交渉役に立てて、シャトレ劇場に信用させたり、アンドレの妻が持ってきたマフィアの結婚式の仕事から渡航費用のスポンサーを見つけたり。そして、昔の仲間たちも探し出したら、みんな30年間ブランクがありつつも、かなりのポテンシャルを持った演奏技術をキープしていたのです。
天才指揮者の復活を書けた大ばくちとしてのパリ公演。序盤はそんな話に見えました。しかし、アンドレにはメンバーにも内緒にしていたもう一つの目的があったのです。そしてシャトレ劇場の演目に選んだチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」には、アンドレにとって、30年前のある事件の因縁があったのです。
30年前にアンドレは、ブレジネフのユダヤ人楽団員追放に反抗したため、当時の楽団員と共に追放されてしまいました。しかも、絶頂期の海外公演の時に。その時の演目が、この曲だったのです。
この弾圧は、その公演で組んでいたソロバイオリニストも巻き込んでしまいます。捕まった彼女は、アンドレに生まれたばかりの一子を託し、その後死ぬまで収容所生活を余儀なくされてしまいました。それ以来アンドレは、ずっと彼女のことを見殺しにしてしまったことを悔やみ続けていたのです。
せめてもの償いとして、いつかもう一度「ヴァイオリン協奏曲」の指揮をして彼女にの無念に報いたいとアンドレは、思い描いてきたのでした。そう彼女の残された娘をソロバイオリニストに立てて・・・。
そんなアンドレが時折大切そうに、空き箱から取り出すのは、ひとりの女流バイオリニストの写真や記事、そしてCDの数々でした。その名前は、アンヌ=マリー・ジャケ。トップクラスの女流バイオリニストでして名声を確立していました。そのアンヌを当日のソリストとしてアンドレは指名しました。これにはシャトレ劇場も大喜び。実際に、伝説の指揮者アンドレとアンヌのカップリングは、チケットも完売となるほどの大きな話題となったのです。
しかしアンヌのマネージャーのギレーヌは、アンドレの共演を当初拒み続けたのでした。なにやら訳ありです。アンヌもチャイコフスキーを弾かないことにしている自分を巨匠がどうして選んだのか、その理由を迫ります。
アンドレは、アンヌにこの公演は、自分にとって『告白』なんだという謎めいた言葉を残します。そして、30年前に起きたこの曲の因縁を打ち明けて、アンヌに当時のソリストのような理性を超絶した演奏を要求したのです。でも、そんな演奏は無理と、アンヌは出演をドタキャンしてしまいます。
落ち込むアンドレを打開すべく、仲間の楽団員は、単身アンヌの事務所に乗り込んで、こう断言しました。出演したら、君の本当の両親が分かるよと。
アンヌがドタキャンしたくなった一因にもう一つ、リハーサルが出来なかったこともありました。
楽団員の多くはユダヤ人で、彼らは商売熱心。「パリに行く」ということにそれぞれの思惑があって、本気で演奏を成功させようと思っている人間は少なかったのです。本番ギリギリまで、姿も現しませんでした。
当然リハなしではじまった本番は、『書道ガールズ』もびっくりのバラッバラ!アンドレが観念したその時、天から舞い降りるかのように、アンヌの独演が始まり、付け焼き刃の楽壇にとんでもない「奇跡」を呼び込むのでした。
演奏中アンドレイとアンヌがアイコンタクトで意志を通わせていきます。それはまるで30前に起きた本作の背景を全て告白しているかのようでした。
本作は、「究極のハーモニーとは何か」がテーマになっています。社会からスポイルされて、一度は自信も未来も失っていた楽団員たちが、もう一度価値のある人間になろうとします。全員が自分自身の「究極のハーモニー」を見つけ出すために、たとえ一瞬でも、演奏を通じて、まだ夢を見る力があるんだと頑張ります。それが繋がって、奇跡を起こすハーモニーになっていくところが感動的なんですね。
指揮者のアンドレイが劇中でこう語ります。「オーケストラは世界だ!」本当に、そこにはあらゆる人生が潜んでいました。音楽ってすごいし、ミューズの美の女神の微笑みを感じます。
追伸
物語の伏線として描かれているブレジネフによるユダヤ人知識人への弾圧政策の元で、実際にボリショイ劇場のユダヤ人と庇ったロシア人楽団員の多数が映画のように職を失ったそうです。本作を書き下ろした監督は、楽団を解雇されて苦渋の人生を味わった人たちを励ます意味で、本作の脚本を描いたそうです。