春との旅のレビュー・感想・評価
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タツとの旅。 もっと肩の力を抜いても良いと思うだけど…。
寄る辺なき老人・忠男が、孫の春と共に住まいを求めて疎遠になっていた兄弟たちの下を訪ねて回るというロードムービー。
忠男の弟である幸男の恋人、清水愛子を演じるのは『もののけ姫』『ゲド戦記』の田中裕子。
忠男の弟、中井道男を演じるのは『ウォーターボーイズ』シリーズや『ハッピーフライト』の、レジェンド俳優・柄本明。
春の父、真一を演じるのは『ザ・マジックアワー』『20世紀少年』シリーズの香川照之。
仲代達矢、大滝秀治、菅井きん、淡島千景、柄本明といったレジェンドに加え、小林薫、田中裕子、香川照之などの実力派俳優も出演している日本映画版『アベンジャーズ』。若々しさは全く無いが、自社仏閣のような迫力がある。ついつい合掌して拝みたくなるありがたさ。
重いテーマ、暗い画面、辛気臭い劇伴などが実に邦画的。
何故か邦画界においては、明るくて楽しい映画よりも暗くて重い映画の方が芸術的で良きものとして扱われているような気がする。
仲代達矢や大滝秀治、柄本明が非常にコミカルな演技を披露しているのだから、もっとコメディー要素強めな作品でも良かったと思うのだが…。
物語は現代の「楢山節考」(1956)とでもいうべきか。
孫の春は爺さんを捨てに行く旅の途中で、祖父との絆を再発見する。忠男は疎遠だった兄弟達を巡るうち、頑なで偏屈だった自分を省みる。
物語の展開を考えると、忠男はもっと捻くれていて嫌なジジイとして描いても良かったのかも。
映画の冒頭と、それに続く大滝秀治演じる兄の重男を訪ねる場面では頑固ジジイ感が強めだったが、その後は割と可愛げのある困ったおじいちゃんというキャラクターに変化してしまった様な気がする。
忠男と一緒に旅をする孫の春。彼女のキャラクターはあまり面白くない。完全に忠男に喰われてしまっており個性が薄い。
物語は終盤、春と父との物語に変化するのだが、ここにはちょっと蛇足感あり。自殺した母親のこととかを、台詞で説明し過ぎてしまった感じがある。
クライマックスの忠男の突然の死?みたいなのも、ちょっとわかりやすい悲劇という感じで…ウーン。
直前まで結構元気だったんだけど…?
シナリオはまぁありがちな感じだし辛気臭くてダルいのだが、この映画の魅力はやはり役者陣の演技!名優達のアンサンブルがたまらない!
特に好きなのは仲代達矢と大滝秀治の、長回しでの会話シーン!ルーズショットでのワンシーン・ワンカット。固定されたカメラワークで、ただ2人がテーブルを囲んで会話しているのを映しているだけなのだが、これに引き込まれる!この演技の掛け合いはまさに国宝レベルといって良いでしょう。
このほかにも仲代達矢と淡島千景の喫茶店での会話シーンも良い!仲代達矢と柄本明の喧嘩シーンも良い!というか、仲代達矢が演技するシーンはどれも良い!仲代達矢のアイドル映画というのが本作の正しい見方なのかも。
個人的な好みの問題になるが、やはりこの様なザ・「邦画」という作品は好きじゃないなぁ。喜劇も出来る名優を集めているのだから、もっと笑える映画に仕上げてくれれば良いのに。重くて暗い映画を2時間以上観るのは堪えるね。
がに股
足が悪く、老いぼれている風体の老人忠男(仲代)。伸びた髭をばっさりとそり落とし、孫娘が止めようとするのを制止し、どこかへ向かって歩き続ける風景。一体何の目的で?と最初から惹きつけられる。
最初に訪れたのは長兄(大滝)が婿養子に出て住んでいた大きな家。元々そりが合わない二人だったのだが、忠男の方から「もういい」と諦めて出てしまう。帰り際にホームに入ることが決まってると打ち明けられるのが、なんとも物寂しい・・・
末弟のアパートに向かうものの、彼は刑務所の中。そして姉(淡島千景)のもとを訪ねると、働けない忠男は養えないが、小学校の給食の仕事をしていた春を跡取りとして迎えたいなどと言う。しかし、春は申し出を断る。最後の兄弟は道雄(柄本明)だったが、またもや喧嘩である・・・
当てもなくなった忠男だったが、春に実父に会わせてやろうと画策し、実父(香川照之)の実家へと向かう。そこでは忠男が実父真一の新しい妻(戸田菜穂)から「一緒に暮らしませんか」と言われ、思わず涙する。こ、これは『東京物語』のパターンか?!と、よく考えると、忠男にとっては全く血のつながりのない夫婦なのだ。牧場でのこのシーンだけでお腹いっぱい・・・でも、そのあと二人はこっそり抜け出し、一緒にそばをすするシーンがメイン。「おじいちゃんとはずっと一緒だからね」と、彼女は母を捨てた実父を許すことができなかったのだ。そして、一緒に北海道へと帰る電車の中で忠男は静かに息をひきとるエンディング・・・
血縁関係という薄い人間関係に、孤独と絆をうまく掛け合わせた良作だ。また、春を演ずる徳永えりのがに股がずっと気になるが、これは完全に演技なのです。
「罪を償う事は出来ないの?」
「罪を償う事は出来ないの?」
映画のクライマックスで、それまで小さな胸を傷め続けていた春の口から、吐き出された言葉です。
人が生きて来た中で、1番価値の在る事とは、一体何だろう?
有名に成る事?
子供を沢山育てる事?
それとも次の世代に続く後継者を育てる事?
色々な形がある事でしょう。
まだ形として残る物を持つ人は良いとして、亡くなった人の人生での価値を量る物事の1つとして、どれだけ多くの人に囲まれて幸せに死んで行くか…。
それも、その人の価値を知る事の1つかも知れません。
しかし、その様な幸せそうに亡くなっていった人とは正反対の様に、どこかの道端で野垂れ死んで行く人も、少なからず存在します。
それどころか、誰にも知られずひっそりと…。
個人的にはそんな死に方はごめんこうむりたいものですが!
だがしかし、そんな野垂れ死んだ人生の最期だからと言って、悲観した人生だった…。
とも言えないところが、人間が生きて行く上で不思議なところ。
沢山の親戚縁者に囲まれて幸せに死んだとしても、列席した親戚関係の人の中には、「あ〜あ、早く死んでくれないかなぁ〜!」と、思わていたりや。周りの兄弟や親戚縁者の顔ぶれを眺めながら、自分の懐にはどれ位の相続が入るのか…。
そんな思いを持たれながら死に至る人だって居る事でしょう。
この作品で仲代達矢演じるおじいちゃんは、若い頃から好き勝手な振る舞いや言動から、血の通った肉親からも疎まれている人物でした。
もしも人間1人1人に生きて行く人生の中で、我が儘を言える回数が決められていたとしたら…。
果たして使い切った方が得なのかどうか?
その結果として、最後に道端で野垂れ死んで行ったとしたら、その人の人生は悲しい最期だったのか?は解らない。
ひょっとしたら、多くの人に囲まれた幸せな最後であっても、死ぬまで我が儘を言わなかった事は、人生に於いて得だったのかどうか?…それも解らない。
全ては、神のみぞ知るところでしょう。
お金だって我が儘と同じなのかも知れません。
沢山の貯蓄をしたとしても、「使い切れ無ければ単なる紙屑同然だ!」と言って、宵越しの金は持たないと決め込む人は少なからず存在します。
尤も子供が居るなら話は別です。自分のDNAを残す子供には、なるべくお金を残してやりたいと考える親は少なくありません。
また、子供が居なくても、ただただ貯蓄の金額が増える事を生きがいにしている人も存在します。
映画の途中で柄本明演じる弟が、兄をなじる場面が印象に残りました。
昔は羽振りが良かったのだが、バブルが弾けてしまい不動産業が傾いてしまった弟。
今は家と土地を売り払い、マンションの狭い一室に妻と2人で慎ましく暮らしている。
それでもまだ不動産王になるべく、夢は捨ててはいない。
今はこんな暮らしでも、新聞は隅から隅まで読んで日本経済の行く末を予想し、「将来に備えているんだ!」と、うそぶく。
おそらく自分でも、それがどれほどの夢物語なのかを知っている筈なのだが…。
彼もまた子供が居なかったばっかりに、宵越しの金は持たない主義だったのかどうか…。
どうやらバブル期の勝負に負けてしまった1人の様です。
そんな彼も「今更どの面下げて…」と言いつつも、最後はお金が余っている訳では無いのに…。その性根の優しさに惚れている妻役の美保純は、春にはっきりと苦しい内情を語ります。
彼もまた、ニシンで失敗した兄と同じ兄弟の血筋を引いている人物だったのです。
振り返って考えると、最初に訪れた大滝秀治と、菅井きん演じる長男夫婦。
長男は次男をなじり倒した挙げ句の果てに、子供達の意見には逆らえない…との本音を漏らす。
おそらくは、将来を子供達に養って貰わなければならない立場に居る弱さを、滲ませているのだと思わせます。
この長男も、次男との話振りを見れば解る通りに、若い頃には自分勝手な生き方をして来たのだろう事は容易に想像出来ました。
血は争えないものだと感じます。
その様にこの映画の内容は、徳永えり演じる孫娘と共に、家族を頼って生きて行かなければならない事を悟ったおじいちゃんと孫娘のロードムービーです。どこか今後益々増え続けるであろう高齢化社会の縮図を見る思いでした。
実は観ている間に、或る1つの日本映画の名作を思い出しながら観ていました。
小津安二郎監督の名作『東京物語』。
血の通った兄弟よりも、血の通っていなかった義理の人物の方が…。
この作品でも最後には、『東京物語』での原節子にあたる人物として、戸田菜穂演じる女性が登場します。
かねてよりフランソワ・トリュフォー等のファンで在る事を公言している小林政広監督だけに。そんなヌーベルヴァーグの映画作家達が、過去の作品にオマージュを捧げた作品作りを、おそらく意識しながらの脚本作りだったのではないでしょうか。
彼女は何故、何の義理も無いお爺さんに対してあんな提案をしたのでしょう?
単に監督自らが書いた脚本上で、『東京物語』へのオマージュとしてだったのでしょうか?
それとも内情を聞いていた事から、再婚した相手を悪く思わないで欲しいと願っての事からだったのでしょうか?
一応セリフでは、父親を知らずに育った過去が有り、再婚相手から聞いた人物像に、これまでの人生で見た事の無い人物では在っても、父親の様なイメージを勝手に抱いていた感じでは有りました。
でも、ひょっとしたら再婚相手と同じ匂いを感じたのかも知れません。
牧場を捨て漁師の娘のもとに行った次期のある再婚相手。
多分出逢った当初は魚の匂いがしていたかも知れません。
そう言えば旅館で春がおじいちゃんに「お風呂は毎日入るんじゃなかったの?」と聞いていました。
「入らない…」と答えたおじいちゃんの一言。、
この言葉で、観客はこの旅に対するおじいちゃんの決意の強さを知る事になります。
訪ね歩く兄弟の家の先々で、窓を開け空気を入れ換えようとしていたのは、その習慣が残っていたからなのかも知れません。
少し匂いの方に脱線しました。
もう1つオマージュに関して言えば、淡島千景演じる姉を訪ねて行く場面で画面構成が不思議なシーンが有りました。
会話が会話として成立していないのです。
映画を観た人全てが、一瞬「あれ?」と思う筈です。
まるでゴダールの『男性・女性』を思い浮かばせるシーンでした。
案外と単純に、出演者達のスケジュール調整が上手く行かずによる苦肉の策による演出だったのかも知れないのですが。
『東京物語』には小津安二郎独特の辛辣な目線が入って入ると思えるのですが、この作品では長男に四男。そして最後に登場する、小林作品での常連俳優香川照之の描かれ方を見ると、小津安二郎の辛辣さに比べてかなり家族の血縁の深さを感じ取る事が出来ました。
突き放す様に見えても、最後には兄弟としての優しさが感じられるのです。
寧ろ1番受け入れ易そうで、常識人的な人物として描かれている姉の淡島が、春に対して仲代を「突き放さなければ駄目よ…」と諭す。
一見すると1番優しい口調ながらも、次男を受け入れる話に対しても「それだけは絶対に駄目!」と言い放つ。
そこはやはり姉と弟の関係で在りながらも、やはり男女の考え方の違いを観て居ながら意識してしまう。
またこの作品では、今までの小林作品同様に、映画全編でワンシーンワンカットが使われていました。
仲代達矢は脚が悪いとゆう設定の為に、終始右足だろうか?絶えず引き摺りながら歩いている。
逆に孫娘役の徳永えりは、絶えずおじいちゃんから「あれしろ!これしろ!」と言われ続けて来たからでしょうか。それまでの人生で絶えず、ちょこまかちょこまかと動き続けて来た事を想像させます。
腕を左右に翼の様に広げ、がに股でちょこちょことペンギンが飛び跳ねている様に、走る場面が多い女の子です。如何にも田舎育ちの女の子らしい仕草でした。
この作品の中で、この2人は一体どれだけの食事を取ったのだろう。うどんを蕎麦を。コンビニのお弁当を、
食堂を経営する田中裕子演じる三男の内縁の妻との触れ合いでは、結んで貰うおむすびを…と。
人間は食べなければ死んでしまう。
食べよう!と言う意識がまだ有る内は、このおじいちゃんに春はまだまだ一緒になって人生を歩いて行かなければならない様です。
最初に記した言葉は、春が長年思っていた気持ちです。
映画の中には登場しなかった人物を想いやっての一言でした。
言いたくて言いたくて溜まらなかった言葉を、やっとの事で振り絞り伝えた春。
その言葉を只黙って聞いていた人物。
その場には居合わせては居ないものの、春の心中を察してか、昔を懐かしむ様に2人で食事を取りながら、「実はな…」と語りかけるおじいちゃん。
ここで終われば、かなり余韻を残す映画の締め方でしたが、映画は更にエピソードが有りました。
その意味は、作品を観た人それぞれがどう感じたかによって解釈が色々と変わると思います。
色々な意味で考えさせられる作品でした。
多少音楽が過剰になる箇所も有りましたが、今回は今までの小林作品の様に、監督自らの歌が無理矢理入る事が無かったのは、良かったと思います(笑)
(2010年6月2日丸の内TOEI 2)
気が合うんだな、俺たち。
映画「春との旅」(小林政広監督)から。
世の中には、いろいろな事情を抱えた人が、
いろいろな人間関係の繋がりを感じながら、
解き(ほどき)、結ぶ行為を繰り返して生きている。
物語は、仲代達矢さん演じる主人公を通じて、
家族・兄弟・そして祖父と孫という微妙な関係を、
表現している気がしていた。
そして最後に現れたのは、主人公のひとり娘の夫と、
離婚したあとその夫と結婚した妻、言い換えれば、
主人公とは、まったく関係のない女性が、
「できることなら、一緒に住みませんか」と誘う。
驚きとともに、遠慮する主人公に、こう投げかけた。
「他人であっても、人は人。
気が合えば、それが一番じゃないですか」と。
深い繋がりを感じていた、血縁関係よりも、
「気が合う」というキーワードで繋がった他人同士、
それもまた然りだな、とメモをした。
「孫娘・春」と旅をした主人公、最後に気付いたのは、
「気が合うんだな、俺たち。」という関係だった。
気が合う、ウマが合うって関係は、捨てたものじゃない。
そんなふたりの関係に、最後は拍手をしてしまった。
P.S.
冒頭でふたりが降り立った駅名「増毛駅」と
19歳になる孫娘のガニマタ歩きが気になって仕方なかった。
どうみても、意図的な演技たよなぁ、あの歩き方。
さあ、困った・・・
「白夜」「バッシング」などを世に送り出してきた小林政弘監督が、仲代達矢、徳永えりを迎えて描く、小さな旅の物語。
仲代、徳永の柔らかく、丁寧に思いを描き出していく繊細な演技に心を奪われる。その男と孫の旅を支える、大滝秀治、香川照之、柄本明といった名バイプレーヤー達。そして、戸田菜穂、菅井きんといった男達を静かに見つめる女優達。あるべき場所に、あるべき人がいる。これまでの小林監督のキャリアの集大成ともいえる、重厚な一品に仕上がっている。
が・・困っている。どうにも、私にはこの作品を「くたびれた男と、その孫の、終の棲家を探す旅」と単純に書いてしまうことに抵抗を覚えてしまうのだ。物語は、進む。苦しんでも、立ち止まりそうでも、二人は歩いていく。その中で、男と孫の交わしていく目線が、家族を思う慈愛のそれから、愛する者を、熱を込めて想う愛情のそれに変わっていく。それが、私の言葉を立ち止まらせてしまう。
冒頭、男は寂れた旅館で一杯のカップ酒を震える手でかっ喰らう。それは人生の終わりを待つ、一人の孤独な老人の動きではない。人生を、自分の男としての旗をもう一度挙げようとする情熱と、力強さがある。孫は隣の浴室で、男の気配を感じながら歌を口ずさむ。もう、この一説から物語は、孫が爺を思いやる構図から、女が男を想う世界が浮かび上がってくる。
「私たちは、離ればなれになっちゃいけないんだよ」終盤になり、女は、男に向けて優しさに満ちた美しい眼差しを向ける。血縁を超えて、同情を超えて、そこには一組の男女がいる。小さな家族の物語としての側面を持ちながらも、私には男女の情念を強く謳いあげる世界が強く心を打つ。
さて・・困った。多くの人が家族の姿を描き出す秀逸なドラマを絶賛しているのに、私がこんな視点を提示しても良いものか。しかし、私はこの物語が好きだ。男が、女が、可愛いから。笑顔と愛をもって向き合う二人の未来は長くは無かったかもしれない。それでも、出会えたから、一緒にいられたから・・・それで、いいのだと思える。そんな幸せが、良い。
見ておいたほうが良い作品!
主役、脇役全て、演技達者、しかも高齢の方々なので、どうしても見ておかなくては!という思いで、ものすごく期待して見に行きました。
仲代さんは上手いけど、あまりの演技の上手さから知性を感じてしまい、役の環境と違和感がありました。
孫娘、春の歩き方は何を意味しているのか、理解できませんでした。(田舎の娘を表わしている?)
ストーリーもあまり共感できませんでした。わがままな老人を、心優しくて肉親が他にいない孫が、捨てきれない。これは、現代の老人問題とは少し違うように思います。
いくつかの違和感はありましたが、すべてのキャストが、数分ずつの登場ながら拍手したくなるほど上手くて・・・。ほんの数行のせりふで十数年の生活を、感情を、表現できる、共感させられる、すごい技術ですね。素晴らしかったです。
やはり「見ておいたほうが良い!」作品でした。
自分をふり返る旅。
どうなんだろう、この作品^^;
私にはこれから老いていく全ての人々へ
「いいですか、こんな老人になってはいけませんよ!」
というメッセージなのか?とも思えたけど。
私的に分析すれば、自分の生い立ちや両親との関係、
さらには祖父母とどのような関係を築いてきたかで
話への関心具合が変わってくる作品のように思えた。
おそらく誰にでもこの爺さんのような時がくる。
しかしこの爺さんには孫がいて、自分の世話を
してもらっていたのだから、まだかなりいい方だ。
これから先の未来、こんな風に家族が世話をできる
環境の家がどれだけ残るんだろう。と思ったほどだ。
唐突に始まる冒頭場面。怒り心頭、といった面持ちで
あばら家から飛び出してくる爺さん。杖を放り投げ、
足を引き摺って歩く爺さんを必死の形相で止める孫。
何これ…?と旅の始まりがまったく分からない^^;
行きつ戻りつ進みながら、やっと辿り着く最初の家。
どうやらこの爺さんと孫は、兄弟宅を訪ね歩いては
爺さんの今後の世話を頼みに来たようだ。そもそもは
孫が働いていた小学校が廃校になり、孫が上京して
家を出るから、といった話に起因するようだ。
やーっと分かったぞ。と思ったら、もう次の二軒目だ。
すでにこの時点で、こんな爺さんを受け入れる家族は
誰もいないだろう、とこちら側も推測できる^^;
我儘を推し通して生きてきたんであろうこの爺さんは、
人生全てに見通しが甘く、常に誰かの世話になって
どうにかしてもらおうという魂胆が見え見えなのだ(爆)
もちろんこうなるのはこの爺さんだけのせいではない。
それを受け入れてきた家族、兄弟、孫の責任でもある。
どうせこんな旅を続けたところで、誰も快く了承など
するはずもない。多分この爺さんはそれを承知の上で
この旅に出たんだろう。そして孫はこの爺さんをひとり
にはできないと悟り、引き返そうとする。さて…。
冒頭からラストまで、仲代達矢を観る為の作品である。
偏屈~頑固~食い意地~甘ったれ~イジケ虫~ありと
あらゆる表情と動きを素晴らしいまでに彼は魅せる^^;
兄弟ごとの甘え具合も絶妙(爆)特に姉役の淡島千景を
慕って愚痴をこぼすところなど、転じて笑えるほど巧い。
その姉が孫と弟の将来を案じてビシッと決める言葉が
素晴らしい。当たり前のことなんだけど^^;そうなのだ。
決して憎くて突き放すのではない。本当は弟が可愛くて
仕方ないという姉の表情を見事に決めるところもさすが。
他の役者も皆巧いため、演技に対する云々は全くない。
ただ。
どうしても気になったのが孫役の徳永えりの歩き方。
あれはワザと?なんだろうか。今時の女の子があんな
ガニ股でバタバタ歩くんだろうか。どうにもおかしい。
あの子が動く度に違和感が生じ、集中できなかった^^;
どうなんですかね、監督。
必ず訪れる老いや転機を題材にしたいい話なのだが、
全ての世代の共感を呼ぶにはおそらく難しい作品。
(ところで仙台って学会が多いんですか?困ったなぁ^^;)
人生とはつらいものですね。
豪華キャストで描く家族ドラマ。
北海道の元漁師である忠男は、孫娘の春と共に、ある日突然、家を捨てて旅に出る。
旅の目的は住む家を求めて、親戚縁者を訪ね歩く旅。ただ家族との過去の確執から助けてくれる兄弟はおらず、忠男は自分の人生を見つめ直すことになる。
その中で、自分が如何に自分勝手に生き他人に迷惑をかけてきたか、今も孫娘におんぶに抱っこであることを、足が不自由でつい甘えてしまう自分の姿に情けなさを感じつつも何も出来ない惨めさに苦しみながら旅を続ける。
春も忠生という重い荷物を背負っているという実感から、つい発してしまった一言がこの旅の始まりとなってしまったが、自分にとって忠男(家族)が如何に大切な存在であるかを旅の中で再認識する。
人生は常に厳しいものであることや、人生とは何か?考えさせられる作品。
また家族と老後の付き合い方にも問題提起しているのでは?
人は人に寄り添って生きていく。
良いときも、悪いときもー。
切ない
我侭で、甘えん坊な年老いた駄々っ子の物語。
孫娘と二人でつつましく暮らしていた頑固な老人が、内心孫娘を自分の面倒をみるために女郎のように囲っていることをすまなく思い、
自分の面倒を見てもらえるように兄弟たちを訪ねて歩く。
長兄には悪態をつき、一番気の合う弟は刑務所の中。姉には叱咤され、羽振りが良いと思っていた弟には罵られ、自分が長兄に悪態をついたことも棚に上げ兄に向かって何事だと、まるで子供のように殴りかかる。
足が悪いから一人では暮らせない。薪割りでもするかと問われればそれもできないと言う。
断った兄弟たちに非はない。
当然の回答だろう。
孫娘に対するどんな思いがあったにしても
我侭な甘ったれの駄々っ子にしか見えない。
断った兄弟たちに共感しても、主役に同情や、感情移入はできなかった。
全編に流れる音楽は良かった。
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