劇場公開日 2010年4月24日

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「どんな境涯をも変えていく教育の力とその希望を感じさせてくれました。」プレシャス 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0どんな境涯をも変えていく教育の力とその希望を感じさせてくれました。

2010年4月25日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 およそ人の心を持った人であるなら、主人公のプレシャス人生には、まともに見ることすら息苦しく感じるほど、絵に描いたような不幸だったのです。
 冒頭から、突然通学していた学校から、退学が告げられます。出産・妊娠を2度した不純異性交遊が理由でした。けれどもプレシャスの場合は、近親相姦だったのです。そんな訳ありも、一切校長に語ろうとしません。全く無抵抗に処分に従います。
 3歳の頃からDVを受けてきた、プレシャスにとって、大人に反抗することを、すっかり諦めていたのでした。そればかりか、自分に次々降りかかる悪しき出来事を、半ば不可抗力として、抵抗することすら忘れてしまっていたのです。
 でも悲しみや憤りを忘れたわけではありません。そのはけ口として、食欲に走ったのであり、もう一方では現実逃避し、常に夢見るナルシストになっていたのでした。

 学校を退学となり、生活保護に頼っていた母親は、補助額が減額となることにヤケとなって、プレシャスをバカが勉強しても何にもならないと蔑みます。
 けれども、前の学校で数学が良くできると褒められていたプレシャスは、諦めずにオルタナティブ・スクールに通い始めます。
 日本語訳が、代替学校とあったのは誤訳で、正確にはフリースクールといったほうがいいでしょう。ヨーロッパのシュタイナー学校など独自教育を行っている教育機関を指します。

 この学校とレイン先生との出会いが、プレシャスの虐げられた人生を変えていき、自立への道へと導くことになります。
 でもプレシャスは、なかなか授業に馴染もうとしませんでした。文字も読めなかったというよりも、人前で文字を読むことすら強いコンプレックスを感じて、沈黙していたのです。レイン先生は、プレシャスの心を開くため根気よく、語りかけるのでした。
 それにしても、教育の効果は偉大です。
 文字が読めない頃は、自暴自棄で、明日のことすら夢を語ることもありませんでした。でも、長男を出産したとき、この子にいろんな話を聞かせてやりたいとプレシャスも思うようになり、少しずつ勉強を始めます。
 二宮尊徳が「積小為大」と語ったように、プレシャスの僅かな勇気と毎日コツコツと覚えていく文字の学習が、やがては大学進学まで語り出すという、大きな希望を紡いでいくのです。
 あれほどの不幸の申し子だったプレシャスの目がキラキラ輝いて、素敵に見えました。登場時は超肥満体を揺する「怪物」にしか見えなかったプレシャスですが、あ~ら不思議、ラストにはとってもチャーミングで、愛おしく、その名の通りプレシャスな存在に見えていったのです。
 どんな外観でも、人には仏性があります。逆境のなかでその仏性がキラキラと輝く時、どんな境涯の人でも、周りを感動させてしまう輝きを放つことができるのでしょう。

 希望を掴んだプレシャスは、虐待されてきた母親との関係も劇的に変える決意をしました。これまでは、何をされても従順に従ってきた反面、内面では激しく憎悪していたのです。
 しかし福祉機関に保護され、母親と長らく面会拒否をするなかで、久々に面会に応じたとき、母親がなぜ自分に辛く当たってきたのか、その胸の内を知ったのです。
 愛していた夫をわが子に寝取られて、子供まで産んで、その後夫は行方不明。一体自分は誰が愛してくれるのかと、泣きながら心境を吐露する母親に、一人の哀しい女としての性を感じ取ったプレシャスは、母親を許すのでした。それは母親に隷属していた恐怖心との決別も意味していたのです。親子と孫とも一緒に住もうという申し出には、ぴしゃりと拒否して、プレシャスは初めて自分の意志で、自立を決意するのでした。
 これでハッピーエンドかと思ったら、さらに不幸がプレシャスを襲います。もう勘弁してくれ~となきなくなりました。でも自立したプレシャスは、そんなアクシデントも乗り越えていったので、ホッとした次第でありますぅ~。

 全編通じて感じたことは、登場人物の多くが愛に飢えていたこと。マイケル・ジャクソンは、ヒーリング・アースと想いを込めて歌いました。今日も世界中のあちこちで、愛に飢えた人が彷徨っています。
 プレシャスが、レイン先生との出会って感じた、こころがほこほこするような優しさを提供する人が、沢山いなかったら、この世は愛を貪る飢えた人々の群れとなっていくでありましょう。この映画を見て、小地蔵の胸が痛かったのは、地蔵菩薩の慈愛がまだまだ充分でないこと。地球全体を癒すためには、まだまだ頑張らなくっちゃいけませんねぇ。
 ただプレシャス自体は、誰にも愛されないと叫んでいたのに、わが子から愛されいることを発見してからは、そのことが生き甲斐になっていくのですね。やっぱり、愛されていることを自覚すると、大きな力を生んでいくものなのですね。

 ところで本作では、プレシャス役の新人女優ガボリー・シディベが、新人とは思えないほどのなりきりようでした。素晴らしい!そして、意外なキャストとして、登場するのがマライア・キャリー。マライアが演じたソーシャルワーカーのワイス婦人役は、普段の歌手としての姿とは別人のように違うノーメイク姿で役に挑んでいたのです。
 ちょい役ではありましたが、どん底の主人公を土俵際で支える役柄として存在を発揮していました。救いようのない状況が続いた中で、マライヤの役回りは、確実に観客の心にほのぼのとした安心感を与えてくれました。 これから見る人は、ぜひ注目してください。

流山の小地蔵