悪人のレビュー・感想・評価
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胸に突き刺さる作品でした
今も胸に突き立てられた棘が抜けない気分です。
誰も決して最初から故意に悪事を企てたわけではないのに、それぞれささやかに幸せになりたかっただけなのに、なんでああなっちゃったんだろう。
人間って、なんなんだろう。
観て幸せになる娯楽作品とは対極ですが、これもまた映画なのかな。
考えさせられます。
誰が一番の悪人なのか・・・
連れが観たいとのことで、なんの知識もなく鑑賞。
これは、近年の邦画では一番感動しました!
殺人犯の主人公が、善人に思えてしまうほど、他の登場人物が俗っぽく悪人に見える。。。
途中若干かったるい所があったので、ちょこっと減点させていただきましたが、いい映画でした!
偽善と偽悪
被害者になることで自己正当化する偽善と、被害者にしてあげる愛情が被る偽悪。どんな人でも内包しているこの因果をとても良く描いています。他人が欲しがる見栄えが良い彼氏がいるという友人の嘘を同僚で「友達だからという大義」で受け入れつつ蔑むことで自分の足元を固める人、臆病な自分を上書きするために死んだ女を肴にはしゃぐ友に「同級生で金持ちだからという大義」で相乗りすることが友情であり痛みを分かち合う手段だと思って諫めない人。それに対して、老婆にむしゃぶりつくマスコミを引き剥がすため車内の雰囲気を悪くしながら怒鳴り散らし、同乗している乗客をも無視し職務を逸脱して老婆の降り際に自分の思いを伝えるバスの運転手、自分の全てを受け入れ、生きる証とまで思わせてくれた自分の命よりも愛する人を安全な「被害者」の位置まで連れて行くために、今までの短くも焦がれるような愛しい日々を全て自分からも、相手からも消し去るがごとく「俺は、あんたが思うとるような男じゃなか!」と口づけながら光代の首に渾身の力をかける祐一。どうしようもなく思える増尾も客商売のくせにまずいラーメンを出して金を取っている店に馬鹿面さげて食っている他の客を尻目に「ごちそうさん、まずかったぁ。」と言えるほどの偽悪心はあるのです。偽善と偽悪、カレー味のウ○コとウ○コ味のカレー。普段食べているのはどちらなのかを見た人の感想から伺えるのがまた楽し。私の好物はカレーです。
もったいない映画
何が悪なのか、誰が悪なのか…。
加害者だが被害者でもある、というのは人物を掘り下げる人間ドラマとしては当然の要素なので、そこまでの評価には繋がらない。
そして、深津絵里の感情の流れについていけない。
孤独を出会い系サイトで埋めようとしていた彼女が、青年に何を見出し、何を求め、逃避行に走るのか。
寂しかった、退屈な日常から飛び出したかった、彼は私を必要としてくれた、では弱いのではないか。
原因は彼女が事件そのものと関係がない設定であること。
青年が起こした殺人事件が物語の軸としてるが、彼女は遺族でもなければ、加害者の家族でもない。
ましてや被害者と面識もなければ、青年とも出会ったばかり。
物語の軸と噛み合わない故に彼女が出演するまで時間がかかるし、彼女の動機を描ききれない。
ただひとつ秀逸だったのは、逃避行の果てに辿り着いた海で青年が見せた笑顔である。
母に捨てられ、「目の前に海があると、どこにも行けん気がする」と閉塞した寒村で育った青年の人生で、初めて充実した瞬間だったのだろう。
笑うことを忘れた青年が、絶望といえる状況下、初めて見せた笑顔が悲しさを際立たせている。
悪人であり善人であり。
観ていて気持ちのいい作品では決して、ないが…
じっくりと腰を据えて考えさせられる佳作だと思う。
悪人。と切り捨てててしまえばそれまでの人間も、
本当にそうなのか。と思わせる柔軟性、
善人。と思われていた人間が、本当にそうなのか。
と一考させる疑問の投げかけ方。
原作はチラ見(いつもすいません)程度なのだが、
なんかスッキリしない感が残って、映画版の方が
分かりやすいラストのような気がした。
考えても考えても、誰が悪人だ。と決められないのは
どんな人間も悪人の身に善の皮を被っているからだ。
欲を剥き出しにし、はしたないと思われたくないから
なんとなくカッコいい自分を演出したりはしてみても、
しょせんお体裁など相手によって簡単に見抜かれる。
このヒトならと思い、真の自分の姿を見せた時、
怖いとか、気持ち悪いとか、バッカじゃねえのなんて
酷い台詞を浴びせられて、一気に逆上してしまった、
なんていう事件が昨今でも起きているように思うが、
ではその、酷い台詞を浴びせた人間が悪人なのか。
いや、手をかけた人間こそが悪人なのだろうか。
いやいや、そんな子供に育ててしまった親はどうだ。
…考えるとどこまでも果てしない(汗)。
個人的にはとにかく孤独の果ての寂しさがこの上なく
冒頭からのしかかり…何でこんなに辛いんだろうかと
観ていて胸が苦しくなった。もともと孤独に生きてきた
人間にとっては孤独感は友達のようなものだと思うが、
満たされない想いが欲情と化し、一気に加速し、その
やり場のない怒りに満ちた行為には愛が感じられない。
差し出されたお金によって、買われたという屈辱感。
あの時の、彼女の失望はどれほどだったろうと思うと
心から泣けてくる。まぁ所詮、出会い系で知り合う仲、
お金同様に割り切ってしまえ。ということなのだろう。
私には解せない…が。
ただ今作に登場する祐一という青年は、妻夫木くんの
キャラもあろうが^^;あまり悪人には見えず、いや、善
のイメージが強すぎるんだろうな…いいヒトに見える。
自分の孤独を、なにでどう消化させればいいのかが、
分かっておらず、とりあえず女と逢って快感を求めて
いたが、真の快感(というか幸せ)を光代という女から
貰ったことによって、活きることに目覚めてしまった。
とはいえすでに殺人を犯した身体、罪を償おうと決意
したその時彼を止めたのは、意外なことに光代だった。
彼女もまた、酷く愛に飢えていた。
深津絵里の演技は確かに受賞も納得の巧さだったが、
彼女は昔からこういう役をやってきたように思えるし
それがまたよく似合っている。ので特に意外性はない。
悪といえば徹底して悪い男を演じた岡田将生の演技力、
それを傍で見つめる友人・永山絢斗の目線、何気ない
バスの運転手からの一言など、僅かな救いともとれる
温かな視点が共同脚本から生まれたことが幸いと思う。
なにはどうあれ、誰かを想い邁進する人々の気持ちを
もっと大切にしなければいけない世の中になっている。
人の気持ちをぞんざいに扱えば自分に反ってくるのだ。
娘の殺害現場に花を手向ける父親を遠目に、タクシー
運転手に向かって話す深津絵里の表情を捉えたラスト
は秀逸。悪人を愛してしまった、と言いながら後悔は
していない凛とした態度と意志の強さには目を見張る。
出逢う順序が逆なら悲劇は起きなかったかもしれないが、
いとも簡単に出逢い、車に乗り、人目のつかない所へ
向かう先に、事件性がないなんてあり得ないと思えるが。
(出逢いそのものを大切にする風潮が懐かしいこの頃。。)
リアルと非・リアル
事件は結果だけでは判断できない側面があり、
「誰が本当の悪人か」を見極めるのは難しい、
という問題提起には成功していると思うが、
深津絵里演じる光代が主人公の祐一の告白を聞いて、
あまりにも簡単に「待つ」と言うのを不自然に感じた。
いや、即決してもらうのは結構だが、
出逢ってからそれまでの、
祐一に惹かれる経過がほぼ、無いにもかかわらず、だ。
自分の期待が打ち砕かれ、泣いていたではないか。
そしてその後、祐一が見せた誠意は、
<謝りに来た>、まだ、ただそれだけで、
「これから2人ははじまる予感」どまりだったではないか。
なのに次の瞬間もう「運命の人」のようになっている、
その思い込みが孤独な女の狂気の成せる技というならば、
エンディングは事故現場などへ行かず、
何事もなかったかのように元の生活に戻っていればいい。
祐一の罪を少しでも軽くしたいなら、
祐一の優しさに甘んじることなく
一緒に逃げたのは自分の意思だと言っているはずで、
なにやら女心はわからんのぉという中途半端な思いが残った。
けれども登場人物の設定がどうもリアルで、
そこには深く感じ入るものがある。
達者な役者さん達の功績は大きいと思うが、
キラキラおメメを封印した暗い目のブッキーの新境地に拍手。
誰もが皆、重いものを抱えて生きている
俳優人の演技力も高く良い映画だと思います。ただ後味はあまり良くないかも知れません。
寂しい男と疲れた女が出会い系で知り合い必死に居場所を求めた結果が逃亡で
残された被害者の遺族、加害者の家族、其々が言葉では言い尽くせない苦しみと向き合っていく様に胸を打たれました。
主演二人より、その他の役者さん達の演技力が素晴らしくて見ていて
大切な誰かを…
私にとっては家族を抱きしめたい気持ちにさせる映画でした。
最後に
被害者、加害者の家族が出した答えを是非とも見逃さず見て欲しいです。
1000円なら ま、いっか
水曜日のレディスーディに観にいきました。
会場は中央から後ろはほぼ満席状態でした。
しかしながら…
結論から言いますと、なぜ主人公の二人が惹かれあうのかが全く理解できませんでした。
灯台って二人にとっては凄く大事なもののような気がするのですが…(原作を読んでないので、あくまで推測)
それもよく分かりませんでした。
一緒に逃げ始めてからが長く 長く 長く
ダラダラと長い!!
他のキャラにも視点を当ててるもんだから、ひたすらダラダラと長い!
という印象。
メリハリがないんですわな。
正直、いくらもてない女だったとしても(作中の深津絵里演じる女性がそうなのかは分かりませんが)殺人犯と一緒に逃げるでしょうか?
いくら寂しいといっても殺人犯と一緒に逃げるでしょうか?
女がそういう男性と一緒に逃げるっているのは、他によっぽど惚れる何かがあるはずで…
う~ん
伝わらない(残念)
結局、男日照りの女が体の関係をもって、そこに溺れたようにしか見えず(残念)
体はった二人の演技は良いと思うんですけどね。
だけど、一番役にはまっていたのは、殺された女性役をやった方でしょう。
ホントに殺したくなるくらいイライラさせられました。
でも、あの腹のでっぱりは女優さんとしていかがなものでしょう(´-ω-`)
まぁ1000円だったんで、そこまで損した感もなく
可もなく不可もなくで3.0とさせていただきました。
ギョーザが臭くなければ…
試写会で見てたのですが…感想を書くのが遅くなってしまいました。
見終わった率直な感想は“あのギョーザが臭くなければ…事件は起きなかったのかな?”と…
そうなんです。つまり佳乃さんが祐一君に会うのにもう少し気を配ってくれてれば…
あの後、圭吾君に偶然出会って、彼の車に乗ってしまったとしても
ニンニク臭くなければ(祐一君に気配りしてギョーザを食べて無ければ)、
彼女は圭吾君にやり逃げされたとしても
あの時、関係を持てたハズなんですよね。。。
で…祐一君がそんな二人を尾行してたとして二人とも殺してしまったか…
バカバカしいと長崎に帰ってしまったかは分からないけど…
光代さんにしても…私が思うに彼女は凄く淋しかったんだと思います。
いい年だし…出会いも無ければ、毎日変化なしの何のために生きてるのか?な日々に疲れてたんだと…
紳士服を買いに来たおじさんにさえも声かけられたらついて行きそうな勢いだったでしょ?
で…佐賀の駅で祐一君と出会って(ココで祐一君が見た目酷かったらそのままスルーしたと思うのですが)何せ、ブッキーだから金髪でもカッコイイし…そのまま車に乗っちゃうよね。
原作では祐一君の見た目はどう描かれてたのでしょうか?原作知らない私としては、気になります。
彼女がその淋しい人生から解かれたい一心で祐一君の自首を留めますよね。
そこは彼女のワガママ…本当に彼を愛しているのなら、少しでも刑期が短くなるように
自首を勧めるのは当然なことでしょ?
そういう意味からすると彼女も自分のことしか考えてない悪人でしょうか?
しかし…人生ってどこでどうなるか、分かりませんよね。
そんな気も無いのに何だか悪人って呼ばれてしまう生き方が
そこに待ってるかもしれません。
人生って怖いです。
忘れてました。この映画って凄く音楽が良いんです!!
こんなに映画音楽が素敵だと思った映画はありません。
流石、久石譲さんですね。
同じ人間なのに…こんなに才能のある方と…そうでない私…
この違いにも人生の厳しさを感じます。
原作を読んでから見ました。
これは、原作を読んでから見るべきでしょう。
映画を見た後、再度、原作を読みなおしました。
最初に読んだ時には、すらすらと読んだ場面、言葉が重みを増し、マーカーを入れながら読み直しました。
そして、再度、映画を見た時の感情を思い起こしました。
映画のエンディングは、昔のイタリア映画を見た時のような感覚でした。
自転車泥棒や、刑事、道…なんかを…まだ子供の時でしたが、哀愁という言葉の意味を、その映画から知った…と思います。
心に訴えてくるものがあり、涙が流れてきました。
どうしようもない事…不条理な事…それでも、その根底に潜んでいるものは、美しいもの。
哀しいのだけれども…どこか、かなり、はかなげではあるけれども、希望が、そこには、確かに、在る。
かすかな、かすかな…希望が…ある。
原作を読み返してみた時、マーカーをひいていった。その際に、太宰 治を彷彿させる表現があった。
かなり、細やかな表現。
読み飛ばしてしまえば、見逃してしまうような、言葉。
けれども、そこにこそ、場面が在る。
映画を見て、その後、原作を読んでみて、そう感じた。
まずは、原作を読み、そして、映画を見て、また原作を読む…久しぶりに、こういう映画の見方をした。
最後に…フランソワーズ・アルディの 「もう森へなんか行かない」なんかが流れたら、最高でしたね。
触発
妻夫木さんのこの映画に対する思いを聞き、それに魅かれ観に行ったが、
運びはわりと単純で、胸が詰まるような場面はなかった。
髪を金髪に染め懸命の役作りは感じるが、綺麗な暗い目は悪人を
演じるにはマイナス要因になり、祐一の生い立ちからすると
もっと粗野な立ち振る舞いがあるはずなのに動きが下品ではなく、
後半も逃亡しているという汚れが感じられず残念だ。
しかし彼のイメージとは違う作品を自らチョイスし演じた事は、今後の
妻夫木さんに期待大です。
深津絵里さんはいいね。最初は燃えるような激しい感情を持った女には
見えないけれど、どんどん辛い恋にのめり込んでいく様が
よく表現されていた。彼女も光代を演じることで女優としてある部分
脱皮したのではと思う。ドロドロの涙も激しいラブシーンも納得です。
脇役のふたり、樹木希林、柄本明さんは満点。深い役作りに感心です。
こうした方々の出演で重みのある映画として成り立っていくのだなと
感じました。
悪人とは何かを問う映画でしたが、日常の中で何時自身が被害者になるか
また加害者にかわるか又その家族になるかは紙一重ですね。
若い2人のチャレンジに触発される映画でした。
やるせなく、切ない。
老いた祖父母の世話に、過酷な肉体労働。
癒えるのことのない、そんな変化のない片田舎の日常。
出会い系サイトで知り合った、若い娘の暴言にキレて、殺人を犯してしまう祐一。
自分をわかって欲しいと願い、
自分を受け入れてくれる人を探した。
他人の我儘はたいてい受け入れてしまうほど、優しい人間だ。
そんな人間が、殺人を犯してしまう。
世の中の不条理。
人を、外見で判断してしまうこと。
お金持ちか貧乏人かで判断してしまうこと。
祐一の場合にも、母親の存在の軽さがある。
自己中心的。
子供よりも自分だけ。
母親の愛って、無償のかけがいのないものだと思うけど、最近はそうでもない事件が多い。
バスの運転手さん、良かったなぁ。
親戚の矢島憲夫も良かったなぁ。
良い人もいれば、年寄りのナケナシのお金を奪う悪徳商法の悪い連中もいる。
相手次第で、善人にも悪人にもなってしまう。
裏表のある人間。
善悪合わせ持つ人間の妙。
苦しみや喜び、悲しみ、絶望、人恋しさ、いろいろな感情を、深く描いた作品。
「大切な人は、おるとね?!」
「殺人を犯した者は、本当に悪人だったのか」
「生きているんか、死んでるんか、わからんかった」
もう以前のような孤独には戻りたくない、そう願う祐一と光代。
妻夫木君の目の悲しみや憤り。
深津さんのくたびれた感、やるせなさ、情熱。
岡田君のイヤらしい身勝手さ。
柄本さんの娘を想う気持ちの強い頑固な親父。
この作品を見て、≪殺される理由≫について、考えてしまった。
その先の生き方こそ…
「失うものがないと強がって、求める姿を笑う」娘を殺された父親の言葉。
悪人じゃない普通に頑張っている人が虐げられている場面が盛り沢山。共感できる。
でも、虐げられているように演出されているが、そう感じること自体が悪人への入り口な気がする。
被害者になるなっ!! 劇中繰り返し心中叫んだ。
光代は愛を与えたのか? 狭い世界感が原因で愛を求めただけじゃないのか?
愛を直情的に貪った後に「世間的には悪人…。」と気づいて、
その先の生き方を観客に求める。
器用になる必要は無い。
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