悪人のレビュー・感想・評価
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人間の醜さと美しさ
2回目を鑑賞し終えて、改めて良い映画だったと実感。
人間って性善説か性悪説か、昔から議論されるテーマではあるが、そもそも善悪の定義なんて現代で成されたもので、時代や国が変われば定義も変わる。他のレビューで悪人は殺人を犯した祐一に決まってる的な内容も散見されるが、作者が問うているのはそんな表面的な内容では無く、もっと本質的なものでしょう。
出会い系サイトで知り合った女にバカにされ衝動で人を殺めた男、その男から愛を受け取り庇う女、殺された女を理不尽な理由で人気の無い山中に車から蹴落とし置き去りにする大学生、殺された女の父親はその大学生に怒りの暴力を振るおうとし、殺した男を育てた祖母は詐欺に逢って現金を騙し取られ、殺人犯の身内だとしてその祖母を執拗に追い回すマスコミ群。
人間は多面的な生き物であり、虫も殺さないような一見穏やかな人でも、心の中では何人も殺しているかもしれない。が、実行しなければ罪に問われる事は無い。誰しも大切な誰かを愛する心を持ち、同時に誰かに殺したい程の怒りを持つ事だってある。これは主人公の祐一と同質であり、実行したかしないかの差でしかない。もちろんその2つは天と地ほどの隔たりがあり、普通の感覚の持ち主であれば実行できない。実行した後に自身に降り掛かってくる現実が想像できるから。
殺人は罪だが、国家間の戦争になれば相手国の兵士を殺しても基本的には罪に問われない。平和を望む心を持つ人が、戦争に駆り出され否応無しに武器を持たされ、人を殺す事は悪なのか?愛する人が襲われそうになり、暴漢を殺したら悪なのか?愛する人が病気で苦しみもがいている時、もう楽にしてくれと懇願され実行するのは悪なのか?
鑑賞した後に、そんな事を色々と考えさせられた。
映像は暗く、静かで、美しく、どこまでも切ない。俳優陣の演技は皆素晴らしく中でも妻夫木聡と深津絵理の絡みは、胸が締め付けられるように切なくて涙が溢れてきた。特に後半、妻夫木聡が深津絵理の首を絞めるシーンは、愛する人を守る為に、唯一そんな方法しかなかった切なさに涙が止まらない印象的な場面だった。
故樹木希林や柄本明、岡田将生の演技も申し分なく、特に満島ひかりは完璧に尻軽女にしか見えなかった。
楽しい映画ではないが、深く考えさせられる、自分にとっては大切な素晴らしい作品の一つ。
タクシー運転手は無神経すぎ
出会い系サイトがまるでまともな男女が知り合えるような印象・・・本当は佳乃(浦島)と同感覚の女性が多いだろうし、男はやりたいだけが多いのだろう・・・
事件は増尾がドライブ中に、ニンニク臭いという原因で佳乃を人里離れた山の中で置き去りにしてしまい、約束をすっぽかされた祐一がその車を追跡していたために途方に暮れていた佳乃に会ったことが発端だ。途方に暮れていたはずなのに祐一を罵倒する佳乃。プライドだけは高いようだが、久留米の床屋の娘であり、保険外交員の仕事も父親に頼るくらいの女。そんな過失致死とも思える事件の後、偶然にも寂しい女光代がメールしてきたわけだ。
出会い系サイトであってもまじめな交際に発展する場合もある。かなりリアルな展開なところが痛い。会ってすぐにラブホに入った二人は真剣に愛し合うようになる・・・そこからは逃避行。光代はいったん自首しようとする祐一を引き留めたくらいだったのだ。
演技力はリアリティあふれ、母親代わりとして祐一を育てあげた祖母樹木希林が詐欺まがいの健康食品を買わされるなんてサブストーリーも考えさせられる場面だ。本当の悪人は誰なんだ?と見終わった人たちは議論するであろう濃い内容。被害者、加害者家族である祐一の祖母と床屋の主人(柄本明)はさておいて、本当はいい人なんだという性善説的なところはどの人物にも当てはまりそうにないのだが、唯一いい人だと感じたのはバスの運転手(モロ師岡)だ!一方で、タクシー運転手は無神経すぎて酷い(笑)
本当はいい人なのに・・・などと観客、読者を誘導させるテクニックなんてのが感じるが、極論をいうと、ヤクザ映画の登場人物はみないい人になってしまう点が痛い・・・キネ旬もなぜ1位に選んだのか・・・
タイトルなし(ネタバレ)
悪人。
キャストがいい。みんなの演技力。
樹木希林の演技…切なかった。
普段は優しい孫。側にいた、育てたおばあちゃんの気持ち考えるとつらいな。
満島ひかり演じる娘にも問題はあるが、タイミングや不運が重なって起きてしまった殺人。
陥りそうな深い闇
深い内容で10年後ぐらいにまた見ると考えが変わりそうな作品。
誰もが(自分含め)登場人物の誰かになりそうな現代人を描いている。
事実、見たあと考え出すとこの作品が離れずこびりついた。
自分も愛を求めてああなる可能性はないとも言えないし、人間の弱く繊細で悲しい部分がありありと現れているような作品だし、人間の真っ黒くて醜くやらしい部分もまじまじと見せられる作品でもあるのかなと
どういう視点から見るのかも評価や考えを変えさせるだろう。
柄本明のセリフは考えさせられたなという感じ
ラストよし
最後の数十分は素晴らしい。
妻夫木が深津を絞め殺そうとしている時などは、美しすぎる映像だった。
樹木希林の安定感。
妻夫木は、あともうちょっと、ソレっぽ感を出して欲しかったかな。
ていうのを描いてる自分が、柄本さんの「そうやって生きてろ」に合致しそうで…
普遍的な愛をテーマにした作品なので、コンセプトは好きでした。
すべては一部
いろんな人が、いろんな状況を抱えて出てくるけど、みんな不器用な生き方なんですよね。普通はそんなもんじゃないですかね。
器用に生きることが良いことだとも思わないし、不器用な生き方が恥ずかしいと思わない。
みんな、求めるものは幸せなんでしょうね。
見方によって印象の変わる作品
殺人を犯した男、それを庇う女、殺害された女、殺害された女を捨てた男、殺人を犯した男の祖母と母、殺害された女の両親、、
それぞれの心情が見事に描かれててよかったですね!
果たして本当の悪人は誰なのか?
これは見方によって色々意見が分かれるんじゃないですかね?
そこにこの作品の深さがあると思うんですよ
個人的には人はみんな簡単に悪人になるんだよって言うように感じた作品でしたね
まぁ単純な見方をすれば殺した男が悪いんですけどね…
でもそれだけで片付けるには勿体無い作品だと思いました
苦しくて切なくて涙が止まらない
誰しもが持っている弱さ
人に流されたり
見栄をはったり
ずるかったり
表現できず
冒険できず
愛がわからず
そんな弱さが引き起こした事件
奇しくも人を殺してしまった後に愛を知り、温かみを帯びていく主人公
長くは続かない幸せがとても切ない
愛する人を守るため、全てを自分だけの罪にするために、首をしめるフリはとても胸が締め付けられるように苦しいシーンだった
本当に切ない映画
なにが悪いのかわからなくなる
こんなに苦しくて悲しい映画だが、とても心に残った
素晴らしい
感動しました
光代は裕一の"闇"を見たのだろうか?
原作は鑑賞直前に滑り込みセーフで読了。
原作自体を特別に際立った内容だとは思わないが、数多く忘れ難い場面が存在する。映画本編を観た後で、「原作がああなのに、映画はこうだから…どうたらこうたら…」とは言いたく無いのだが、2時間とゆう尺に収める為には、原作の多くの部分を削り取る作業は否めず。上映時間の関係からか?映画単品だけを鑑賞すると、どうしても意味の解らない箇所が多くなってしまっている。
その中でも多少はやむを得ないところだとは思いつつも、《祐一》が出会う女性の中で、やはり風俗嬢《美保》のパートがバッサリと切り落とされてしまっているのが痛い。
実は原作を読んでいた時に、「この女とのエピソードって必要なのかな?」と思いながら読んではいたのですが。原作でも度々登場する、《祐一》がお母さんに捨てられるエピソード。映画の中ではお母さん役の余貴美子が唐突に登場するのですが。その大好きだったお母さんとの絆を、何とか繋ぎ止めて於こうとする《祐一》の思い。それを読者側に知らせる役割を果たしているのが、この風俗嬢である《美保》の存在だったのですが…。
彼女は時に突拍子も無い行動に出る《祐一》の事を、最後は気持ち悪く感じてしまい、やがては関係を絶ってしまうのだが。“愛に飢えた”《祐一》の心情を、第三者の目線で唯一理解していて、彼の本当の心の優しさを理解する女性でもありました。
しかし《美保》は、《祐一》を理解しつつも“同じ匂い”も持つ女性では無かった。《美保》に出会い、愛はお金によって買う事を知る《祐一》。出会い系で会う女性とは金銭的なやり取りをするのは必然と考える様になる。原作には描写されない《光代》に金銭を渡すが、それを拒否された事で初めて《祐一》の中で、今までと違う感情が芽生える。
《光代》も本当の愛に飢えていた。いつも同じ事の繰り返し。家の近くに有る国道。この近辺をただ行ったり来たりするだけの毎日。CD1枚買うのも考え込み引っ込み思案な性格には、自分で自分が嫌になる毎日を送っている。「誰かにここから連れ去られたい…」心のどこかでそんな叫び声を上げていた。
映画は驚くべきスピードで進んで行く。《光代》と出会うまでおよそ20分程度しか掛かっていない。原作で《光代》が登場するのは上巻の最後なのだから、そのスピードが解って貰えるかと思う。逆に後半の逃亡劇を1時間30分余りも掛けてじっくりと描いている。但しこの逃亡劇と併せて、タイトルの“悪人”に掛かる周辺の人の様々なエピソードが同時進行して行く。
原作には映画には無い良い点が有れば、悪い点も有る。逆に映画本編にも原作には無い良い点も有れば、悪い点もそれぞれ有る。
原作の良かったところとして、導入部に於ける峠の描写が素晴らしく、一気に読ませる。心霊スポットでも有り、事件が発覚した際に同僚の女性達の反応や、出会い系殺人を面白がりスキャンダラスに報道するマスコミの過熱振り。インターネット上では過剰に反応し、被害者の遺族を罵倒する。それらの理不尽な描写等は、その後の[[柄本明]]の行動に影響を与える。“ふしだらな娘”と蔑まれ、被害者で在りながらまるで加害者扱いされてしまう。直接の責任は一体誰に有るのか?
原作でセンセーショナルに報じられる事件の概要だが、映画でのマスコミ描写はおばあさん役の[[樹木希林]]に対して殺到する描写しかマスコミ側は描かれ無い。僅かにニュース番組で逃亡する《祐一》の顔写真が映る程度だ。だから後半《光代》が妹に電話を掛ける場面で、妹が怒っている描写は。世間からの出会い系の殺人犯と逃亡…とゆう世間体の悪さに対する怒りの感情が、どうしても伝わって来ない。
およそ2時間前後に収める…とゆうのはやはりなかなか難しいと思わせる。タイトル『悪人』とゆう意味の中には、報道で伝わる悪人が本当の悪人なのか?と問い掛ける意味も含まれるのだろうが。原作にはもう一捻り有る。事件の発端を作る《増尾》とゆう金銭的にも恵まれている男。映画の中では完全なる悪役として描かれるが、原作では小さい時から両親の嫌な面ばかり見てきた悲しい過去を持っている。
殺される《佳乃》に対して「あんたは仲居タイプだ!」と蔑むには、それだけの辛い過去があった。そんな詳しい過去が在るのだが、残念ながら映画にはその描写は無い。しかし、これは尺の都合上やむを得ないのだと思う。原作を忠実に描いてしまうと優に4時間近く掛かってしまうのだから。
その為にこの《増尾》とゆう人物を完全なる悪役として映画は徹底的に描く。それは《鶴田》の存在でも明らかだ。《鶴田》は《増尾》の人間的な弱さや、悲しい過去を知っているだけに、本当の悪役とは感じていない。
ただ周りにちやほやされて本当の自分を見失ってしまう《増尾》を不憫に思っている。
それだけに、被害者の父親とのいざこざの後での、原作には無い彼の行動で《増尾》を完全に“悪人”として際立たせている。
“悪人”で在って“悪人”で無し。
最後に《祐一》が起こす行動で《光代》は或る意味救われる。
この物語に存在する本当の“悪”は誰か?
ただ面白おかしく報道するだけのマスコミか?それとも、インターネットで過剰に反応し、ただ自分が面白ければそれで良い…と思っている人間か?それとも人の弱みに付け込んでは弱者からお金を搾り取る奴らか?
そんな中に在って樹木希林演じるおばあさんは、自分が直面する問題に対して正面から向き合う決心をする。
「逃げない!」
原作では、昔から欲しくて欲しくてたまらなかったスカーフ。明日のお米代にも事欠くのに、思い切ってスカーフを買う。おばあさんにとっては、騙し盗られたお金以上に、可愛い孫が犯人だとゆう事実がどうしても理解出来ない。おばあさんにとっては事件現場に出向き、事実を認める事こそが本当に逃げない事だった。映画の中ではそれを強調する為に、スカーフは《祐一》から貰った設定になっている。
原作・映画共に、おばあさんが《祐一》は「本当に人を殺してしまったんだ…」と自覚するのが、バスの運転手[[モロ師岡]]とのワンシーン。
それまでは「絶対に違う!」と思い続けていただけに、あの一言が染みる。
実に印象的な場面ですが、元々原作でも唐突に登場する。このバスの運転手との触れ合いの場面が、前半に幾つか有ったら…と惜しまれる。原作自体は新聞小説だっただけに、思い付いた時にはもう遅かったのかも知れないのだが、せめて映画の脚本の中では滑り込ませる事は可能だったのに…と。
だらだらと不満点を書き連ねてしまったので、映画の良かった点を。
出演者は殆ど全員が素晴らしい演技で、1人1人を観ているだけで満足出来る。中でも[[満島ひかり]]と[[岡田将生]]の存在感は抜群。2人とも素晴らしい汚れ役です。
柄本明と樹木希林は流石の演技。間違い無く賞レースに絡んで来るでしょう。
そして肝心な主人公の2人の[[妻夫木聡]]と[[深津絵里]]。
妻夫木聡のダメ男振りは原作を超えているかも知れない。但し原作を読んだ時にも、この男がこの状況でつい思わず《佳乃》の首を絞殺してしまう理由は、今一つ釈然とはしないのですけども…。
妹の部屋を見て、妹が恋人といちゃいちゃしていた様子を想像する深津絵里。確か原作にその様な描写は無かったと思うのだけれど。仕事場と自宅をただ行き来するだけの毎日に対して、嫌気を覚える。
だから戻って来た《祐一》との逃亡劇での異次元な感覚に、貪る様に抱き合う2人。
とかく“悪”なイメージが付き纏う出会い系。その中で作者は、全ての利用者の中で多少でも“真実の愛”を求め、アクセスして来る人も居るのじゃないか?とゆう視点に立っている様にも見える。勿論そんな人はほんの一部でしかないとゆう冷ややかな視点も交えて。
「俺はあんたが思う様な人間じゃない!」
警官隊が突入する直前に突如《祐一》は“悪人”へと変身する。
直前には《光代》が帰って来ない事で、子供時代の様に再び独りぼっちになってしまう事の悲しさを思い出す。
原作では絶えずマスコミから非難される《光代》を気遣うが故の行為と思わせる。実際に《光代》もそう感じてはいるのだが、ラストで「本当にそうだったのだろうか?ひょっとして…」と、謎を残して終わる。
そんな原作を読んだ際に感じた最後の違和感は、読者が共通して「そうであって欲しい」との願いからだった。
でも作者自身はそんな読者の願いを突き放す意図が在ったのかも知れない。まるで《美保》が《祐一》の優しさを知れば知るほど“恐怖感”を覚えた様に。
映画本編も、観客が願う“真実な愛”を求め合う2人…と思いながら結末を理解すると思う。原作では2人で初日の出を見る場面が映画でも挿入されており、その思いを募らせられる。
だからこそ、タクシーの中での最後に《光代》が呟く一言には、単純では計れない思いが散りばめられているのかも知れない。彼女もあの瞬間には《美保》が感じた《祐一》の真の闇の心を覗いたのだろうか?
色々な解釈が成り立つエンディングになっている。
原作同様に映画本編でも、その様にはっきりとは示さないそのスタンスが実にもどかしく。ちょっと厳しい見方をしましたが。今後時間が経って再見した際に、自分でどの様に感じ・解釈するのか?…考えさせられもしました。
※正直なところ最後に関しては自信が無いから“逃げた”感想になっています。そんな情けなさっぷりは《佳乃》から見た《祐一》並です(汗)
(10月21日TOHOシネマズ西新井/スクリーン3)
うーん。。
満島ひかりがすごかった。こうも嫌な奴になれるのか、ってぐらいやな奴。
でも、映画の内容は、というと…。なんだかな。
出会い系で知り合う→カッとなって殺しちゃう→出会い系で知り合った他の女と会う→控えめでおとなしく、自分を見下さない相手に出会い、自分に自信がでる→あんなことしなきゃよかった→逃避行→捕まる
殺された女の子の親の気持ちになったらつらい、苦しい。殺してしまった犯人の生活環境が、息が詰まる。犯人の祖母の言動すべてがつらい、重い。
でも、どのシーンでも、ついつっこんでしまう。
だからって殺しちゃだめでしょ、って。
何があっても犯罪はだめでしょ。どんなことも理由にならんし、後悔したって手遅れだし。
イマイチ感情移入もできなかった…。
俳優さんってすごいな!とは思ったけど、内容だけ考えたら、あれ…?ってなっちゃう。
ただの悪人じゃなかったんだよ!っていう説明があの映画のいいたいことなの?
でも、犯罪にどんな背景があろうが、だめなもんはだめなわけで…。
なんか、まわりくどい言い訳聞かされた気分になってしまった。
社会の陰にいる人々の描き方が絶妙
総合:75点
ストーリー: 75
キャスト: 80
演出: 75
ビジュアル: 70
音楽: 70
いきなりネタばれです。まだ映画を見ていない人は注意してください。
何故深津絵里の首を絞めたのか。警察官にそれを見せて「男に脅されて無理やり連れまわされていた」と思わせる。また「ずっと待っている」と言った深津絵里にも、自分を忘れて前向きに生きて欲しいと思わせる。自分を捨てた母親に小銭をせびるのも同様。加害者であるはずの母親に、まるで被害者であるかのように錯覚させて負い目を軽減させる。それが彼なりの優しさ。最初は腑に落ちなかったのだが、ちょっとネットを検索してみるとこのような解釈もあるようだ。
なるほど、それも可能性として有り得る(もちろん正解とは限らない)。しかしそれでも彼は感情的な女の言動に動揺して人を殺した。死体を崖に落して隠蔽工作をした。その後も普段どおりの生活をした。根本的な悪人ではないのかもしれないし、人との交流や愛情が少なく自己表現が苦手で孤独で幼いだけかもしれない。彼は運が悪くて理解者が少なかったことには同情するものの、それでもこの人物をそれほど好きにはなれないし許されるものではない。そのような人が人を殺して同情されるのならば、実にたくさんの犯罪者がただ単に可哀想な人で済まされてしまう。やってしまったことの重さは理解されなければならない。
それよりもこの映画で興味深かったのは、それぞれの人々の描き方。淡々と狭い世界で日常生活を送っているうちにふと気がつくと愛情もないまま孤独に歳をとっている深津絵里、田舎でなんとか親に捨てられた孫を育てているのに詐欺に引っかかりその孫が殺人事件を起こす樹木希林、普段はいい子ぶってもちょっと親に隠れて恋愛ゲームを楽しむ満島ひかり、傲慢で自分勝手なボンボン息子の岡田将生、親の前で見せる姿しか知らず大事な娘に愛情を注ぐどこにでもいる普通の彼女の両親。もちろん、27歳にもなって幼く人との関わりあい方が下手な妻夫木聡。登場人物の演技も良かったと思う。
みんな自分の人生や背景があり、何が良くて悪くてなど絶対的な正解などない。派手に生きる人もいいが、ひっそりと生きる人々の陰の部分のえぐりだし方が実に絶妙。妻夫木聡や深津絵里みたいな人って実は世の中にはたくさんいて、連綿と続く日常の閉塞感と孤独感に苦しみ悩み、何とかそれを変えたいと思っていることだろう。殺人事件などなくてもこのような社会の陰に焦点を当てて違う映画を撮影しても良いものが出来るのではないかと思った。
誰にでも悪は潜んでいる。
「誰が悪人か?」とキャッチコピーにあるが、この映画から出した答えは「誰にでも悪は潜んでいる。」
心の奥深くに、日常の中に、いろんな形の悪がある。一見、何気無い瞬間瞬間に、悪があらわになる。
登場人物の全員に。嘘、エゴイズム、ナルシシズム、無関心、妬み、怒り、驕り、愚か、正義と言う名の暴力、悪意と無頓着…。
殺人という法的なる絶対悪を主題にすえながら、その周囲にある様々な悪をまざまざと映し出している。
「俺はお前が思っているような人間じゃない」と、相手の首を締めた彼の叫びは、彼女をかばうためではないと感じた。
盲目的に自分に執着する彼女によって、楽になれたらよいが、そんなに簡単に魂の痛みから解放されえるだろうか?
そんなに簡単に楽になれるなら、人を殺してしまうくらい激情したりしない。
それでも、観る人によって、タイミングによって、彼女が「悪人なんですよね」と遠い目で語る瞳に救いを見出すのでしょう。
監督はそのあたりも計算して、受け手に委ねているのではないでしょうか。
誰にでも潜む悪を、何とか押さえ込んだり、昇華させたりしながら
それでも生きていかなきゃならないのだ。
映画を観て2日かけてここに思い至りました。
悪人
ネタばれ注意!!
浮島ひかりが演じた尻軽女が山の峠で大学生に捨てられてその後を追って来た男(元彼妻夫木)が可愛そうだと思い助けようとしたが、尻軽女に嫌がられ女が{誰か助けて~殺される~と勘違いして騒ぎ立てたので」妻夫木が感情的になりとっさに尻軽女の首を絞めて殺害した。
(そんな糞女勝手に山の中に置いておけば良かったのに どうせヨリなんか戻せないんだから)
その後メールで知り合った女(深津)と逃避行。
一番可愛相なのは妻夫木を育ててきたお婆さんと娘を殺された家族の人
オチは深津が妹のところへ電話を掛けた後で警察に保護されその場から逃げ出した事によって
妻夫木の隠れ場所が警察の山狩りで見つかってしまい 感情的になった妻夫木がどうしようもなくなって深津の首を絞め殺そうとした時点で 警察と面会 ラストは何か三丁目の夕日(灯台版)で終わり。
深津と逃げ始めた時点で何かのロードムービーっぽく表現されて リアルっぽさが無くなっている感じだった。
もっとグイグイ窮地に立たされる映画だったら見ごたえあったのにな~
今時映画の深津みたいなお人よしなおんなはいないよ。
人は誰もが「悪人」。
ニュースで毎日のように見聞きする殺人事件。日常的すぎて気にも留めない。しかしそれぞれの事件で、加害者・被害者を含めた大勢の人々が、それによって大きな傷を抱えることになるのだ。本作はそんな誰も気にも留めないような1つの殺人事件によって、そこに関係する人々が理不尽に苦しむ姿を描いている。「若い女性が出会い系サイトで知り合った男に殺害された」。事件の全容はこれだ。これが全てだ。しかし殺害に至るまで、また犯人が逮捕されるまで、そこに起こる現象については当事者でないと分からない。憎むべきは加害者で、被害者には同情すべきという不文律は成立しないのだ。では、本作の登場人物の中でいったい誰を憎んで、誰に同情すべきなのか?
加害者である青年は、両親の代わりに育ててくれた祖父母の元、病気の祖父を介護しながら、辛い肉体労働で生計を立て、質素な生活をしている。被害者女性は、所謂今時の女の子で、出会い系サイトで知り合った男性と気軽なセフレ関係を結びつつ、イケメンでお金持ちの恋人を捕まえたいと思っている。そんな彼女に想いを寄せられているイケメン男性は、典型的な自己中のお坊ちゃんで、下心ミエミエですり寄ってくる女を適当に遊んで捨てるタイプだ。事件に直接に関係するこの3人、待ち合わせした男の目の前で別の男の車に乗り込む女、いったんは車に乗せたものの、女の媚びた態度に嫌気がさして真夜中の峠道で女を車から蹴り出し置き去りにした男、自分に酷い態度をとった女を助けようとしたが、女から侮蔑的な態度をとられ、思わず逆上してしまった男。これでも尚、被害者に同情しなければならないのか?
被害者の父は、置き去りにした男にこそ責任があると考え、彼に謝罪を求めるも、男の軽薄な態度に憎悪を深める。加害者の母は、自分を棚に上げ息子が殺人犯になったのは祖母の育て方が悪いとなじる。その祖母は悪徳商法に引っかかり、マスコミに付け回され、心身共にクタクタになって行く。そして加害者の男は、出会い系サイトで知り合った別の女性と逃避行することになる。彼女もまた孤独を埋め合わせるため、男と出会い、男の告白を聞いても尚彼を信じ、自首しようとする彼を引きとめてしまう。
これらの主要人物に加えて、殺人犯と逃げる姉を心配しつつもその軽薄な行動を非難する妹や、被害者の母、加害者の友人などを含めて、本作の登場人物はみんな何らかの責任(無責任)において、ちょっとずつ「悪人」なのだと思う。それは立場上どうしようもないことであったり、世間体を考えてのことだったり、本能の赴くままだったりと、それぞれ大小はあれど、何らかの責任を負わなくてはならない。責任を負う立場=「悪人」ということなのだ。初めて真実の愛を得た男は、一緒に逃げてくれた女を「加害者」ではなく「被害者」にするため、彼女の首を絞める。それでも彼を信じる女の眼差しと、首を絞める男の表情があまりに切ない。
しかしこの事件の真相が果たして本当に男の告白のままなのか?もしかしたら男は本当の「悪人」で、出会い系サイトで知り合った女を次々と殺す殺人鬼なのかもしれない。男の苦悩する姿は、情熱的な恋に舞い上がった女の幻影なのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった私がきっと一番の「悪人」なのだろう・・・。
妻夫木くん見直した!
評価の高い映画ときいていたので期待して鑑賞。期待を上回ることはなかったけど、なるほどその通り。
殺人を犯してしまった男、それを愛する女、を軸に殺人者の家族、被害者の家族、そしてそれを取り巻く人たちを写していく。立場が違えば悪も善となり善も悪となる。答えなんてない普遍的なテーマを正面から捉えていてラストまで一気に観れた。
殺人を犯してしまった男を演じた妻夫木くん、凄かった!テレビでのイメージしかなくて、演技派というよりは単なるイケメン俳優と思っていたけど…
母に捨てられ、閉塞的な田舎町で老いた祖父母の面倒をみ、出会い系でしか女の子と知り合えず、うまく優しさも表現できない…孤独で不器用な哀しい男をまさに体現していたと思います!妻夫木くんの見る目変わった。ラストの妻夫木くんの表情は一見の価値あり!
暗い内容の割には非常に見やすい
悪人っていうタイトルからイメージで、暗くて人間の嫌な部分をテーマにしてるんやろうなぁって思ったけどなぜかすごい見易かった。
今の現実社会の中での「悪」についての価値観を非常に考えさせられる。
見てる途中からラストはどんな形にするのかが気になったけど、捕まる直前に首をしめることで警察に疑われなくて済むようにと、自分のことを忘れて生きて行ってほしいという形をうまく表現できたと思う。
今の世の中で規則の範囲内ではなにやってもいいというのが
至る所で感じるからいろんなことを考えることができて良かった。
犯罪は多面的な側面を持つということ・・・。
この映画は罪を犯す(人を殺す)ってことを多面的に表現しています。
かっとして人を殺す、主人公祐一とまず込みにさらされる祖母、その主人公に魅かれて自己中心的に逃避行を続ける光代、その妹。殺された娘への想いのあまり、あまりにも軽い人生を送る大学生を襲う父等等。
罪は罪、それを否定してはいけないのだが、愛する人が罪を犯したら・・・よいうテーマを突きつけられた時、人はどう考えるのだろうか?
世間的な体面?、自分擁護?、偽善、同情・・・
そこに愛が絡むと非現実的な行動に出てしまう事を良しとするのか?
少なくともそこに感情がなければ多くの人は光代の妹と同じ反応をするのだろう。
そんな中で際立った深津絵里の素晴らしい演技力。
あの極限状況の中一本気な愛を演じた素晴らしい女優です。
脇役も素晴らしかった。
樹木希林、柄本明、この人たちの演技は流石です。
殺人を中心に回るストーリーなので全体的に暗く、悲しさを
感じますが流れる曲とカメラワークがそれを軽くしています。
最後にここだけは納得できなかった点。
「博多弁」・・これだけはみんなわざとらしくて地元の自分にとって違和感を感じて前半は映画に集中できませんでした。
どうして無理して博多弁にしたのかな?
佐賀、福岡、長崎と自分にゆかりがある場所が多く出てきて
懐かしさを感じましたがあのセリフだけはどうも・・・。
「無理に博多弁にせんでもいいっちゃない」って感じでした
なので-0.5させていただきました。
1つだけだけど重要な腑に落ちない点
善悪ってなんだろう。といったテーマは普段から考えてしまうのですごく興味深い作品でした。
法さえ犯さなければ、またそれがバレていなければどんなに非道なやり方だって地位も名誉もお金もなんだって手に入る、素直で真面目で一生懸命はなぜか損をする世の中。
人殺しが英雄になる時代もそんなに昔のことじゃなくって、なにが「正」かなんて場所や時代によってすぐ形を変えるもの。
社会の中ある程度の線引きはもちろん必要なんだけど本来それは良心が決めるものであるはず。
なのに人が正しくあろうと積み重ねてきたはずの法が皮肉にもそれを許してくれない場合もあって。
この作品の場合も
佳乃は勝手なひどい女だし(それでも石橋夫婦には可愛い娘というのも重要だと思います)
圭吾は本当に最低な小さい男で、祐一の母親は言わずもがな、祐一にどうしようもない寂しさを与えた張本人です。
この物語で一番伝えたいであろう大切なメッセージ(あれに何も感じない人、悪を悪だと思ってない人がここで言う悪人なのかも。)を言った佳乃のお父さんも、奥さんという大切な人がいたから(と私は思ってる)思い止まれたものの、完全な「善」ではなくて。
謝るためだけに一時間半かけて会いにきてくれたり、最後に愛する人のために守る(違う解釈もしたけどいずれにせよ愛情不足ゆえ愛情表現が下手な祐一がするには納得できる行動だと思う)ために本物の「悪人」になった優しい祐一はそれでもやっぱり「悪」なのか?殺人を犯したのならもちろん裁かれるべきではあるけど単純に“殺人犯”イコール有無を言わさず“悪人”なのか?
こんな時代に決して誰もが他人事ではないこの話、
すごく重くていいテーマなんですが、原作を読んだときに感じたもやもやは映画でもやっぱり感じてしまいました。
1点だけなのですがそれが一番重要なことなのでどうしても腑に落ちないのです。
それは【祐一って普通に「悪人」じゃない?】
ということ。“普通に”というのが重要。身も蓋もありませんw
もちろん同情の余地は大いにあるものの、
佳乃を殺すときの祐一は切れてしまってて殺意すら感じたし
その後崖から落とすという隠蔽工作みたいなこともして
自首せず次の日普通に仕事に行って、
光代のメールに返事を出して(行き場のない気持ちをどこかにぶつけたい気持ちは伝わるけど)、
愛に負けてさらに自首せず逃亡。光代に出会うまでは悪く思ってもなかった。
気が動転していた、とか怖かった、現実逃避、じゃ済まされないレベルだと思うのです。
祐一も光代もすごく弱くてどこかが欠けてるし完全な善人だとは思わないけど、
もう少し佳乃の死を祐一の肩を持ちたくなるようなものにしてほしかったです。
殺意がわくほど憎たらしい子なのは重々承知ですがw、もっと事故や正当防衛寄りでも充分警察から終われていい事件だと思うし、
最後の描写にも愛や優しさだけでなく嫌悪感やイライラも同居してたと思うので、出会う順番がどうであれいつかは似たような事件を起こす人かもしれないという危うさが彼の逃避行に感情移入しきれない。
なので結果最初から最後までもやもやしぱなしになってしまってw
主演の二人の新境地の演技も見物でしたが、脇を固めてたみなさんの演技も本当に素敵でした。
今一番気になる女優さん満島ひかりさんの絶妙な「だってその為に会うたんやけん。」
背中で語る樹木希林さん。
そして柄本さん。
柄本さんと山崎努さんを主役にした「最高の人生のみつけ方」みたいな作品を撮ってほしい!
日本はなんでこんないい俳優を若くないからって脇でしか使わないんだろう。
みなさんの名演が光ってました。
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