「人は誰もが「悪人」。」悪人 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
人は誰もが「悪人」。
ニュースで毎日のように見聞きする殺人事件。日常的すぎて気にも留めない。しかしそれぞれの事件で、加害者・被害者を含めた大勢の人々が、それによって大きな傷を抱えることになるのだ。本作はそんな誰も気にも留めないような1つの殺人事件によって、そこに関係する人々が理不尽に苦しむ姿を描いている。「若い女性が出会い系サイトで知り合った男に殺害された」。事件の全容はこれだ。これが全てだ。しかし殺害に至るまで、また犯人が逮捕されるまで、そこに起こる現象については当事者でないと分からない。憎むべきは加害者で、被害者には同情すべきという不文律は成立しないのだ。では、本作の登場人物の中でいったい誰を憎んで、誰に同情すべきなのか?
加害者である青年は、両親の代わりに育ててくれた祖父母の元、病気の祖父を介護しながら、辛い肉体労働で生計を立て、質素な生活をしている。被害者女性は、所謂今時の女の子で、出会い系サイトで知り合った男性と気軽なセフレ関係を結びつつ、イケメンでお金持ちの恋人を捕まえたいと思っている。そんな彼女に想いを寄せられているイケメン男性は、典型的な自己中のお坊ちゃんで、下心ミエミエですり寄ってくる女を適当に遊んで捨てるタイプだ。事件に直接に関係するこの3人、待ち合わせした男の目の前で別の男の車に乗り込む女、いったんは車に乗せたものの、女の媚びた態度に嫌気がさして真夜中の峠道で女を車から蹴り出し置き去りにした男、自分に酷い態度をとった女を助けようとしたが、女から侮蔑的な態度をとられ、思わず逆上してしまった男。これでも尚、被害者に同情しなければならないのか?
被害者の父は、置き去りにした男にこそ責任があると考え、彼に謝罪を求めるも、男の軽薄な態度に憎悪を深める。加害者の母は、自分を棚に上げ息子が殺人犯になったのは祖母の育て方が悪いとなじる。その祖母は悪徳商法に引っかかり、マスコミに付け回され、心身共にクタクタになって行く。そして加害者の男は、出会い系サイトで知り合った別の女性と逃避行することになる。彼女もまた孤独を埋め合わせるため、男と出会い、男の告白を聞いても尚彼を信じ、自首しようとする彼を引きとめてしまう。
これらの主要人物に加えて、殺人犯と逃げる姉を心配しつつもその軽薄な行動を非難する妹や、被害者の母、加害者の友人などを含めて、本作の登場人物はみんな何らかの責任(無責任)において、ちょっとずつ「悪人」なのだと思う。それは立場上どうしようもないことであったり、世間体を考えてのことだったり、本能の赴くままだったりと、それぞれ大小はあれど、何らかの責任を負わなくてはならない。責任を負う立場=「悪人」ということなのだ。初めて真実の愛を得た男は、一緒に逃げてくれた女を「加害者」ではなく「被害者」にするため、彼女の首を絞める。それでも彼を信じる女の眼差しと、首を絞める男の表情があまりに切ない。
しかしこの事件の真相が果たして本当に男の告白のままなのか?もしかしたら男は本当の「悪人」で、出会い系サイトで知り合った女を次々と殺す殺人鬼なのかもしれない。男の苦悩する姿は、情熱的な恋に舞い上がった女の幻影なのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった私がきっと一番の「悪人」なのだろう・・・。