「痛みを恐れる子ども達。 痛みを恐れた大人達。」告白(2010) 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
痛みを恐れる子ども達。 痛みを恐れた大人達。
今年劇場で観た映画40本中で間違いなく最高の一本であると同時に、最も恐怖を感じた映画。
映画の子ども達はまるで怪物だが、少々の誇張を除けば紛れも無く現実の存在だろう。
少年Aの犯行の究極的な目的は『母親に愛される事』だが、彼が要求しているのはそれ以前の事。
『僕を見てほしい』
『僕に構ってほしい』
母親は彼を見ることも構う事も拒絶した。彼女は自分しか見ていなかった。
Aは親の気を引こうと泣き喚く幼児と同じだ。
幼児は自分の欲望を満たす為なら他人など顧みない。
彼はいわば、人殺しを覚えた幼児だ。
他人と繋がる術を学ぶ以前に、親と繋がる術を学ぶ機会すら与えられなかった赤ん坊だ。
生徒Bの家庭はどうだ。
父親と姉がいる筈なのに、画面には母子2人しか登場しない。この母がどれだけ息子に依存しているかという事か。息子に必要とされる事に彼女は人生の価値を見出している。だから、
息子に拒絶される事を文字通り死ぬほど恐れる。
息子の行動をひたすらに肯定する。
息子の責任を他人に転嫁する。
それすらかなわなくなると……ぷちん。さよなら私の美しい人生。
何が言いたいか? 結局、彼女もAの母親と大差は無い。自己実現の場が『科学』だったか『息子』だったかというだけだ。程度の差はあれ、自分が一番大事なのだ。
他人と繋がるには自分のエゴを押し殺さなければならない。他人と繋がる事は苦痛を伴う。
映画の生徒達はその苦痛に慣れていない(Aに関してはその耐性が皆無だ)。
本心を晒してそれを否定される事に怯えている。他人と繋がる際の喜びだけを求めている。
それは“痛み”を教える立場にあった大人達自身が苦痛を被る事を恐れたからではないのか。
しかもネット等が発達した現代は、他人と極力接触せずとも生きていける。痛みを避ける術が、逃げ道が多すぎる。
松たか子演じる森口が我が子を殺した生徒に苦痛を与えるには、まず苦痛を教育する必要があった。
だからAがそれまで築き上げてきたものを徹底的に否定・破壊し、彼を赤ん坊の状態にまで戻したのだ。
彼女は復讐者であると同時にAの代理母でもあったと言えないか。
ところでAの母親は本当に死んだのだろうか。森口の行動によってBの母親が死んだ以上それを否定する事はできないように思えるが、できれば未遂だったと信じたい。人間性を教える為に人間性を捨て去るだなんて、あまりに救いが無いじゃないか。
<2010/6/5鑑賞>