「イラニアン・アンダーグラウンド」ペルシャ猫を誰も知らない 辛子ニコフさんの映画レビュー(感想・評価)
イラニアン・アンダーグラウンド
イランは検閲が厳しい国である。欧米はそれを”イスラム”だからと考えたがるが、それは偏見というもの。日本人も欧米の情報を元にそう思いがち。
イランは革命からすぐイラクとの戦争に突入し、しかも欧米と険悪な関係にあった。そんな中で体制転覆を恐れるあまり、今までずっと戒厳令、国家非常事態体制の状態なのである。革命国家にはこうした負の面があることは歴史が証明している。
フランスは革命後の混乱と外国からの圧力により恐怖政治に陥った。ロシアは革命から独ソ戦、冷戦、ソ連邦崩壊まで非常事態体制国家のままで終わった。イギリスの清教徒革命後におけるクロムウェル体制は、ほとんど戒厳令体制である。宗教や思想は案外関係ないのだ。ただ、抑圧の大義名分に使われているのだ。
そんな中で検閲の目をかいくぐって広げられるイランのアングラ音楽。その知られざる音楽に触れることのできる貴重な映画。自由にやれない分、楽しく真剣に音楽と向かい合っているのが伝わってくる。しかも、皆さん逞しい。ナデルと警官のやりとりなんて最高。ネガルやアシュカンと違ってイランに残る決意をしている人々も、自分なりに将来を見据えている。仲間、連帯感のようなものがある。音楽をやりたい飢餓感、必然性、それらが彼らをより魅力的に見せていると思う。
アメリカや日本は自由である。だが、若者を中心とした虚無感は何なのか。つまりは、ハードに監視されなくても、ソフトに都合よく監視されているののだ。都合の悪いことは”自粛”しろということだ。メディアなどを通じて、反抗心はやんわりと去勢される。冗談と笑いがあふれ、怒りの感情は巧みにスポイルされていく。宴の後の虚しさが社会を覆い、今が大事で将来が見えなくなる。つかの間の宴、つかの間の人間関係。連帯は無く孤独が支配する社会である。こういう国ではロックの役目は終わっているのかもしれない。日本は自由だというが、自殺者3万人で自分探しが流行る国ってどうなのよ、と自問したくなった。
ちなみに、ネガルが可愛い。アシュカンがちょっと羨ましかった。