「鈴の音が、しずかに、やさしく、とけこんでゆく」牛の鈴音 septakaさんの映画レビュー(感想・評価)
鈴の音が、しずかに、やさしく、とけこんでゆく
ドキュメンタリー作品が受けない
韓国で300万人を動員。この人数は、
韓国国内の15人に1人が観た計算になるそうです。
予告編の短い尺で
眠くなりかけてしまう、
そんな癒し系の映像に魅かれ、行ってしまいました。
☆彡 ☆彡
癒し系ですねぇ
本編では眠くなりませんでしたよ(苦笑)
〈 休むのは死んでから 〉
韓国慶尚北道奉化郡で農業を営む、
老夫婦と40歳にもなる老牛との
毎日の生活を映しだしたドキュメンタリー。
もう、この時点で、大体の想像がつくと思いますが、
派手な出来事もなければ、目を引く事件もありません。
カメラは、淡々と、夫婦と老牛の過ぎていく日々を映すだけ。
イ・チュンニョル監督、
元々テレビディレクターをされていた人で、
今作も、当初はテレビの企画として始まり、
それが、紆余曲折を経て、映画化されることに決定。
自分の父をモチーフにした構想から、
農夫・牛、これに会う人を探し、今作の主人公に行き着いたそうです。
映し出される
おじいさん、おばあさんは、
汗水流して、よく働きます。
機械を使った近代農家を横目に、
手作業にこだわり、牛の食事に悪いから、
と農薬も使わない。愚直なまでに、時代と逆行をした生き方を貫きます。
そんな姿勢をみて、
おばあさんは、おじいさんに、
「機械を買おう」「農薬もまこう」と大きな声で
言い続けるのですが、おじいさんは、まったく耳を貸さない。
おばあさんは、そんなおじいさんに対し、
「わたしほど、不幸な人はいない」だの
「なんで、こんな所に嫁いだのだろう」だの、愚痴をこぼし放題。
この愚痴が、おじいさんを憎んでいる愚痴ではなく、
おじいさんを愛しているがゆえの愚痴だから、なんだか微笑ましくなる。
◇ ◇
観る人によっては、
おじいさんを中心とした
不思議な三角関係に見えるかもしれません。
実は、老牛は雌牛です。
おじいさん、おばあさんは、
老牛がひく、リヤカーに乗り移動をします。
ある日のこと、
坂を上がる老牛が苦しそうにしていました。
すると、おじいさん、おばあさんに「下りろ」と指示。
また、ある日のこと、
体調を崩した老牛のため、薬草をとってきてあげます。
するとおばあさん。「私が体調を崩したとき、そんなことしてもらったことがない」とぼやく。
そして、そんなとき、
タイミングよく老牛の顔がアップになるんです。
当然、牛だからしゃべるはずはないのですが、
なんか、マンガのふき出しみたいなものが見える気がするんです。
どういうことかというと、
こちらで老牛のセリフを考えてしまうんですよ。
たぶん、こういうんだろうな、なんて。しかも口調まで想像してしまう(苦笑)
ラスト、老牛は天寿を全うするのですが、
その瞬間に流れる音楽に韓国映画の真骨頂を感じました。
イコール、露骨に泣かせにくるのがイヤな人は、ここで、
泣くどころか、引いてしまうのかもしれません。韓国映画が
好きな私は「あっ、やっぱり音楽は、こうくるのね」と思ったのち、
うっすらと眼を潤ませてしまうのでした(笑顔)
☆彡 ☆彡
劇場に貼られていた記事を読んでみると、
韓国国内では、この映画を観たあと、両親に
電話をかける、お客様が非常に多かったそうです。
監督は、今作を作り終えて、
「心や目に見えないものを撮る重要さを知った」と語っています。
老夫婦、特におじいちゃんは無口ですし、
老牛も、時折、首にぶら下がった鈴の音をたて、
意思表示をすることはあっても、しゃべろうはずもありません。
静かに過ぎる毎日を見ながら、
ぼんやりとするのもいいかもしれません。
映画館にいるのに、
なんだか縁側でゆったりしているような気持ちになってしまいました(笑顔)
ガリレオさん。
牛は40歳でした。訂正しておきました。ご指摘ありがとうございます。
オールドパートナーは英題ですね。牛の鈴音のほうが原題に近いです。
ただ、私もガリレオさんと同感で、オールドパートナーのほうがあっている気がします。
こういう作品がヒットする韓国って、芸術レベルが高いよな、と思わされます。
日本は・・・。
牛は40歳では。原題(英題?)はオールド・パートナー。こちらの方が断然いいですよね。老人と年老いた雌牛。老人の妻。愛用のラジオ、農耕具。日本でもヒットしてほしい作品ですけど、浮ついた今の日本人には届かないんでしょうね。