「そんな映画じゃないんだよ」いばらの王 King of Thorn かみぃさんの映画レビュー(感想・評価)
そんな映画じゃないんだよ
拙ブログより抜粋で。
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露骨にカスミだけが先に目覚めるとは、いきなり主人公特権発動のゆるい演出で始まるなぁと思っていたら、それもちゃんと計算された見事な脚本でした。
襲い来るモンスターもやけにゲームチックで安っぽい気がしないでもなかったが、これも理にかなっていた。
そもそもこの映画のキャッチコピーである「願えば奇跡は--必ず。」も、よくある「信じれば叶う」って類の精神論かと思いきや、これも別の意味があった。
凄いわ、この映画、いろんな意味で。
原作コミックは未読での鑑賞。2回観ました。
童話「いばら姫」(別名「眠れる森の美女」)をモチーフに、最近流行の“世界の終末”を描いたパニック・ホラー、閉塞空間からの脱出サバイバル、謎が謎を呼ぶミステリー、と、そんな定番で構成されたノンストップ・アクション映画として申し分のない上等のエンターテイメント映画です、前半は。
けど、中盤の折り返しから映画は豹変する。
ほとんど騙し討ちのように前半までの「こういう映画」という観客の思い込み自体を裏切っていく。
前半の王道的な展開は、中盤でマルコが自身の正体を皆に明かしたところを最後に、明確に終わりを告げる。
マルコが語る彼の目的は、この手の映画の常道として、観客としては大いに盛り上がることだろう。さあ、これからが本番だ。
が、しかしその告白に返すキャサリンのセリフが巧い。「映画みたいなことを言わないで」
そう、これは観客に向けた、「そんな映画じゃないんだよ」っていう、作り手側からの反旗だ。
そして直後に別の登場人物から語られる、メドゥーサの真相。
そこで語られるメドゥーサの正体に誰しも驚くだろう。
一歩間違うと何でもアリになりかねない、魔法のような設定。“期待通り”の「映画みたいなこと」からは予想できない斜め上への急展開。
だが、しかしこの映画の舞台装置が出揃うのは、この真相が語られてから。
映画は童話「いばら姫」に沿って進行する。
モンスターとの戦闘はRPGゲームになぞらえて語られる。
病気の「メドゥーサ」や会社名「ヴィナス」はギリシャ神話からの引用だろう。
コールドスリープカプセルはノアの方舟に例えられる。
制御システム「アリス」は当然「不思議の国のアリス」。
さらに深読みすれば、ヴィナスゲイト社のヴェガ(Vega)は琴座のベガ、すなわち七夕の織り姫のことであり、いばら姫を眠らせる糸車の針を連想させる。
表面的にはファンタジー色の強いキーワードがちりばめられているが、実際は超科学的な存在メドゥーサを中心としたSFの世界観であることがここに来て明かされる。
メドゥーサは『2001年宇宙の旅』(1968年、監督:スタンリー・キューブリック)におけるモノリスと思って間違いない。
メドゥーサが“できること”は摩訶不思議な魔法のようだが、メドゥーサが果たす成果に着目すれば、人知のおよばない超科学を扱ったSFの王道だ。
唐突な“超科学的な存在”もそうだし、メドゥーサの説明にユーマ(UMA=Unidentified Mysterious Animal=未確認生物)なんて単語を説明無しに使うなど、前半のわかりやすさに比べて後半は意図的に不親切になっている。
この急転直下の展開は、予告編から予想される『バイオハザード』(2001年、監督:ポール・W・S・アンダーソン)のようなパニック・アクションや『エイリアン』(1979年、監督:リドリー・スコット)のようなSFホラーを期待した観客には少々荷が重いかも知れない。いや、前半はまさにそんな感じなんだが。
しかし、先に挙げた『2001年宇宙の旅』のほか、『A.I.』(2001年、監督:スティーヴン・スピルバーグ)、『コンタクト』(1997年、監督:ロバート・ゼメキス)、『ノウイング』(2009年、監督:アレックス・プロヤス)、『トータル・リコール』(1990年、監督:ポール・バーホーベン)といったひと癖あるSF映画を見慣れていれば、後半もさして難しい内容でもない。逆にこの辺りのSFが好きな人には絶好のオススメ作品となる。