「磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む 有間皇子」真幸くあらば kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば また還り見む 有間皇子
死刑制度に反対の立場である野口弁護士(佐野史郎)は控訴を勧めるが、彼の口調には自分のプライドだけでしか感じられない態度。そんなとき、クリスチャンのボランティアとして面会に訪れた川原薫。殺された男との関係は一切口にせず、手紙のやりとりを始めるのだった。
夫がロンドンへと出張に行ってしまった薫。しかし、南木野淳の最期を見届けたいと切望し、日本に留まったのだ。控訴せずに死刑を確定させた淳に面会することできなくなったため、最期を見届けたかった薫は淳を養子縁組することを決意する。そうやって面会を重ねるうち、検閲されないために聖書を使って秘密文のやりとりが始まった。
そこで薫は初めて殺された男の元婚約者だったことを打ち明け、淳は童貞であること、殺害現場でマスターベーションしたことを打ち明けた。そして、薫のことが好きだと告白する文書を送った。薫のすべてを見たくなった淳は大胆なことまで書くようになり、それに応え、薫は下着姿の写真を聖書に挟んだ。刑務所に入ったときからボールペンで絵を描き続けた淳は、一枚の写真から薫のヌードを想像し、何枚も描いて聖書に忍ばせる・・・淳に対して真剣になってきたおかげで、帰国した夫に対して、「別れて」と伝えるが相手にされない薫。
感情を抑えきれなくなった二人。しかし死刑囚と一般人が結ばれることは不可能。思い余って同時オナニーを開始した・・・もしやトンデモ映画だったのか・・・純愛という点では評価できるのだが、かなりエゴイズムを剥きだしにする薫のキャラには賛同できない。なぜ新しい男と結婚したのか?
映画では時間の経過が明らかにされてないが、事件のあったときから薫は別の男性と結婚してるし、通信文の展開からしてもかなりの時間が流れている。せめて、愛を育む時間ってものを教えてほしい・・・おおよそわかるのは死刑が確定(薫の夫が出張は半年くらいと言っていたため)から「別れて」と切り出したのは半年くらい。まぁ、判決が出たのは犯行から1年くらいと考えると、合計1年半ってところかもしれない。
昔読んだことのある藤本義一の小説で女教師と男子生徒が“相互鑑賞オナニー”の描写があったけど、別々の場所で同時刻、想像だけオナニーというのは凄い発想。これに電話が介在すると、よくあるテレホンセックスになるわけだが・・・と、なぜだかオナニー評論になってしまった。そんな映画だったか??