アブラクサスの祭 : 映画評論・批評
2010年12月21日更新
2010年12月25日よりテアトル新宿ほかにてロードショー
あらゆる重力から解放された者の笑顔がそこにある
一度は捨てた音楽を、再びやり始める坊主の物語。とはいえ主人公の坊主にとって2度目の音楽は、趣味や道楽や野心の充足のためとも違い、バカバカしいほど切実で、泣きながら笑ってしまう痛みを伴う生きることの崖っぷち、夜と昼の境目の危うい光の境界線上を走り抜けることそのものである。
歌手であるスネオヘアーがそんな頼りなくも繊細で過激な坊主に扮するのだが、クライマックスの激しいライブの真っ最中に挿入されたスローモーションの中でアップになった坊主の表情は、果たして坊主の表情なのかスネオヘアーの表情なのか、俳優の表情なのか歌手の表情なのか判断不明。あらゆる重力から解放された者の笑顔がそこにあるのである。ああこれこそ誰でもない音楽そのものの姿なのだと思わず納得した瞬間、カットが変わり、妻(ともさかりえ)の笑顔が映される。それはまるで、そのときこの映画を見ている私たちの表情のようでもある。音楽と演奏者と観客と、その映画を見る観客。そんな幸福で果てしない繋がりが、ふたつの「カット=切断」とともに生まれるのだ。
皆様、なにとぞこの一瞬をお見逃しなきよう。まさに映画を見るとはこの一瞬を見ること。このふたつの断片の重なりとともに永遠に包まれる、そんな有り難い瞬間がこの映画のクライマックスに用意されております。
(樋口泰人)