「堤真一の魂の演技に加えて医療問題にさりげなく迫る演出が良かったです。」孤高のメス 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
堤真一の魂の演技に加えて医療問題にさりげなく迫る演出が良かったです。
医療制度のタブーに深く切り込んだ社会派原作なのに、本作はどこか暖かみのする仕上がりになっています。
それはいきなり核心に切り込むのでなく、当麻をアシストする看護師中村浪子が残した日記が語る視点から、浪子が見聞した当麻との出会い、そして外科手術の取り組みが、淡々と綴られるからです。
けれども患者の立場に立った地域医療に情熱を傾ける当麻の一挙手一投足は、感銘と共に観客の心に現代の医療の問題を投げかけてくるのでした。
成島監督は、『クライマーズ・ハイ』の脚本を担当しているだけに、主演の堤真一の見せ場のツボを心得ているかのような演出。
抑え気味のテンションの中に、一人でも多くの患者を救いたいという秘めたる闘志をたぎらせた当麻役を、堤は水を得た魚の如く演じきっています。きっと年末の賞取りレースにノミネートされる演技でしょう。
それにしても哀しいストーリーです。冒頭から、主人公の浪子の葬式シーンでスタートするのです。葬式に立ち会った浪子の息子の弘平は、母が残した日記から、当麻の存在を知ります。物語は、ここで大きく別れて、日記のなかの浪子が語る1989年当時に当麻を中心にどんな出来事が起こったのか。
そしてもう一つは、その日記を読み上げた弘平にどんな変化が起きたのか。年代を超えた親子二代の話が同時進行している構造なのです。
当麻が登場する以前の日記の浪子は、悲惨でした。杜撰な手術と医療事故のもみ消しの日々。そこに立ち会う自分も、患者の命を奪っている共犯者ではないかと汲々としていました。それを誰にも言えなくて、日記だけが愚痴のはけ口という有様だったのです。
そんなとき、高度な医療技術を持った当麻が転院してきて、当麻の医療に対する純粋な思いに感銘して、失いかけた看護師としての自覚を取り戻すのですね。
ちょっと近寄りがたい雰囲気の当麻でしたが、初めての手術で、現場のスタッフも観客も大笑いしました。だって手術中に都はるみの演歌を流すのです。緊張した現場にはどう見てもミスマッチです。困惑するスタッフを尻目に当麻は、至って真剣。当麻に言わせば、手術は手編みのセーターを編むように、細かな作業を忍耐強く綴ることなんだ。だから演歌がよく合うというのです。でもそれはあんまりだということで、スタッフの多数決で音楽禁止になったときの当麻のしょぼんとした表情が愛嬌たっぷりでした。まるでおもちゃを取り上げられた子供のよう。
浪子が当麻という医師に希望を見いだした頃、親交の篤いお隣の音楽教師をしている武井先生の一人息子が事故に遭い、脳死状態になってから、物語は急展開します。
同じ頃、勤務先の市民病院を支えてきた大川市長が倒れたのです。
武井先生は悩んだ末、福祉活動に尽力してきた息子の志を汲んで臓器提供を決断します。複雑な母親としての苦悩を、余貴美子が見事に演じています。これも素晴らしいです。 当麻は、生体肝移植の数少ないスペシャリストでした。大川市長は当麻の志に惚れ込み、日本初の脳死肝移植手術のレシピエントになることを決意します。
ただ当時は脳死認定が法制化前だったこともあり、当麻が殺人罪で起訴される可能性も高かったのです。そのため手術は極秘で進められるはずだったものの、当麻を潰そうと思っていた第一外科の野本医長のリークによって、マスコミが詰めかける事態となってしまいます。果たして当麻はどうなるのかは、見てのお楽しみに。但し小地蔵は、どんなことであろうと臓器移植に賛成しかねます。
そうまでして、患者を救おうとする当麻の医師になった経緯や当麻と浪子との別れのシーンも、感動を呼ぶことでしょう。
当麻と浪子の最後の日に撮影された一枚の集合写真。それを見つめていた息子の弘平は決意します。そして向かった先は、当麻の生き様を真似るかのように、田舎の病院へ赴任していったのでした。
院長に挨拶するために、院長室でしばし往診に出かけた院長の帰り待つ弘平。そこにはどこかで見たことのある都はるみのカセットテープが置かれてあり、母の日記にあったのと同じ集合写真が壁に飾られていたのでした。
【注意事項】血を見るのが苦手な人へ
本作の手術シーンは、ほぼ医療現場での手順がリアルに再現されます。血しぶきが飛んだり、臓器がそのまま露出するので、その手のものに苦手な人はショックを受けるかもしれないので、あらかじめ覚悟して見てください。